「しゃばけ」という作品が世間で評判になっていることは知っていたが、あまり読みたいとは思っていなかった。
それで、何気に読んだ小説新潮に掲載されていたモノが「しゃばけ」シリーズのものだと気づくまでしばらくかかった。
気づいたので、最初から読んでみようと、今回読んでみたのであった。
一言で言えば「ゲゲゲの鬼太郎」ふう。
つまり「妖怪」が登場する物語である。
江戸有数の廻船問屋(そして薬種問屋も営む)の若旦那「一太郎」が主人公。この一太郎はひどく病弱なことから両親は溺愛、すべての行動に制限をし「生きる」ということのみに彼を縛っている。
この一太郎は、なぜか(といってもちゃんと理由がある)妖(あやかし)達が見え彼らと話をし遊ぶことができる。
そんな一太郎が殺人事件に巻き込まれ、それを、妖(あやかし)たちの力を借りて解決していく。というのが概ねの筋である。
物語自体も面白いが、なんといっても江戸時代のことがよくわかる、些細なことにもちゃんと考証されている。
だから、荒唐無稽の妖怪話も真実味がでている。
さて、この「荒唐無稽」なのだが・・・
実は、妖怪というのは存在していたのではないだろうか?
というか昔はその存在を心から信じていたのではないだろうか?
だから、不可思議なことが起きると「妖怪」のせいにした。
ところが現代は、はなから「妖怪」の存在なんて信じていない。信じていないから不可思議なことがおきると科学する。そこでナンタラシンドロームとかカンタラ症なんて名付ける。
しかし、信じられないような事件をおこした人は「妖怪」に獲りつかれたこととしたなら、説明は簡単である。「妖怪」が悪いのである。
そして、人は「妖怪」に獲りつかれないように、つましく正直に生きようとする。妖怪に獲りつかれたなら、社会から阻害されるのだ。
社会は多種多様になった。ということは「妖怪」を受け容れたということになるのではないか。
そんなことを思ってしまったのである。
それほど、現代は「とんでもない」事件が多すぎ、それを科学的に説明をしようとすることが非常に難しいことになっている、と思うのである。
それで、何気に読んだ小説新潮に掲載されていたモノが「しゃばけ」シリーズのものだと気づくまでしばらくかかった。
気づいたので、最初から読んでみようと、今回読んでみたのであった。
一言で言えば「ゲゲゲの鬼太郎」ふう。
つまり「妖怪」が登場する物語である。
江戸有数の廻船問屋(そして薬種問屋も営む)の若旦那「一太郎」が主人公。この一太郎はひどく病弱なことから両親は溺愛、すべての行動に制限をし「生きる」ということのみに彼を縛っている。
この一太郎は、なぜか(といってもちゃんと理由がある)妖(あやかし)達が見え彼らと話をし遊ぶことができる。
そんな一太郎が殺人事件に巻き込まれ、それを、妖(あやかし)たちの力を借りて解決していく。というのが概ねの筋である。
物語自体も面白いが、なんといっても江戸時代のことがよくわかる、些細なことにもちゃんと考証されている。
だから、荒唐無稽の妖怪話も真実味がでている。
さて、この「荒唐無稽」なのだが・・・
実は、妖怪というのは存在していたのではないだろうか?
というか昔はその存在を心から信じていたのではないだろうか?
だから、不可思議なことが起きると「妖怪」のせいにした。
ところが現代は、はなから「妖怪」の存在なんて信じていない。信じていないから不可思議なことがおきると科学する。そこでナンタラシンドロームとかカンタラ症なんて名付ける。
しかし、信じられないような事件をおこした人は「妖怪」に獲りつかれたこととしたなら、説明は簡単である。「妖怪」が悪いのである。
そして、人は「妖怪」に獲りつかれないように、つましく正直に生きようとする。妖怪に獲りつかれたなら、社会から阻害されるのだ。
社会は多種多様になった。ということは「妖怪」を受け容れたということになるのではないか。
そんなことを思ってしまったのである。
それほど、現代は「とんでもない」事件が多すぎ、それを科学的に説明をしようとすることが非常に難しいことになっている、と思うのである。