電影フリークス ~映画のブログ~

電影とは、映画のこと。その映画を一緒に楽しみましょう。

龍の忍者コレクション

2025-01-20 14:00:43 | 呉思遠と思遠影業

こんにちは、醒龍てす。


120

ちょうど14年前に龍の忍者の記事を書きました。

前回記事はこちら

https://blog.goo.ne.jp/leecoo/e/a3fd72295a7a5a07c2b0567961d50d2b


主演の真田さんと言えば、第82回ゴールデングローブ賞で、見事テレビドラマ部門の主演男優賞を受賞されたばかり。ドラマ「SHOGUN 将軍」が見れないので(アニタDC以来解約してしまった!)ちょっと残念な気持ちですね。真田さんら日本人俳優が海外で評価されて良かったと思います。


その真田さんが忍者になってカッコいい顔がアップになっていた海外のDVDがあったんですね。海外デザインは割と良い物がありますけど、あの前回記事に書きましたHKレジェンドDVDは、とうに処分してしまったような気がしてました。が、なぜかまだありました(笑)



結局、コレが1番お気に入りディスクです。14年後のいま現在はといいますと、実はディスクがいろいろ増えてます(笑)


国内DVDは、あの記事を書いたあと無事購入できました。いつの間にか何枚か増えていて、特に嬉しいのが海外版ブルーレイ!

そして、韓国やタイのDVDまで仲間に増えてます(笑)。タイバージョンの音がかなり良くて、音だけならこれが良いかと。



実は台湾バージョンが1番長いけど、他のはPALだからね。

最近は2KとかのBDリリースの流れもある訳なんですけど、こんなのを望むのはちょっと欲張りでしょうか

国内で日本語入りBDが出ればいいかな?


最近は、時代に逆行して個人的レコードブームも来てまして、休日は近所のショップでレコードを漁ったりしています^^

シングルのレコードは本当に懐かしいアイテムでして、簡易的プレイヤーで主題歌など流して聴いています。



そういやこの映画の主題歌レコードを買ったのはいつだろう?

8384年頃になるかな。この「LEGEND OF THE NINJA」という曲は、ゆっくりフェードインしてなかなか始まらないイントロ部分があたかも忍者が出没しそうな夜の静けさをよく表現していたと思う。

でも"Shaka Ninja" とはよく考えたなぁと思う。耳にこびりついて離れない♫


ちょっと当時を振り返ってみます。この作品が日本で劇場公開されたのは82年なのだけど、翌年になって「蛇鶴八拳」と同時上映もされ、それを是非とも観ようと友人共々4名で東映の映画館に行ったのでした。タイミング良くて、並びはしなかったけど、中はかなり混んでいて前の方の席が空いていたのでそちらへ。でも途中から入ったので龍の忍者の始めの方は見れず、オープニングも見逃してしまった。観たのは孫靖がちょうど孫悟空の格好をする場面からでした。あっという間に最後まで観終わると一応はハッピーエンドなのかな()。ラストはピシッと締まってたし、まぁまぁ面白かった。


しかし、その時は真の面白さにまだ気付いていなかったのです。初めてみるアクロバティックな忍者アクションの映画だったけれども、真田広之主演で他の日本人俳優も出ていて、邦画としてライトな感覚で観ていたのだと思います。


真田さん、川の中での撮影続きで風邪ひいちゃったそう



なのでパンフも買わず(これは後になって友人に無理を言って譲ってもらうことになるのだが(苦笑))、正直あまり眼中に無かったのかも知れない。

そのパンフは、もうすっかりボロボロ。。なかにレコードの歌詞カードがはさまった状態になってました。


結局、陳志峰という人がボーカルなのかどうかは不明だけど、いわゆる東映の主題歌ではクレイジーモンキーやモンキーマンと同じ歌手ではないのか。


そうこうしているうちにTBSで最初のテレビ放映があったんですね。83年だから公開からオンエアまでが随分と早かった。この吹替版はTBSで放送された後、フジの深夜枠でも放送されましたね。

私はこの深夜に放送したときの番組を標準で録画しておいたのです。残念ながら今はあまりやらなくなってしまった年末映画劇場での放送でした。



そうそう、火がついたのはもちろんこのテレビのオンエアを観てからになるんです。コナン・リーの声をアテたのは何と石丸さん!

