1998年の篠原美也子のシングル『ガラスの靴』より、『死にたいほど夜』(1998年)を、聴いてみる。
死亡フラグ、と言う言葉は、1998年当時は、なかったか――と思い返す。
篠原美也子の2005年のナンバー、『アスピリン』を、2005年のアルバム“us”から、聴いてみる。
悲しみ、淋しさ、を抑える、痛み止めは、存在しないか、と、思う夜。
篠原美也子“countless”を、2007年のアルバム『桜花繚乱』から、聴いてみる。
巧く数えきりたい現実よ、来い、と思ってみたり。
篠原美也子『エデン』(2011年)を、アルバム『花の名前』(2011年)から、聴いてみる。
何となく、好きな、いや、覗いてみたい、アーティストの世界がある。
篠原美也子の2017年のアルバム“STAY FOOLISH”より、『祭ばやしが聞こえる』を、聴いてみる。
祭りを、放棄したような、2020年と言う感じである。諸事情があるとは言え、あまりにも――
篠原美也子の2006年のナンバー、『逆光』を、2006年のアルバム『レイディアント』より、聴いてみる。
逆行、では、ないのか――と、今頃、思ってみたりするが、光源の闇、と言うものに、アーティストが注目していた頃のナンバーだったっけ、とも、思う。
篠原美也子のアルバム『新しい羽根がついた日』(2001年)より、『秒針のビート―studio version―』を、聴いてみる。
屋根裏部屋に、置き去りにされたピアノが、歌い出す――なんて、思いつつ、ピックアップ。
篠原美也子のアルバム“bird's-eye view”(2002年)より、“pain scale”(2002年)を、聴いてみる。
痛み・傷みも、限界のままに、時間は、また、過ぎていく。
篠原美也子の2004年のナンバー、“30s blue”を、アルバム『種と果実』(2004年)より、聴いてみる。
諸課題を、クリア、していれば、憂鬱はない――それも、きっと、一握りの誰かにしか、与えられないもの、なんだろう。
1996年の篠原美也子のナンバー、“Broken”、を、1996年のシングル“Good Friend”(1996年)より、聴いてみる。
壊れて良かった――それは、厄介物・厄介者を、追い出した時だろう。私も、追い出された口で、追い出した諸氏方は、今頃、皆、幸せ、だろう。