11月30日、ブッシュ大統領(父)が94歳で亡くなった。
1966年にテキサス州出身・米下院議員に初当選して以来、共和党全国委員長、米国連大使、北京の米連絡事務所・所長、米中央情報局(CIA)長官など輝かしい職を歴任し、1981年にレーガン政権の副大統領に就任。1989年には大統領に選出された。1992年の大統領選挙で民主党のビル・クリントン氏に敗北し、一期限り(4年間)の大統領となってしまった。
第二次世界大戦では米海軍の戦闘機パイロットで、旧日本軍に撃墜された経験を持つ。
[エピソード Episode]
1992年の1月7日、ブッシュ大統領が訪日するというので、大阪国際空港ビルの大広間にホワイトハウス通信連絡・待機所(50~60名)とワシントンDC駐在報道関係者(120~130名)のためのプレスセンターを設置する担当の一人になった。訪日で毎回大変なのが「アメリカ流のやり方」を日本側に説得し納得させることである。要は日本人とアメリカ人の文化・考え方・習慣などの違いからくるもので、この溝は絶対に埋まらない。
中でもセキュリティに関連するチェックは特に厳しい。1963年にテキサス州ダラス市でジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたのを機に、大統領訪問地の事前の綿密なセキュリティ・チェックが強化された。ホワイトハウス・スタッフやシークレット・サービスと行動を共にすると分かるのが、ありとあらゆる遭遇に対処できるように計画される。通常、到着2週間くらい前から毎日色々なチェックがおこなわれる。シークレットサービス・エイジェントは極小イヤホーンとマイクでフリーハンドで小声で一人で会話をしているので、傍から見ると大変異様である。
7日の午前、大統領機2機が韓国から大阪(伊丹)国際空港に到着。1機からは大統領と側近、主要ホワイトハウス・スタッフが飛行機のタラップから、もう1機(バックアップ機)から同行記者約150名が降りてくる。そこで初めて目にしたのが大統領の側近が常に持っている大きめの黒色のアタッシュケース、いわゆる「ブラックボックス」である。地球上の如何なる緊急事態に対処できるよう、どこからでも核弾道ミサイル攻撃ができる発射ボタンを装備しているといわれている。(また、米国の上空には1年365日・1日24時間、同様の役目ができる飛行レーダー機が飛んでいるのは周知の事実である。)
大統領一行は、伊丹から米軍大型ヘリコプター4機で京都御所内の庭(現在は京都迎賓館が建っている)に着陸。海部首相との昼食会、都ホテルでの日米学生との集い、奈良県のトイザらス橿原店の開店記念式典に出席後、当日の夜、羽田空港に向かって大統領機は大阪を後にした。たった1日の関西滞在だったが、ここに動員された日本の警察官は1万人だったと記憶している。■YS
【参考ブログ】
『アメリカ大統領選挙とTV討論会 & 大統領の訪日/ US Presidential Campaign & TV Debate ・ US Presidential Visits 』(2012・10・24)
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