久しぶりに芥川賞受賞作を読んだ。
相当「気合」を込めてとりかかった。
何しろこれまで読んだ芥川賞受賞作品の殆どが「わからない」というのが第1のかんそうであったから。
そして、今回も「よくわからない」というのが感想の大部分。
もしかしたら「芥川賞」というだけで「わからない」ということになるように、私の頭の回線がつながっているのかもしれない。
私はこの作品を文芸春秋で読んだ。
ということは、芥川賞の選評も載っている。
そのなかで石原慎太郎の評が厳しかった。
「こんな作品を読んで一体誰が、己の人生に反映して、いかなる感動を覚えるものだろうか」
私もこの作品が現代を表しているように思えなかった。
「乙女」というのは一種の比喩だとは思うが、そんなもの絶滅したのではないか。
また、こんなに一生懸命勉強する女子大生も存在するとは思えないし、重要な役割を示すバッハマン教授にも現実感はなかった。
現実感とかリアリティが小説の絶対条件だとは思わないが、感情移入できる人物が存在することが必要だと思う。
この作品が受賞作に選ばれたということは、それなりに感情移入できる人たちがいたんだろうと思うが・・・
ちなみに村上龍は「わたしは感情移入ができなかった」と述べている。
ところで、この物語のもう一つの幹は「アンネの日記」である。
ということで、この物語を読んで「アンネの日記」に興味をもったことが収穫か。
インターネットで調べてみたが、戦争とは悲惨なものだということを改めて思ったのである。
何故、今、アンネの日記なのか?
何故、今、乙女なのか?
なんてことを思うようでは、この物語を読む資格はないのかもしれない。
そんなことを思いながら、読み終えたのであった。
だけど、次の芥川賞は読めるかもしれない。
だから読書はやめられない。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
相当「気合」を込めてとりかかった。
何しろこれまで読んだ芥川賞受賞作品の殆どが「わからない」というのが第1のかんそうであったから。
そして、今回も「よくわからない」というのが感想の大部分。
もしかしたら「芥川賞」というだけで「わからない」ということになるように、私の頭の回線がつながっているのかもしれない。
私はこの作品を文芸春秋で読んだ。
ということは、芥川賞の選評も載っている。
そのなかで石原慎太郎の評が厳しかった。
「こんな作品を読んで一体誰が、己の人生に反映して、いかなる感動を覚えるものだろうか」
私もこの作品が現代を表しているように思えなかった。
「乙女」というのは一種の比喩だとは思うが、そんなもの絶滅したのではないか。
また、こんなに一生懸命勉強する女子大生も存在するとは思えないし、重要な役割を示すバッハマン教授にも現実感はなかった。
現実感とかリアリティが小説の絶対条件だとは思わないが、感情移入できる人物が存在することが必要だと思う。
この作品が受賞作に選ばれたということは、それなりに感情移入できる人たちがいたんだろうと思うが・・・
ちなみに村上龍は「わたしは感情移入ができなかった」と述べている。
ところで、この物語のもう一つの幹は「アンネの日記」である。
ということで、この物語を読んで「アンネの日記」に興味をもったことが収穫か。
インターネットで調べてみたが、戦争とは悲惨なものだということを改めて思ったのである。
何故、今、アンネの日記なのか?
何故、今、乙女なのか?
なんてことを思うようでは、この物語を読む資格はないのかもしれない。
そんなことを思いながら、読み終えたのであった。
だけど、次の芥川賞は読めるかもしれない。
だから読書はやめられない。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。