ある研究者の先生が
「今の生徒は、あの機械がないと研究できないとか、あれがないとできない、これがないとできないというが、自分たちの時は、無いならないで作るか、工夫することを考えたものだけれど・・」という話をしていたのを覚えています
これに似た話で・・・
ある医者のお話しでマンガで患者さんが急変をおこし、そして周りの先生たちは
「器具がない」と騒いでいたのですが、その主人公の医師はあるものを代用し、患者さんを救う・・というお話しでした。
あれがないとダメ。
こうじゃなきゃダメ。
これじゃないと・・・したくない。
・・・そんなお膳立てを要求するなら・・・あなた、お子ちゃま???
工夫してほしい。
よく夫が
「あれはないのか?」
「これなら要らない」
「俺は言ったはずだ」
「なぜ言ったことができない」
・・・等、自分の希望したものがなければ、ダダをこねるか奥さんをにらむか、怒鳴るか・・・
ちっちゃ・・・この人。
「そうか・・・無いなら・・代用は・・・」とか
「気にするな。それより次を考えよう」とか・・・
言ってくれたらいいのに。
いつでも柔軟に頭を働かせられないのなら、全部自分でやればいいのよ
自分の思った通りにならなければ・・・相手を怒って・・それで楽しいんだから。
そんな人、いらない。
起きた現象に対して対応できない自分の苛立ちを相手にぶつける人なんて・・・
要らないでしょう?
地下鉄の休憩室でず~~~っとご主人が奥さんに文句を言っている。
内容は・・奥さんが何かを忘れてきたようで。
回りの人たちは気まずい顔をしている。
でもみんな考えは同じよ。
「そんな夫と別れなさい」
だって・・・忘れたなら、取りに行くか、それとも代用を買うか・・・
相手に時間の変更を求めるか・・・
やり方あるもん。
この世に一つのものなら取りに行かざるを得ないけれど、でもそれでいいじゃない・・・
忘れて困るものなら・・・ご主人に
「お前が持て」と言いたい。
あ~~あ・・・・ふるらんがあの奥さんの親なら・・
「早く○婚して・・家に帰っておいで」と言うと思うけれど、間違ってる???
先日、知人に偶然会ったとき、あれ?と思ったら・・・三角巾で手を吊っているので
「え?骨折ですか?」と聞くと、
「はい、転んで手をついてしまって・・」というので、
「痛かったでしょう・・・・かわいそうに・・」と言うと、
「ありがとうございます。やっと落ち着いてきたところで・・・」と言うので、
「いや・・・だって骨折ですよ、痛いですよ。何よりも痛いですよ・・・寝れないし・・生活不自由でしょう?」と言うと、
「そうやって言ってもらえると嬉しいです・・・」というので、なんか変だな・・と思って
「誰かに何か言われたんですか?」と聞くと
「ええ・・・まぁ・・・」と言うので、ん・・なんか変・・と思って、チャネリングすると何か数人の人に言われている風景が見える・・・
「もしかして・・・誰かに信心が足りないとか言われたんじゃない?」と言うと、
「そうなんですよ・・・・わかりますか?(ふるらんの仕事は知らない人です)」というので
「だって・・・人の○幸せの時に何かいうって・・・~~~か~~~か~~~の人ですから」というと、
「実は・・・・」という話で、案の定、言われたらしい・・・
「信心が足りないからそうなったんだ」と。
あのねぇ・・・・・・確かにそうかもしれないけれど・・心も体も痛い時に、そんなこと言わないでいいでしょう・・・
じゃ・・あの世に行った人はみんな信心たりないのかな???
病気になったり、怪我をしたり・・・いろんなことが起きるのは・・確かにそうかもしれない“部分”はあるかもしれないけれど・・・
でも、でも人が痛い時になお、そんなこと言わなくても・・・
起きることはしょうがない。
多少の防衛は日々していても・・・起きることは仕方がない。
だって・・肉体があれば、怪我をするんだし。
外で一生懸命働いている人が風邪をひいたら
「外で仕事をして体を冷やすからだ。信心がたりない」の??
う~~~ん・・・・
う~~ん・・・・
お釈迦様はそんなことを言われるのかな???
ふるらんなら・・・
「痛かったでしょうね。今辛いでしょうね・・・でも大切な顔にけがなどされなくてよかったですね。
私でできることなら何かお手伝いをしますので・・・何かありませんか?
そして今度はそうならないように日々気を付けて行きましょうね。
早くなおるといいですね」と言いますが・・・
何歳になっても・・
何回生まれ変わっても・・・
骨折の人に痛い話はいうつもりはありません・・・・
たぶん、自分自身にも。