柴門ふみの漫画も面白いが、エッセイもなかなか捨てがたい。
小説新潮で連載をしているのは
「50代だからこそ、恋をしよう!
勇気のわくコイバナ満載の
連載エッセイ」
なのである。
50代の恋、なのだそうだ。
世の中も変わったものだ。
第1回(5月号)は「世に恋の種は尽きまじ」
第2回(6月号)は「恋は見かけによらぬもの」
第3回(7月号)は「女の第3ステージ」
である。
読んでみると「ひぇー」とか「へぇー」とか思うのであるが『なんだかなあ』という気持ちが出てくるのは否めないのである。
それはたぶん「50代の恋」って美しくおもえないし、見えないからだと思うのである。
そして、このエッセイを読むと、たとえば不倫でも恋でも、いまはスッと踏み出していくようである。
孔子先生は、40にして惑わず、50にして天命を知る。
といってましたが、いまや、40にして初めて迷い、50にして恋を知る、のであろうか。
と、まあ、嘆いてはみても、このエッセイを読むとなんだか面白い。
毎月楽しみなエッセイである。
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小説新潮で連載をしているのは
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勇気のわくコイバナ満載の
連載エッセイ」
なのである。
50代の恋、なのだそうだ。
世の中も変わったものだ。
第1回(5月号)は「世に恋の種は尽きまじ」
第2回(6月号)は「恋は見かけによらぬもの」
第3回(7月号)は「女の第3ステージ」
である。
読んでみると「ひぇー」とか「へぇー」とか思うのであるが『なんだかなあ』という気持ちが出てくるのは否めないのである。
それはたぶん「50代の恋」って美しくおもえないし、見えないからだと思うのである。
そして、このエッセイを読むと、たとえば不倫でも恋でも、いまはスッと踏み出していくようである。
孔子先生は、40にして惑わず、50にして天命を知る。
といってましたが、いまや、40にして初めて迷い、50にして恋を知る、のであろうか。
と、まあ、嘆いてはみても、このエッセイを読むとなんだか面白い。
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