水木しげるの「戦記もの」である。
しかもノンフィクションに近いものである。
だから、登場する人物たちの心情とセリフに迫力がある。
著者があとがきで述べている
『ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない』
ということも「迫力」がある理由の一つである。
この物語は、ニューブリテン島であった「玉砕」について描かれているが、あの戦争ではいたるところで「玉砕」があったので、あの戦争の普遍的な一面を描いているといえるのではないか。
日本軍の強さは『命令に忠実で死をも厭わない兵隊の強さにあった』ということを聞いたことがある。
しかし、それは「勝つ」ということの可能性が高い場合のことではなかったか。
それは概ね攻めているときであった、と思う。
戦争末期は、多分兵隊たちも「勝つ」ということを思い浮かべることができなかったのだと思う。
だから、この物語では「玉砕」に反対する将校や、納得できない「兵隊」が登場する。
玉砕とか死守とか特攻といったものは「勝つ」ための作戦ではなく、何かに取り付かれたような、いい言葉でいえば日本人のアイデンティティーを守るためのもののようなものだったと思う。
果たしてそれが守るべきものだったのか・・・
いろいろと考えさせられるのであった。
だから読書はやめられない。
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しかもノンフィクションに近いものである。
だから、登場する人物たちの心情とセリフに迫力がある。
著者があとがきで述べている
『ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない』
ということも「迫力」がある理由の一つである。
この物語は、ニューブリテン島であった「玉砕」について描かれているが、あの戦争ではいたるところで「玉砕」があったので、あの戦争の普遍的な一面を描いているといえるのではないか。
日本軍の強さは『命令に忠実で死をも厭わない兵隊の強さにあった』ということを聞いたことがある。
しかし、それは「勝つ」ということの可能性が高い場合のことではなかったか。
それは概ね攻めているときであった、と思う。
戦争末期は、多分兵隊たちも「勝つ」ということを思い浮かべることができなかったのだと思う。
だから、この物語では「玉砕」に反対する将校や、納得できない「兵隊」が登場する。
玉砕とか死守とか特攻といったものは「勝つ」ための作戦ではなく、何かに取り付かれたような、いい言葉でいえば日本人のアイデンティティーを守るためのもののようなものだったと思う。
果たしてそれが守るべきものだったのか・・・
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