このキャスティングは役にハマっているし、大正解だったなぁ。

とにかく石丸さん自身がノッてていい感じだし、何度聞いても「上手い!」と関心してしまう。最高だったと思う。

ちょっと脱線しちゃったりすると石丸さんの当時の香港映画の吹替は、TBSでは木人拳や秘竜拳、成龍拳と割と地味な笑いの少ない作品が多かった。(これは決して悪い意味ではないけどね)

その点、この映画はバカ明るいコナン・リーだからハマった訳なのです。


ところで、コナンリーは呉思遠がどこからか見つけてきた秘密兵器のマッチョマンである。名前の由来はシュワルツェネッガーのコナンから取ったもの。

当時はコナン・ザ・グレートという(これも好きな分野!)ファンタジー作品があったから多分そういうことなんだろうね。



コナン・リーの原語の声がこれまた広東語のジャッキーと同じ声の人!

(何だそうなんじゃないか()。あちらでもそういう扱いだったんですね)

あとテレビではカットされている部分や、日本語のセリフがかなり混ざっていたことが改めて判った。

確かに真田さんが必死に汗かきながら広東語を喋っているシーンは印象的だけど、長い間吹替を観ていたせいかマヒしている。あれ?ビデオも日本語喋ってるじゃない。

広東語オリジナル全長版って書いてあるけどよく聞いてみるとこのビデオのセリフが

オリジナル(これもアテレコか!)と思うがテレビのセリフと似てはいるが微妙に異なっている。


映画の内容はいま冷静に観るとツッコミどころ満載の映画だが、子供に受ければ心配無用。呉思遠に騙されていたとしてもいい。

さて真のおもしろさはどこにあるのか。これを少し真剣に考えてみる。


忍者について福佐が若い頃、重病にかかった子供の孫靖を背負って、距離が30里というから約120kmを走ったという説明があり、忍者とは凄いのだ、並みの人間ではないのだ、というちょっとした筋立てではあるが、まずはそうしたところから見入ってしまう。

この細かい辺りから、引き付ける魅力が生まれているのではなかったのかな?

アクションの振り付けは当時の一流のものだろうけど、俳優自身が頑張っているというのもあって真田さんの意地も当然あったと思う。JACが絡んでいるし、大きいアクションはJACらしさを出している。そういうものが積み重なって完成度を上げている。途中までは()

山道での丹四郎と福佐の会話のシーンは、この映画の中で好きなシーン。なぜ玄武が恨みを晴らさなければならないのか。その辺を考えさせるセリフである。


忍者映画は80年代、アメリカでショーコスギの「燃えよ忍者」が大ヒットしたのだから、その影響を受けているとも思える。忍者映画のルーツは果たしてどうだったのかなと考えてしまう。ただ、これほど好きな忍者映画は他にはないかもね。


では、乾杯!


おしまい









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呉思遠が監督デビュー作『瘋狂殺手』を語るトーク番組

2025-01-03 11:59:53 | 呉思遠と思遠影業

こんにちは!

