12月19日 (火曜日) 晴れても風が冷たい
庭木の金柑を摘む。
昨年、煮方のレシピ―をいただいて、上手に煮えたので
今年も作ろうということだ。
春にボウボウに枝が伸びたので、結構刈り込んだので
実の付きが良くない事を・・・
枝カットしたことが悪いと軽くいじられている。
その前までは見向きもしなかったのにと・・・私も背中で文句を言っている。
~~~~~~~~~~~~
豆の選別をして袋詰めにする。煮る単位分くらいにして
10袋くらいできた。
豆も水に浸けておいたら、いつの間にか煮てあった。結構美味しい。
随分膨らむものだ!
==============
午後から風が冷たくなってきた。
先日、脚本家の”早坂暁”氏の訃報がニュースで報じられた。
最近。訃報の記事に敏感になっている気がする。
~~~
“没後”38年後の訃報
原爆投下の2週間後だった。
海軍兵学校から愛媛県の実家に復員する16歳の少年は、
広島駅で1泊する。
街は破壊し尽くされていた。
焼け跡を眺めていると、無数の小さな炎に気づいた。
死体から流れ出たリンが燃えていたのだ。
まさに世界終末の光景である。そのとき、赤ん坊の泣き声が聞こえた気がした。
▼戦後、売れっ子脚本家になった早坂暁(あきら)さんに、
吉永小百合さんから声がかかった。
「私に何か書いてください」。
早坂さんに広島駅の一夜の記憶が蘇った。
赤ん坊は名作ドラマ『夢千代日記』の主人公になった。
~~~~~~~~~~~~
▼吉永さんが演じた夢千代は、山陰の小さな温泉場の芸者である。
特攻隊員と結ばれた母親は妊娠中に広島で被爆していた。
「私はもう、なおらない病気をもった人間です。ですから誰かの力になりたいのです」。
夢千代は胎内被爆の後遺症に苦しみながら、どこまでも人にやさしい。
▼『夏少女』という作品のモデルは、3歳下の妹の春子さんである。
捨て子だった春子さんは、実の子として育てられた。
原爆投下の当日広島にいた春子さんは、行方不明のままである。
出生の事情を知り、「兄さんに思いを伝えたい」と、
早坂さんを兵学校に訪ねる途中だった。
▼原爆の悲劇を深く静かに訴え続けた、早坂さんの突然の訃報が届いた。
88歳だった。
早坂さんは50歳で『新・夢千代日記』を執筆中に倒れた。
胃潰瘍で胃を切り、心筋梗塞の手術の準備中にがんが見つかった。
死を意識した早坂さんが企画したのが、生前葬である
。
▼先頃コマツ元社長の安崎暁(あんざき・さとる)さん(80)が、
新聞広告で自身のがんを公表し、盛大な「感謝の会」を開いて話題となった。
早坂さんのがんは後に誤診とわかり、“没後”も仕事に打ち込んでいた。
==================
★夢千代日記の舞台は兵庫県 湯村温泉。
一度この温泉に泊まったこともあって懐かしい。
山陰の静かな山合いにある温泉で平安時代からと聞く。
温泉卵が作れる熱湯がでていて面白い。
少し走れば蟹が美味しい浜坂漁港も近いところでもある。松葉ガニだ!
庭木の金柑を摘む。
昨年、煮方のレシピ―をいただいて、上手に煮えたので
今年も作ろうということだ。
春にボウボウに枝が伸びたので、結構刈り込んだので
実の付きが良くない事を・・・
枝カットしたことが悪いと軽くいじられている。
その前までは見向きもしなかったのにと・・・私も背中で文句を言っている。
~~~~~~~~~~~~
豆の選別をして袋詰めにする。煮る単位分くらいにして
10袋くらいできた。
豆も水に浸けておいたら、いつの間にか煮てあった。結構美味しい。
随分膨らむものだ!
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午後から風が冷たくなってきた。
先日、脚本家の”早坂暁”氏の訃報がニュースで報じられた。
最近。訃報の記事に敏感になっている気がする。
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“没後”38年後の訃報
原爆投下の2週間後だった。
海軍兵学校から愛媛県の実家に復員する16歳の少年は、
広島駅で1泊する。
街は破壊し尽くされていた。
焼け跡を眺めていると、無数の小さな炎に気づいた。
死体から流れ出たリンが燃えていたのだ。
まさに世界終末の光景である。そのとき、赤ん坊の泣き声が聞こえた気がした。
▼戦後、売れっ子脚本家になった早坂暁(あきら)さんに、
吉永小百合さんから声がかかった。
「私に何か書いてください」。
早坂さんに広島駅の一夜の記憶が蘇った。
赤ん坊は名作ドラマ『夢千代日記』の主人公になった。
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▼吉永さんが演じた夢千代は、山陰の小さな温泉場の芸者である。
特攻隊員と結ばれた母親は妊娠中に広島で被爆していた。
「私はもう、なおらない病気をもった人間です。ですから誰かの力になりたいのです」。
夢千代は胎内被爆の後遺症に苦しみながら、どこまでも人にやさしい。
▼『夏少女』という作品のモデルは、3歳下の妹の春子さんである。
捨て子だった春子さんは、実の子として育てられた。
原爆投下の当日広島にいた春子さんは、行方不明のままである。
出生の事情を知り、「兄さんに思いを伝えたい」と、
早坂さんを兵学校に訪ねる途中だった。
▼原爆の悲劇を深く静かに訴え続けた、早坂さんの突然の訃報が届いた。
88歳だった。
早坂さんは50歳で『新・夢千代日記』を執筆中に倒れた。
胃潰瘍で胃を切り、心筋梗塞の手術の準備中にがんが見つかった。
死を意識した早坂さんが企画したのが、生前葬である
。
▼先頃コマツ元社長の安崎暁(あんざき・さとる)さん(80)が、
新聞広告で自身のがんを公表し、盛大な「感謝の会」を開いて話題となった。
早坂さんのがんは後に誤診とわかり、“没後”も仕事に打ち込んでいた。
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★夢千代日記の舞台は兵庫県 湯村温泉。
一度この温泉に泊まったこともあって懐かしい。
山陰の静かな山合いにある温泉で平安時代からと聞く。
温泉卵が作れる熱湯がでていて面白い。
少し走れば蟹が美味しい浜坂漁港も近いところでもある。松葉ガニだ!
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