読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

ROME(ローマ) wowow

2007-07-13 22:03:16 | 観た、聴いた
本日22時より、wowowで始まったドラマである。
本日は24時までの2話である。

ローマのカエサル(ジュリアス・シーザー)の時代のドラマである。
ローマ人の物語を読んでいても、目に浮かぶ、というところがなかったので、今夜は真剣に見るつもり。

というわけで、本日はこれまで。
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明日は我が身の刑法入門 乃南アサ 小説新潮連載

2007-07-12 23:07:23 | 読んだ
小説新潮5月号から連載している。

前段は乃南アサの小説である。
「実際の判例のいくつかを基にしている」犯罪の小説である。

そして、解説、というのがある。
この解説は、甲南大学法科大学院教授 弁護士 園田寿氏が受け持っている。

つまり、前段の小説で犯罪を犯した、正犯、共犯の人たち、あるいは何らかの形でかかわった人たちがどのような罪に問われるのかを、解説しているのである。

まあ新しい形といえばそうであるが、私としてはあまり後段の部分は興味がないのである。
なんとなれば、実際の事件であっても、その犯した罪がどう裁かれるのかということは関心事ではなく、その犯罪にかかわった人たち(加害者、被害者、その関係者)の気持ちとか心とか、これからどう生きていくのか、ということのほうに目があるいは気持ちが行ってしまうのである。

だから、推理小説を読んで事件が解決されても、その後のほうが気になる場合がある。この被害者は、あるいは加害者の関係者はこれからどうするのだろうか、ということが気がかりだったりする。

小説というか物語ゆえに探偵さんや刑事たちはやたら事件に出くわすが、滅多なことで事件なんかに巻き込まれないし、殺人事件など一生に一回もあればそれだけで人生観が変わりそうである。

というわけで、せっかくの斬新な企画なのに、小説部分を読んで終わってしまう私なのでありました。
面白さの余韻のなかで解説されてもなあ、と思うのでありました。

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恋のタネ 柴門ふみ 小説新潮連載

2007-07-11 22:09:36 | 読んだ
柴門ふみの漫画も面白いが、エッセイもなかなか捨てがたい。

小説新潮で連載をしているのは
「50代だからこそ、恋をしよう!
 勇気のわくコイバナ満載の
 連載エッセイ」
なのである。

50代の恋、なのだそうだ。
世の中も変わったものだ。

第1回(5月号)は「世に恋の種は尽きまじ」
第2回(6月号)は「恋は見かけによらぬもの」
第3回(7月号)は「女の第3ステージ」

である。
読んでみると「ひぇー」とか「へぇー」とか思うのであるが『なんだかなあ』という気持ちが出てくるのは否めないのである。

それはたぶん「50代の恋」って美しくおもえないし、見えないからだと思うのである。
そして、このエッセイを読むと、たとえば不倫でも恋でも、いまはスッと踏み出していくようである。

孔子先生は、40にして惑わず、50にして天命を知る。
といってましたが、いまや、40にして初めて迷い、50にして恋を知る、のであろうか。

と、まあ、嘆いてはみても、このエッセイを読むとなんだか面白い。

毎月楽しみなエッセイである。

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月見草 ホントの月見草

2007-07-09 23:24:51 | 
月見草は、昼間しぼんでいて夕方から花を咲かせる。



そのときはピンク色のしおれたカンジのつぼみである。

これが夕方、一転して白い花として開く。
        

「ウソだあ!」と思われるでしょうが、これが本当の月見草だということです。
ちなみに、太宰治が「富士には月見草が似合う」といった黄色の月見草は「宵待花」「大待宵草」というらしいです。
ちなみに参照したのは、こちら↓「ほんとの月見草」です。

http://www.daichi.nu/tukimisou/tukimisou.htm


野村監督が「長島や王が太陽に向かって咲くひまわりなら、俺はひっそり野に咲く月見草」といったということは有名ですが、その際に思い浮かべていたのは「宵待草」だったのではないでしょうか。

この月見草はどうみても野村監督とは思えません。
それに夜に白くあでやかに咲いて、昼間はピンクの衣をまとっているなんて、なんだかちょっと妖しいではありませんか。

ちなみに、白い花とピンクのつぼみがが一緒に写っているものを・・・
              

この写真を見てもお分かりでしょうが、白い花、をきれいにメリハリをつけて移すのは大変なんです。
モノの本によると「露出補正」をする、とありますが、なかなか・・・なかなか・・・です。