あけましておめでとうございます。

醒龍です。

今年も宜しくお願いいたします。


2025年の今年、気になるキーワードがいくつかありますね。

昨年は大阪に足を運ぶことが何度かありました。今年は大阪万博が4月から半年間開催されますね。ガンダム館もいいけど、カジノが出来るらしい。2日間のチケット代込みで6万〜9万円ですよ。ちょっと期待しています。


あとビットコインも非常に気になりますね。某サイトで簡単に売買出来るんですけど、どんなものか少し興味をもって接するのがいいと思います。が、深入りは禁物ですね。。


そして、サイバー攻撃。どうなんでしょうね。航空会社とか大手銀行までホントに多くて。当ブログもサービス停止によりモロに直撃をくらってしまいましたので、記事もしばらく編集どころか参照すら出来ない状態に陥りました。3日の午前中にようやく復旧しました(汗)。


こんな状態の2025年、まだまだいろいろ新しいニュースが出てきそうで、全く先が読めませんが、面白いコンテンツを見つけては楽しんでいます。


さて、最近ハマってます、文雋。

きょうもユーチューブでMAN's Talkチャンネルを見てました!

チャンネル登録者も10万人超えの人気チャンネルなんですよね。(知っていましたか?)


テーマがいくつかあるように思えますけど、個人的には、とある大物プロデューサー、映画界ではお偉いお方でありますけど、その回が大変興味深く、とても気に入っています。


ということで、今年の一発目は呉思遠(Ng See Yung 、以下NG)が1971年、邵氏を出て実質的な監督デビュー作となった『瘋狂殺手』を自ら語るという、大変貴重でうれしい動画をご紹介しちゃいます。




私自身は、NGがいつか昔の話を全部話してくれたりしないかな?こんな事をずっと長年夢見てました。

とりあえず今回は、1971年映画製作当時のエピソードや出演者について記憶に残る内容を語っており、電影フリークス的には『瘋狂殺手』のレビュー記事を以前に書いてましたので、これはかなりうれしいトークでしたね。


以前書いた記事はこちら

デビュー作『瘋狂殺手』はジャンルとしては武侠片になります。NGはピーター・オトゥール主演の名作「アラビアのロレンス」(61)を挙げ、その馬の走るシーンを見たNGは、沢山の馬が砂漠を走るシーンにとても感動したと言ってました。

邵氏を出てから初めて撮ったこのデビュー作で、壮大なシーンをやってみたかったんですね。これにはちょっとビックリ。そんな映画の全体的な話や、高遠、馮淬帆や歐陽珮珊と主要なキャストについてもユーモアを交えて振り返る内容でした。ちょっと前の映像ですけど、ほんとうに当時の事をよく覚えてますね(笑)。



そして、その流れで次の映画に関しても語るNG。そう、アレの事です(笑)。

CKTこと陳観泰の例の契約話。

余談ですが、実は彼の主演作の中では『仇連環』が一番好きですね。(レビューはまたいずれかに)

で、なんでも張徹の家まで押しかけた(というか、NGが張徹の事を話すなんて、これ自体も初耳!)話をしてました。まぁまたつぎの機会にでも取り上げてみますが。


ということで、昨年クラファンでゲットしたお酒で一杯やりながら、先月発売されたばかりの帰って来たドラゴンのブルーレイ見たりしています。




The Amabuki Omachi Junmai ginjo strawberry-yeast. Brewed by Amabuki Shuzo Since 1688

#HappyNewYear2025





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セレクテッド呉思遠

2015-08-30 23:34:00 | 呉思遠と思遠影業

こんにちは。お久しぶりです。管理人の醒龍です。
今回は、呉思遠(ウー・スーユエン)が
監督した作品も含め、製作にかかわった作品の中から、個人的にどうしてもはずせない作品をピックアップしてみました。
呉思遠については今までにブログでもいろいろ取り上げて書かせてもらいました。まぁ好きなんですよね。
たまに振り返ってみないとすぐ忘れてしまいますし(苦笑)、まずはこれら作品群を軽くおさらいしてみたいと思います。

呉思遠という人は、香港電影導演會の名誉会長でもありますが、有名な思遠影業公司(シーゾナル・フィルム)の創設者なのであります。
最近では「狼牙・ライジング・フィスト」や『功夫詠春』(国内未リリース)といった作品があります。
海外では苗字が呉ということでNG(エヌ・ジー)と呼ばれている人です。
当時は厳しい監督だったそうなんですが、
監督もやってたのにNGとは笑えるニックネームです!(モチ、NG連発してる・・という意味ではないでしょうね。念のため。)

