前か後、負か正、善か悪、明か闇、それぞれを逆の事象を示すものを矢印で示した時、力の強い方に、人は引っ張られて行くものだと思う。それを「流されていく」というのだと思うし「変化」というのだと思う。
急激な変化が肌にあわない私は、保守的な人間なんだと思うし、それについていきにくいところもその典型である。
だが、世の中に「絶対不変」という物が無いので、場面場面で人もそれを要求されるのは言うまでもないし、自然と変われていくものなんだろうと思う。
私はどうだろうか?「前」や「正」、「善」という方向の力と真逆の力が拮抗し、「そのまま」か「悪い方向へいく」しかないようだ。ことに「そのまま」が多い。それが、悪い意味で私自身をよく表しているものなので、嫌なのだ。かと言って、あまりこう良い方向に考えるのは嫌なのだ。そっちばかりを意識してしまうから。 変わらずにいるものなんてないけれど、「確たるもの」 が私はほしい…。
急激な変化が肌にあわない私は、保守的な人間なんだと思うし、それについていきにくいところもその典型である。
だが、世の中に「絶対不変」という物が無いので、場面場面で人もそれを要求されるのは言うまでもないし、自然と変われていくものなんだろうと思う。
私はどうだろうか?「前」や「正」、「善」という方向の力と真逆の力が拮抗し、「そのまま」か「悪い方向へいく」しかないようだ。ことに「そのまま」が多い。それが、悪い意味で私自身をよく表しているものなので、嫌なのだ。かと言って、あまりこう良い方向に考えるのは嫌なのだ。そっちばかりを意識してしまうから。 変わらずにいるものなんてないけれど、「確たるもの」 が私はほしい…。