今日は仏滅。それでお約束の如く、1発やっちまった。何をやっちまったかは言えないがやばいにはない。「自分で招いたトラジェディー」(松任谷由美「オージュリエット」より引用) さ~て、どうしますかねぇ~。
<後日談>
なんとかこの日、何事も無く決着をみたのは、多分奇跡だろう。
ふと思ったのだが、自分の表情がここの所、豊かでなくなっている気がした。
自分の生活ぶりがその様にさせているんだろうと思うが、ビックリである。
深夜アニメで笑ったり時に涙したりしているのにも関わらずなので、余計である。
まるで『3年B組金八先生』ではないが、人間という漢字は人の間と書き、人は人関わっていく物であるし、人と言う漢字は互いに支えあって生きるものでもある…と言われるし、以前も紹介した『ヒロイックエイジ』でもそれと似たような事は述べられている。OFF会はともかくとして、人と触れ合う機会はあっても、長く話す機会がない昨今である。
「表情」というのは、快、不快の2つに大きくは分類されるんだろうが、特に「笑顔」が減ったように思う。機械的に、ネットやテレビの文字に音しか視聴しないと、いつしかそれが出なくなる様だ。
話は、少しそれるが以前、「テレビゲームにテレビ、インターネットが子供に及ぼす悪影響」に関する本をある人から勧められて読んだ事がある。別段、読みたいとは思わなかったのだが、諸事情により読まざるを得なかった。結局、それらは子供達にとって有害な事が多いという結論でまとまっていたと記憶しているが、その中で、気になったのが「笑わない乳幼児が出て来ている」という事だった。その年齢ではテレビの中身の意味なんて解らず「ただ観ているだけ」になり、いつしか表情がなくなるという。昨今の共働き事情や子育て事情からか、直接、人間と触れ合う機会が減っていて、それが「無表情」につながり、果ては、「感情が淡白になる」つまり「冷めた人間」になってしまうと言う内容の話にびっくりしたものだった。
考えてみれば、私も小学校に上がる前から朝のテレビはNHKニュースで、テロップに映る時間やキャスターとにらめっこして学校に行っていた。確かに訳は解らなかったので、あまりかじりついて観ていた記憶は無いけれど、テレビは身近な存在としてそこにあったし、そんなニュース以外でも、親が観ていた番組を一緒になって観ていた。勿論子供向けではない。時代劇(『必殺仕事人』(殺陣のシーンのサウンドは今でも好きだが、そのきっかけを与えたのは子供の頃だった)が記憶にある)、バライティー番組(『おれたちひょうきん族』、『徹子の部屋』、『笑っていいとも』、『テレビタックル』(今もお気に入り)、『ブロードキャスター』等枚挙にいとまなし)を意味も解らず観ていたように思う。
そして、昨今はすっかりインターネットに深夜アニメにつかり、いくら笑い有り、涙有りとは言っても、自然な「笑顔」が減っていたと思うし、それ以外の「豊かな表情」、特に顔の筋肉が固まっていたんじゃないか…とさえ思うのだ。
いつかに、物を飲み込めなくなる症状が年輩の方に多く出ている話が紹介されたテレビを観た事がある。原因は、舌の力が弱まった為と言う。食べる以外では使わずすっかり退化してしまったというのだ。特に「喋る」という行為が減った事も原因らしい。これを1つの『廃用症候群』(漢字が一部あやしいが)と言うそうで、所謂「退化」という事らしい(使わないから弱くなる…という悪循環の1つでもある)。顔の筋肉も案外、これで、固まってしまうものなのか…と思ったりもする。
気をつけなければいけない事だなと思いつつ、人はやはり1人では生きては行けない、という事を少し学んだような気がするが、別に表情1つでどうこうなる訳でもないし、感情に対して「淡白」になってもそれほど問題ではないようにも思うのだが、軽視出来る問題でもなさそうだ。