肩書きはプロデューサーでOKだと思うのですが、一部では残念ながら映画監督としてしか認識されていない映画人。
(日本では”ウー・シーユエン”名義が一般的。)
過去、ジミー・ウォング、倉田保昭、チェン・シン、ブルース・リャン、王道、ジャッキー・チェンなど大物スターに注目して彼らの映画を作って来た人物です。

そして映画もヒットさせたのですから、功績はとても大きいですよね。
私も大好きな映画を数多く残してくれていますので本当に感謝しております。

※これ以降、NGと表記しました

(1)「吼えろ!ドラゴン、起て!ジャガー」(70)DVD発売

ジミーさんのポーズ。手がデカいなぁ(てか顔ちっちゃ)
  ショウブラ時代にジミーさんと協力して作ったであろう作品。  
  廉価で出たDVDにはオリジナル・ポスターが!涙モノですね。  

(2)『瘋狂殺手』(71)(未)

酷く画質の悪いDVDソフトでしたが、悪事を重ねる将軍の息子役。

ここで、武侠片も入れてみました。フォン・ツイフェン主演の 
武侠片でショウブラの物とはちょっと違うんです。(これは以前紹介の記事を書きました)        


(3)『蕩寇灘』(72)(未)

こちらが渡瀬恒彦みたいな面してる于洋です。
インタビューなんかでも割と名前が挙がってくる作品で      
余程気合の入った作品だったのでしょう。             
NGはその後、于洋を使って主演映画なんて考えなかったのか 
それが実現することはなかった・・・。               
それにしてもチェン・カンタイがNGに借りを返せたのかとても気になる(笑)。

(4)『餓虎狂龍』(72)(未)

倉田先生のキック&ランパフォーマンス!!
『蕩寇灘』で倉田先生を呼べなかったリベンジ的作品。中国人的には龍と虎
の関係というのは日本人が持てない感覚があるのしょうね。    
私も理解している訳でもないんですが、この頃は不思議と強く感じるんですね。
  
(5)「帰って来たドラゴン」(74)劇場公開

ふたりのBAKUGEKI空中戰
これはまた近いうちに見直してみたいと思っています。
(またその時にでも・・・)             
 
(6)『南拳北腿』(76)(未)

ジャッキーも韓国のココの石像の前で撮影してました!
NGが王道を代わりに拾ったような感じに見えますが・・。
まぁそれにしてもNGが黄正利をどこでファーストコンタクトを取ったのか
疑問に思います。

(7)『スネーキーモンキー蛇拳』(78)

先日の上映イベント、行きたかったネ!
『南拳北腿』から「蛇拳」までの動きというのがとても  
興味深い時期ではあります。あの南拳北腿も今後、もう少しいろいろ
観ていきたい作品ですよね。  

(8)「死亡の塔」(81)劇場公開

「ドクターモローの島」のポスターが。
そして、脂肪・・じゃなくて死亡の塔。(本当にIMEで日本語変換された(笑))
実はそろそろBDを入手したいなぁと思っているのです。新しいネタはもう無いのか!?

 (9)「龍の忍者」(82)劇場公開

 タイポーさん、お願いします!って何を(笑)。
御存知、龍の忍者です!私が高校生ぐらいまでは一番好きでした。どうして
日本人であるキャスト、スタッフはあまり語ってくれないのでしょうか。

(10)「激突!キング・オブ・カンフー」(82)ビデオ発売、DVD未発売

「先生~」(ヒゲ無し梁家仁さん)

袁和平版『霍元甲』であります。これはマジで泣けました。      
梁家仁の顔つきが明らかに違います!霍元甲という人物の伝記ということの 
意味が大きかったのでしょうか。倉田先生を先生にするなんて最高!