今度はもっとはっきりとしたものを撮りたいとおもってます。

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アバノの再会 曽野綾子 週刊朝日連載終了

2007-07-08 18:00:20 | 読んだ
集荷朝日で連載していた、曽野綾子の小説「アバノの再会」が7月6日号で終了した。連載20回であった。

アバノとはイタリアの温泉地である。
妻を亡くした戸張友衛が、教え子に誘われてアバノで温泉保養をすることとした。

そのアバノで戸張は、昔家庭教師で教えていた山部響子と出会う。
響子はバイリンガルでそのために家庭教師で日本語を教えていた。
これが「アバノの再会」なわけである。

響子は「不幸な」といえる結婚をしていた。それを癒すために定期的にアバノにやってきて温泉保養をしていたのだが、32年ぶりに再会したのである。

響子と戸張は、観光や保養をとおして、いろいろな話をして、徐々に親密さを増していく。
そして、いよいよ別れのときが・・・
ということで最終回であった。

なんといいましょうか「大人の」というか昔でいえば「老いらくの」という言葉が前につく『恋』の小説が多くなった。
そういう年齢の人が増えてきて、しかも「恋」ということに対しての拒否感というようなものがなくなってきたので、こういう小説が増えてきたのだろうと思うのだが・・・

なんといいましょうか、だんだんつらくなってくるわけですよ、読んでいて。
それは、登場人物たちの心が揺れるのだが、その揺れが切ないのである。進むべきなのか、退くべきなのか。そして「次」がない恋のようでもあるし・・・

若い世代の恋愛小説は切なくても苦しくても、もしかしたら次の出会いというものがもっといいかもしれない、という希望があるので、たとえその恋が破局で終わっても、それはそれなのであるが・・・どうも大人のというか老いらくのそれは、切ない。

しかも小説上では大体が破局というか成就しない。
もっとも成就する大人の(老いらくの)恋は、なんだか気持ち悪いところもある。

というわけで、この「アバノの再会」はどうなったのか。

曽野綾子の小説は小説雑誌でしか読んだことがなく、ということだから短編だけだったので、初めて長篇といえるものを読んだのだが、ななか面白かった。

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ドラゴン桜<最終回> 三田紀房 週間モーニング

2007-07-07 16:10:52 | 読んだ
週間モーニング連載の「ドラゴン桜」が最終回となった。

ドラゴン桜はテレビ化もされたが(見なかった)、なかなか面白い物語であった。

経営不振になった高校を救うために、東大合格者を出して宣伝をしようとする、経営を任された桜木弁護士。
そのプロジェクトに選ばれたというか応募した、いわゆる落ちこぼれの水野と矢島。
この二人を導く先生。

結局は水野が合格、矢島は不合格(15点不足)だったが、所期の目的は達成された。

この漫画が面白かったのは、東大合格という目的を絞った戦略に基づいた戦術(勉強の方法)が緻密にそして大胆な実行される。

もしかしたらこの方法で勉強したら自分も東大合格とはいえないまでも、相当学力がつくのではないか、なんて思ったりして。

水野と矢島は、最初は勉強が嫌いである。
徐々に勉強はしなければならないものとなり、続いて、勉強をしないと不安になり、そして、最後には勉強が楽しいものとなり、もっと知りたい、という気持ちになる。

東大合格という成長よりも、この成長が感動である。

まあ、最後はお約束どうりみたいなものになったが、ハッピーに終わって、こちらも気分がいいのである。

今後の水野と矢島の活躍を祈りたい。

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新・御宿かわせみ-江利香という女- 平岩弓枝 オール読物7月号

2007-07-06 23:35:02 | 読んだ
今月号は面白かった。
話が、とんとんと進み、江利香という女がいい味を出している。

かわせみに宿泊している、中川春雄という絵師の描く絵はなんと不思議な絵であり、それがなかなか売れている。
売っているのは、畝源太郎の母・千絵である。

その中川の妻・江利香が、かわせみの番頭・正吉や、神林麻太郎、そして畝源太郎に思わせぶりな仕種でせまる。
どうも、若い男なら誰彼なしに迫るようなのである。

迫られたほうは、大変である。
その場面を見られると誤解を受けるのである。
正吉は麻太郎に誤解され、麻太郎と源太郎は花世に誤解される。

その江利香が源太郎の家に行って、追い出されたあと、何者かに殺される。

このあとがすごい展開になり、大どんでん返しが待っている。

事件が解決した後、麻太郎と源太郎と花世で、江利香の墓参りに行く。
その場面で、花世が源太郎の言葉に対して放ったコトバに拍手であった。

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楽天イーグルス サヨナラ勝ち! 

2007-07-05 23:08:36 | 読んだ
いやあー今まで、インターネットで観戦していて、長かった。
最後は、やっぱり「高須」が決めた。

投手陣が踏ん張って、ちょっとヨロヨロ気味だったが、何とかもってくれた。
何度も何度もチャンスが訪れて、やっとこさ、延長10回に勝ったのである。

見ているほうも疲れてしまう。

まあこれで、高須も胸を張ってオールスターに出場できる。

そういえば、オールスター戦、フルキャストスタジアムで観戦できそうである。
イーグルスの選手が活躍するところを見たいものである。

田中が先発して、ダルビッシュだったらいいなあと思っていたり、磯部がヒットででて山崎がホームラン。福盛が9回同点に追いつかれて、高須のサヨナラヒットというのはどうだろう。

