篠原美也子“HELPLESS”を、アルバム『バード・アローン』(2010年)から、聴いてみる。
淋しさを解ってくれよ、と、言う言葉を理解してくれる人と、もし、出逢えたら、それは、大事にしておかないと。
1998年の篠原美也子のアルバム“magnolia”から、“LIKE 17”を、聴いてみる。
良い17歳を、今年なると言う人は、過ごして下さいまし。
篠原美也子の2007年のナンバー、『ナイーヴ』を、アルバム『桜花繚乱』(2007年)より、聴いてみる。
無垢なままの心を、憎み、嫌いになったのが、2007年だった。思い出したくないものが、ある。
篠原美也子のアルバム“us”(2005年)から、“Journey”を、聴いてみる。
私達にも、1つにも、ならない、なれない体と心を、今日ももて余す。
篠原美也子の2004年のアルバム『種と果実』から、“422”を、聴いてみる。
これで、終わるな。
良い接点、よ、永遠に。
1993年の篠原美也子のナンバー、『誰の様でもなく“Single Version”』を、聴いてみる。
この歌、外せないな、と、理由もなく、ピックアップ。
篠原美也子のアルバム『新しい羽根がついた日』(2001年)から、“place”を、聴いてみる。
場所、を、取り上げられる時代は、何時の時もあったが、実際に、その傘下にいると、息苦しい上に、腹立たしい。
1997年の篠原美也子のナンバー、『春の日』を、アルバム“
Vivien”(1997年)より、聴いてみる。
会いたい春が、なかったなんて事は、あるのだけれど、それは、あくまで、自分の都合、であって、ステージを変えれば、何とでもなった。だが、良い出逢いなんて、春にばっちりあったか、と言えば、NOだ。
篠原美也子『月の河』(1993年)を、アルバム『満たされた月』(1993年)より、聴いてみる。
とりあえず、今日、4月29日水曜日は、終わる。月夜で。
篠原美也子のアルバム『いとおしいグレイ』(1994年)より、『ありふれたグレイ』聴いてみる。
曖昧さ、が、どこにでもある――ではなく、なんてことない、集団の中のひとり、と言う事のようだ。