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Mind Feeling 1021-1 「1週遅れのトラックバック練習板より、〝趣味〟について」

2007年10月21日 00時16分31秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
 書こう書こう思って居たのだが、気がつくと1週遅れになってしまった。
 趣味の話。
 プロフィールにも書いてあるし、以前も「自己紹介」として書いていたのを流用してみる事にする。

・鉄道とバス
 ガキの頃から好きだった気がする。理由は解らない。多分、過ぎ行く景色を見る所から吸い込まれたのだろうと思うし、両親が鉄道関連の書物(カラーブックが一番大きい気がする)や玩具を買ってきた所為もあると思われる。
 当初は、東急好きだった。今では当り前だが、ステンレス車両を理由も解らず好きだった気がするし、素晴らしい物だと言う印象が強かった。
 中学に入って、鉄道仲間が出来て、乗った京浜急行デハ1000形特急の運転台を見て、なんと開放的で観易い(運転台後部にまで座席がある!)のだろうと感動。そして105KM/Hでぶっ飛ばすその姿に感動。せいぜい80から90KM/H程度だろうとその当時はたかをくくっていたので、もの凄く驚いた。その後、どうしても快速特急にも乗りたくなり1人で乗りに行った。120Km/h運転が開始され600形電車がデビューした頃に、快速特急に乗ったと記憶している。品川から2000形(当然、2つドア、集団見合い式固定クロスシート時代)で京急久里浜まで乗車。120Km/hはその時点では出なかった。土休日の朝早い時間だった事によるものと思われる。MAX115Km/hだった気がする。
 京急久里浜からの折り返しは、偶然にも600形電車だった。今度は120Km/hばっちり出て、驚いた驚いた。こんな凄い電車が存在するとは思わなかったと言わせるくらいのど迫力に恐れ行って以来、ファンと化す。
 後に、気がつくと、京急のカラーブックスを手にしていた事が解り、幼かったので絵しか終えなかった段階から文字が読める段階へと進化していてので、歴史も紐解き、かつては京成線からの臨時直通特急や直通快速特急(殊、SHという列車コードが何故か気に入った)があった事が解り、感動した覚えがある。
 フリーランスで浅草線に乗り入れる話が出て、京成やら北総やらにまで知識の根が広がって行ったのは言うまでも無いが、あまり京成については過去の情報が少ないのでよくは解らない。
 そんなこんなで現在に至り、先述も述べた通り、リンクを貼らせて頂いた方々と出会い、更に鉄道の知識が深まる事になり、現在に至る。
 学生時代、結局、鉄道の部活に出会えなかったのは痛いが、語り合える仲間があった事を幸いと思うべし…という所か?
 一方で、どこに何の路線があるか、とか、運賃がいくら、とか、駅で車両の何号車にのると出口が近い、とか言う知識は乏しく、殊、JRは全般的に本当に知識が少ないのが特徴である。一般的に、鉄道好きというとJRがメインであり、私鉄はその次にあるという感じがするのは、お得意の妄想であろうか?
 かなり偏り狭いコアな知識しかもたない、鉄ヲタである。

・バス
 もともと生まれた土地は、今住んでいる街とは違ったので、鉄道と比べると歴史は浅い。知識はせいぜい地元を行く、小田急系列の橙色に黄色と思しき色を貴重としたバスの事が少ししか解らないので、あまり声を大にして語れない。
 鉄道と同じく、路線の相関関係や料金の話なんぞは、さっぱしである。

・深夜アニメ鑑賞
 これは以前、書いたような気がするので殊更、書く事は無い趣味だが、最近では、すっかり生活の一部と化し、無くては成らないものになっている。
 ジャンルは問わないが、萌系が苦手。また、血生臭すぎる作品でかつや冷酷非道な話も駄目である。好きなのは、人間関係を豊かに描かれたもの、友情もの系。そんな感じで、作風が自分に合えばなんでも観る。
 観るきっかけに関して、プラスアルファで話をしておくと、ゴールデンでやっている番組は、比較的メジャーで誰しもが知っている感じの物が多く、観て面白くてはまるのは当り前という思い込みがあり、あえて、「深夜を選んだ」というのもある。
 アニメというと「声優」という話になるが、それに関する知識は無い。あまりそこいらへんの話に興味はない。

・カラオケ
 これも以前述べた話なので、詳しくは述べないが、「誰かと行くと歌い足らない」という理由(2時間から3時間設定で数人で行くパターンが多かった)で、1人で行く事になった。
 とはいえ、1人で行って良いものなのか?という戸惑いに不安が多く、周囲の知り合いに「ひとりで行って平気なものか?」と訊きまくった記憶がある。大丈夫だ!という話を何度か聴いたので、実行に至る。初めて、1人カラオケしたのは、京急線のとある駅前(優等列車の止まらないマイナー駅)にある(今はどうか解らない) 店屋。名前は覚えていないが、なかなかリーズナブルな値段であった気がした。

・駄文作成
 主に、Mind Feelingでよく書くような文章(私は、勝手にそれをエッセイと呼んでいる)に、小説(以前、リンク先のブログで書いているという話をしたが、あんな感じのもの)を書く事が趣味である。
 きっかけは、ラジオの深夜放送によるが、なんか高校3年の頃になって今の気持ちを書きとめておきたい…みたいな衝動にかられて書き出したのが全てだったと思う。質は、観ての通り、お話にならない感じの悪いさである。

・深夜首都高の旅
 これは、鷺沢萌著『少年達の終わらない夜』(河出文庫 1993年)の中の『ユーロビートじゃ踊れない』という話にある。その本の133ページに、

「首都高を一周しようか」

という台詞が出て来る。この時の情景を話の前後を追っていくと、どうも夜中(少なくとも深夜0時を過ぎている事は間違いない)という設定であり、

――暁子のサンタナは大通りをずっと北上し、用賀から高速道路に乗った。首都高に入ると、暁子はさっきまで流していたコステロのテープを取り出し、左手で別のテープを探ってからヒロシに言った――

 というのがあり、渋滞だらけの昼間の首都高ではなく、深夜のすいた時間の首都高に乗ってみたい…という衝動から始まったものである。最近は、やっていないが、かつてはそれなりにやっていた。
 「ルーレット族」がやはり多かったが、別段事故られた事はなかった。煽られた事はあったが、すんなり道を譲ると、ハザードランプで「ありがとう」と言う意味を示す合図を出したりする事があったのには驚いた。単に馬鹿にされただけかも知れないが…。
 その後、去年の連休前に、この夜間ドライブの応用で、東名に乗っていて、スピード違反でつかまり(オーヴィスでひっかかる何とも情けないものだった)免停処分となった事がきっかけで、最近ではすっかりやらなくなってしまった。一応、免停期間は過ぎ、免許は返っては来たが、今度はガソリン様が異様な高値になったので、気軽さを失ってしまったのもある。

・篠原美也子の曲を聴く/弾き語る
 彼女のファン歴はかれこれ12年位になる。知ったきっかけは、深夜放送。たまたま夜中に目覚めて、自分の部屋にその当時、ラジオはあってもテレビはなかったので、そっちに逃げたら出会った。
 ピアノを幼い頃数年ならっていた(腕はかなり悪い)ので、彼女の曲も弾けたらなぁ、歌えたらなぁ…と思い、耳コピで音は取れたので、適当に今でも弾いている。
 これまでの人生で、彼女の事をよく知る人物は出会った事が無いが、今も好きである。

 しかし、こんな趣味を持っているとは言え、大抵の人は、「マニア」だな程度しか見られないので、あまりこう受けは良くないので、ドキドキな話ではある。
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