というわけで、本日は読書日記を書こうと思っていたが、野球観戦のため延期ということである。
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iPod的な生活

2007-07-04 22:21:18 | 日々雑感
iPodを購入して、せっせと、音楽をためこみ、出勤退社、昼休み、夜と聞きまくっている。

また、今までのHDからデータを移し、データを持ち運んでいる。

これまでは、音楽を聴くといっても、特別に「さあ聴くぞ」と意気込まなければなかなか聞くことができなかったが、今では音楽を持ち歩いている感覚で、気軽に聞いているのである。

音楽が身近になった気分である。

まだ音楽とデータしか持ち歩いていないが、実は「本を聞くことができる」というのも、iPodを購入した一つの理由である。

本を聞くというのは、どういうことなんだろう?

どちらかといえば、参考書みたいなもののほうがいいらしいが、是非聞いてみたいと思っている。
ただ、まだその方法がよくわからないのである。

というわけで、近頃なんだか、ちょっとかわった、カンジなのである。

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新選組 二千二百四十五日 伊東成郎 新潮文庫

2007-07-02 22:55:58 | 読んだ
この本は出張のときに読む本の「主役」として購入。
久々に「新選組」を読みたかったのである。

ところで「しんせんぐみ」とうつと「新撰組」と変換してくれる。
でも、本書の題名は「新選組」である。
これは何故か?
本書を読むと
「特定を見ていない」
となっていて
「さほど神経質になる必要はないかもしれない」
としている。

私、この考え方には大賛成である。
「新選組」という名称の特定が枝葉末節なことなのか、という意見もあろうが、私にとってはそんなことは枝葉末節なのである。

それより、幕末に新選組が果たした役割、のほうに興味がある。
新選組がなぜ今になっても人気があるのか、のほうに興味がある。

さて、本書であるが、新選組について資料を基に検証をしているのである。
ところが、これを邪魔するのは、例の子母沢寛の新選組3部作である。
これが、本当のようで実は創作だったりして・・・
あれはあれで面白いのだが、逆に言えば新選組のイメージをあまりに固定化しすぎてしまったところがあるらしい。

本書を読むとわかるのだが、新選組についてはよくわかっていない部分が多いようである。
なにしろ新選組なのか新撰組なのかさえ判断がつかない状況なのである。

面白さ、ということでいえば、子母沢寛、司馬遼太郎、池波正太郎の小説がいい。
しかし、これらはやっぱり小説であって、ホントのことを知りたい、というのであれば、本書はいい。

4ページくらいにまとめられたお話は、それなりに面白い。

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お美味しんぼ -99- 究極の料理人“秋編”“冬編” 作:雁屋哲 画:花咲アキラ

2007-07-01 23:10:34 | 読んだ
とうとう99巻になったのである。

今回のメインとなった「究極の料理人“秋編”“冬編”」はそれぞれ3話づつある。
これは、山岡の盟友・岡星がうつ病になったのを、京料理の西父子の料理を食べさせ、なんとかうつ病から救い出そうというのが、話の柱である。

とはいえ、やはりメインは料理。
だが、どう説明されても作り方から描かれていても、想像がつかない料理なのである。そしてたぶんこれらの料理はいわゆる「高級」なものである。

お美味しんぼ、が社会に与えた影響というのは大きい。
現代の食、というものに対する警鐘から始まり、食文化を後世に残す、というような展開である。
そして、本物を自宅でどのように食べるか、ということもあった。

ところが、いつの頃からか、いわゆる庶民性みたいなものがなくなって、高級志向になってきたような気がする。
高級志向がいけないというわけではないが「なんだかなあ」という気持ちもある。

で、このお美味んぼの影響を社会は確かに受けているのか?
ホンモノ志向、自然志向は社会にどれだけ溶け込んでいるのか?

近頃起きたなんとかミートの事件などは、本物志向を逆手に取ったような手法である。
そしてあの社長がいみじくも言ったように、安いもの志向、というのが販売店や消費者にあることも事実である。

本当にいいものを安く仕上げたいなら、自らが仕入れて作るしかない。
しかし、現代の人は、食に対する欲求が深いのと同時に、自分では作らないし「早さ」片一方で求めている。

いつでもいつでも本物志向で自然志向で「手作り」の料理を食べられるわけではないことは重々承知である。
世の中、お美味んぼのような食を志向する人たちと、安くて早くできるものを食べている人たちと、両極化しているのではないだろうか。

我が家でも近頃のカレーライスはインスタント系であり、弁当のおかずの鯖の味噌煮も出来合いのものである。

近頃、お美味しんぼは、ここまでつきあったのだから、という気持ちで読んでいたのだが、今回はちょいと考えてしまった。

もっとも今回の第1話「パンケーキの調べ」とか第3話「病院食にも喜びを」(前編・後編)は、初期の頃の思想が継続されているような感じがして、心地よく読むことができた。

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