さて、今日10月8日は、体育の日という事で、それ系の行事が行われたようだが、私は、以前も話したと思うが、根っからの体育嫌いであるし、苦手科目である。
小学校に上った時、周囲に体育好きが多くて、私はびっくりした覚えがあるし、衝撃を受けた記憶もある。しかも、「体育」と聞くと、皆が「喜ぶ」という光景があったので、信じられなかった。そして、「ボール遊び」(ドッチボールが盛んだった記憶がある)も活発で、地元のリトルリーグ野球に参加する諸氏も結構多くて、体育嫌いで苦手な私からすれば、辛い事この上無かった。
結局、学生時代、「体育」と聞くと他の科目以上に憂鬱だった。「ドッチボール」、「ポートボール」(バスケットボールの変形。バスケットゴールが無く、スリーポイントシュート等の投げる位置によって、得点が変わることは無い以外は、ほぼバスケットボールのルールと同じだったと思う。これで、地元の小学校同士で大会まであった)、「サッカー」、「バスケットケーボル」、「バレーボール」、「ハンドボール」、「テニス」まであったけれど、楽しみだったものは1つもなかったし、楽しめたものもない。
男の癖に、なんと情けない話だろうと思う。縄跳びですら、満足に出来ない。
一番辛かったのは、球技もそうだったが「マラソン」が嫌だった(その次に、高校2年の時の体育祭学年競技の「組体操」。この時は、その高校で1、2をあらそう恐ろしい教諭も加わったので、最悪だった。その教諭に講義中に説教された事もあったが、毅然でかつ冷静な態度で対応したので、大事にはならなかったし、単位がとれなかったことも無かった)。「走る」というある意味誰でも出来る事なのだが、長距離となると駄目だった。一応、嫌々、練習させられたけれど、結局、それもままならず終わったように思う。丁度、この時期に、中高共に、「マラソン大会」があった様に思う。最下位にはならなかったけれど、それに近い結果しか出せていない。周囲の背中がなんて遠かっただろうと思うし、よくもまぁ、日頃、こんな体育とは無縁な奴が前々へ進んでいくな…と思ったものである。
そんな中で、必然的に「悔しさ」とか「周囲への妬み」とか「つらみ」が生まれた。そして、当時の理想が加わり、それらが1つの形となって小説を生むことになった。そして、その中で、1つ曲も生まれた。
小説の方は、以前紹介したが、『グットフレンズ』、曲は、『ヒーローになれないヒーロー』である。この曲は、実は、その小説に中で、京野世佐美が歌っている事になっていた。歌詞の一部が、小説にあり、Expressを結成した際、曲のストックの1つとして、形にしようと思い描き上げた記憶がある。小説の中では、『ヒーローになれないランナー』としたようだが、後に、直した。ランナーに限定したくなかったというのがある。
『グットフレンズ』は、改めてパラパラと書きなぐったノートを眺めてみると、「マラソン」だけでなく、高校受験の話もちょろっと書いてあった。ただ、この作品を書いたのは、18~20頃かなと思う。詳しい時期は覚えていない。登場人物の名前を見てみると、18の頃の学校が季節休みの時に臨時で通った予備校近くの地名が書かれている事や「マラソン」という話がちらりと出てくるのを見て見ると、どうも三田誠広氏が書いた『いちご同盟』のパクリか?と思ってしまった。確かに、影響はされたというか印象深い作品だったので、致し方ないけれど…。
『ヒーローになれないヒーロー』は、京野世佐美が歌っている事になっていたので、私が作ったオリジナルの歌詞カードの作詞作曲者の名前もどうどうと彼女を名乗っている。塚村尚人ではないのだ。小説を読んでいくと、主人公(桜木真矢という。漢字ではどうか忘れたが、『3年B組金八先生』に同姓同名の人間が出ているのを小説を書いた後で知って、びっくりした)が友人のススメで彼女の曲を手に入れる事になっている。丁度、マラソン大会が近くて、体育でその練習をやっている中で、主人公はビリに近いところを走っている設定で、かつ、曲を教えて友人も最後尾に近い所を走っている設定になっていて、その友人が「1位になれない悔しさとか悲しさ」を歌った曲があるという事で、『ヒーローになれないヒーロー』が出て来る。
勿論、私も十二分に努力しないのもいけなかったのは、解っているけれど、「運動能力」が生まれつき周囲と比べると「低」いようで、練習してもその仕方が悪いのか、うまく行かないまま過ごして来た。一応、水泳だけは、スクールに通って、物にしたけれどその過程でも、やはり「運動能力の低さ」や「才能の無さ」を知って、ショックだった。上達の早さが周囲と比較すると「遅」かった。
体育の日という事で、それに関連する話を1発してみたが、どこまで伝わったかは解らない。