 あと、以前こちらに記事を書きましたチャールズ・ヒョンの主演作『紮馬』(78)ですが・・・

意外にもNGが策劃やってたりとこれは何だろうなと思ってしまう。
そうすると、ロイ・ホランのデビュー作、BRUCE LEE'S SECRET(76)とも何か関係ありそうな予感はするのですが・・。


(おまけ)「宋家の三姉妹」(97)劇場公開
たまに文芸作品のプロデュースもやったりする。
この「宋家の三姉妹」は、中国の近代史を勉強する人に向いてる作品でありますね。
数年前のあの孫文ブームは何だったのか。来年はまた何かのブームが来てほしいと思いますね!

 

 

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龍之忍者

2015-01-01 00:00:00 | 呉思遠と思遠影業
「ラッシュアワー3」を近所の映画館で観て来ました。当然ながら事前に情報を耳に入れないようにして鑑賞しました。(もちろんビッグな2人の共演は聞いていましたが。)個人的にはハリウッドの娯楽映画として満足のいくものだったと思います。

その昔、これはもちろん共演とはいかなかったのですが、同時上映という形式を取り「龍の忍者」の真田広之と「蛇鶴八拳」のジャッキーを同じスクリーンで時間をずらして見た事がありました。その時の興奮を味わうとかそんな大袈裟なものではありませんが、それから20数年経過して待ち焦がれた夢の共演でもあったのです。

今度こそ正真正銘2人が同じ映画で対決する場面を直視し、しっかりと目に焼き付けて来ました。この「ラッシュ3」のパンフレットには興味があったのですが、やはり真田の関連記事でその「龍の忍者」に言及しているテキストは無論ありませんでした。(出演作としてのみ紹介)

しかし「龍の忍者」を再度クローズアップして忘れ去られてしまった真田の勇姿を思い出す良い機会ではないでしょうか?当の私は観たい衝動に駆られてしまいました。これは皆さんがいつも御覧になっているものでいいと思います。

てっとり早く観るには東映から出ていたビデオがいいですね。レンタルビデオでもしかしたら借りることが出来ると思います。(こちらは劇場公開版)都内の大手ショップにもありました。

今更ですが「龍の忍者」には忍者映画に香港のテイストが加味されオープニングから気合いが入っていたと思います。(ショーコスギ「燃えよニンジャ」のオープニングをも凌駕していたと思います。)ここまで斬新でスタイリッシュなオープニングがあったのかと。私が香港映画の素晴らしさを教えてもらったのは、まずこの「龍の忍者」のオープニングだったと言っても過言ではありませんでした。(若い世代を魅了する麻薬的要素を秘めていたという意味です。)

また韓国の黄正利が素晴らしい足技も披露していたと思います。彼が出演していたこともあり、この映画は韓国でも公開されましたが、ロビーカード(画像参照)を見ると、この韓国バージョンにしかないシーンが含まれている可能性が高そうですね。残念な事に未だ全貌が明かされていないのですが、もしかしたらその映像はもう現存していないのでは?と思ってしまいます。

黄が登場するあたりからコミカルな要素が強くなりますが、ここから展開が急変することになります。娯楽を追求する為、呉思遠は神打王のシーンを入れたそうです。この部分、賛否両論で意見が分かれるところですが私はどちらでもいいのではないかと思い始めています。気になるのはそうした議論よりもこの映画を現在、日本人が馴染みのある日本語バージョンでは鑑賞できないという状況が残念に思えて仕方ありません。

最近は旧作香港映画のDVDにも過去の音声や新規録音により日本語が収録されるようになってきています。この状況はメーカーサイドの理解により間違いなく変わってきています。こうした背景にはやはり視聴する側の要望が強かった為であると思うのですが、本当に良い方向性だと思います。


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呉思遠『七百萬元大劫案』

2015-01-01 00:00:00 | 呉思遠と思遠影業

呉監督が初期のころに撮った犯罪映画(1976)。

モデルとなった恒生銀行

75年の強奪事件をモチーフに刑事、犯人たちの人間模様を描いてます。

700萬元っていくらかな。えっ、米ドル札?? 

