ある方ご紹介でお会いしたお話です
50代男性のお話です。
営業をされていましたが、成績があがらずとうとうクビを言い渡されました。
奥さんに報告しまして、
「それなら新しい職場を探して、この際だからおじいちゃん、おばあちゃんも一緒に暮らして、みんなで支え合わない?」と言われたそうです。
しかし彼の中で今までフツフツと思っていた想い・・
「僧侶になりたい」と切り出したそうです。
奥さんからは
「とんでもない生活はどうするの」
そしてそのお話を家族にすると全員からの猛反対
(そうですよね・・すぐ収入になるどころか、住職で無い限りお給料は少ないですから)
家族、親戚を巻き込んでの大騒動になったそうです。
そしてまもなく奥さんからの
「僧侶になるなら離婚して欲しい」と言われたそうです。
「そんなに僧侶になることがいけないことなのでしょうか?」と彼がお話するので、私は
「僧侶の問題より先に生活のことがメインでしょうね」とお話しすると
「私は今まで頑張ってきたのに、まだ自分の好きなことをさせてもらえないのですね」と言われたので
「それでは奥様に仕事を辞めてもらって好きなことをさせてあげましたか?」と聞くと、無言になってしまいました。
家族です。
みんなで公平に自由になるのが本当ですもの。
聞けば1年間全くの無収入。
それは奥さんが怒るわけですし。
もちろん知ったほとんどの人は反対と言うでしょうね。
どうやって食べていくの?という事です。
お子さんがおられます。
まだお金がかかるのです。
元々信心深かったのでお経のことはすべて読める方でした。
心の底は僧侶になりたいと昔から思っていたと思います。
しかし・・現実はまだお金がかかる。
奥さんの収入だけでは生活を支えられない。
奥さんからすると離婚して実家に帰り、夫を背負うのを辞めるのが一番良い選択になります。
しかし奥さんが居なくなると自分の貯金を取り崩して、1年我慢するしかないのとその先には給料も少ない生活が待っている。
僧侶になったとしても立場は一番下ですし、お給料は少ないですし、大変なのです。
完全にお寺に入っていくのならまだしも、その宗派のお寺は通勤ですから、奥さんに支えてもらおうというのは甘い。
「○年後に僧侶になりたい、とお話していけば良かったのです。それなら奥さんを説得できたのと思います」と私が話すと
「新しい職場で頑張る勇気よりも今から僧侶になる努力に向かいたいと思っただけなのです」と言われました。
うん、わかります。
わかりますよ。
そうしたいですもの。
私も僧侶になりたいです。
でも、私を支えてくれる人は誰も居ないですもの。
もうかなり前ですが、高野山の御僧侶ととある御山の阿闍梨様と出会いがありまして、
「僧侶になりませんか?」とお話があり、それにかかる金額を聞いたときに驚き、
「お金がありません」と答えました。
そして
「父や母、家族が居たら・・」と深く思いました。
(まぁ・・これが甘えなのですがね)
僧侶になるためには学校に行くことでなれます。
しかし、学校以外にもお金がかかるのです。
昔とは違います。
昔はお寺に入り、1から修行して、ご飯も頂いて・・
お布施や、野山のものを食べていました
でも現実の今の時代は
この間の保険やら支払いやら・・
昔には無かったお支払いがあります。
これ、誰が払ってくださいます?
家族しか居ないのです。
「元々僧侶の方です。あと○年、我慢できませんよね・・このままですとしなくてもいい離婚もしますし、お子さん達とも疎遠になります」とお話すると
「仕方ないです」と言われたので、
「仏道に入るために不徳を積むのはあまりおすすめできません」
「そうですよね、自分でもわかっているのです。でももうお寺に入りたいのです」と言われました。
会社のこと、
家庭のこと・・
たぶんもうお疲れなのです。
お金の余裕さえあれば、
「はい、やりたかった僧侶になってください」になります
私からは
「もう僧侶になるつもりでご相談にこられていると思いますので、それではその先のお話をさせて頂こうと思います」とお話しました。
彼から感じるお寺のことや、
修行や視えていることをお伝えしました。
それと、
「どんなに少なくても父親としての役目は果たしてくださいね」とお話しすると
「わかりました。貯金を渡し、一年後から家族に仕送りをします」と言われました。
その一年後、そのお方とお話する機会がありました。
私がお話していた注意点がそのまま現れたので、心の準備があってよかった、ということでした。
仕事を辞めて仏門に入った人も数人見ましたが、辞めていかれ、自分だけ残っているそうです。
先に聞いておいて良かった、と思ったそうです。
毎日、早朝起床、食事の用意、掃除、お経のお勉強の修行だそうです。
「ふるらんさんに言われたように繰り返すことの辛さを感じています。でも言われたように辛さの中に喜びを感じることが出来るというのが仏の世界ということもわかりました」と言われました。
奥様、ご家族様の辛さは彼とは違います。
仏門に入る者は感覚が異なるのです。
人とは違うこの感じ方は
一般の人から見ると違和感でしょうね。
ただ同じにおいのするものにとっては
「わかる、わかるわ・・その気持ち」なのです。
ふるらんも
男性だったらな・・・と何回も思いました。
ある女性の言葉です。
「自分が男だったら、すべてを振り切って僧侶になっていたわ」