この時期の現代劇にはお約束のカーチェイスはもちろんあります。

主演はラム・マンワイ(林文偉)。彼が犯人グループの主犯格。
右:林文偉(左は劉鶴年)

「プロジェクトA2」に出演してたこちらの警官を覚えている方もいらっしゃると思います。

こちら↓

 わかりますか?

そして、ちょっと若いリー・ホイサン(李海生)がごく普通の刑事役。この時期の現代劇は珍しい。(当時はアクションも無いこんな役も演じた。)
リー・ホイサン


犯人グループのメンバーには大細眼(やっぱりこの人!)や、劉鶴年、そして若い若いチャン・ウーロンも登場してます。

チンピラ役のゴローちゃん。若いな。

75、6年は呉思遠が新しい映画を撮ろうとしていた時期で、この映画に出演と言われていたブルース・リャンは出演していません。リャンや倉田保昭の映画から離れる格好になると思います。どんな心境の変化があったんでしょうか。
世間を騒がせた事件を映画の題材にするという映画監督らしい読みがあったのかも知れませんよね。

本当の事件の方は解決したのかどうか分かりませんけど、最後は逮捕されてジ・エンド。
時代を感じるドラマでした。

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瘋狂殺手

2014-01-01 00:00:00 | 呉思遠と思遠影業



呉思遠が邵氏から抜けた後に製作した作品で割と有名なのが『蕩寇灘』(私は音読みで分かりやすく”トウコウタン”と呼んでます)ですが、これより少し前に撮った作品がありました。初監督した『瘋狂殺手』がそれです。71年という時期の武侠作品で『聾唖劍』と同じ明星公司の製作。共同で羅臻(同じく”ラシン”)監督がメガホンを取っている。(正確には呉思遠が執行導演という役割を負っている。)
呉思遠と武侠片ってあまり結び付かないのですが、この時期は武侠片が流行っていた事もあり呉思遠も流行に乗っかったのでしょうね。

今回この記事を書くまで羅臻監督のことを忘れてました。(もしかして呉思遠の師匠か?前の記事)少しも有名でないのでこの監督について知りません。邵氏時代からの付き合いと思いますが彼を追って行けば「龍虎闘」以外にも呉思遠がしたという助監督の仕事にぶつかるかも知れません。



またこの作品は袁和平初の武術指導作品である様です。邵氏を飛び出して向かった先はまず呉思遠のところだったということになると思うのですが、アクション監督で世界に名を広めた彼も最初は袁祥仁と共同ですがこの作品からはじまったのかと思うと感慨深いですね。

これ以降袁和平は独立製片公司で呉思遠とも手を組むことが多くなり、その道を突き進んでいきますが、最初は功夫片ではなかったんですね。この作品で出演もしているようですが、袁祥仁ら他のメンバーも参加してますので袁家班(のちの)の映画でもあるようです。

今回初めて分かったのですが袁日初も確認できました。

この作品で袁和平はアクションを構築するという職業に就いた。

タイトルロール演じる高遠は、70年に大ヒットしたローウェイ監督『五虎屠龍』(この作品のDVD化は非常にうれしい!)にも高家五兄弟の一人・高勇役で出演していた俳優。(彼もショウブラからシフトしてきた人物か!?)この時期人気を集めて数々の武侠片に出てて引っ張りダコ状態。。

あまり活躍しませんが(苦笑)脇役に馮淬帆。同時期には嘉禾の『鬼流星』にも出演。この人若い頃は時代劇もこなしてたんですよね。

ヒロインにまだ新人の歐陽佩珊を起用。

肝心の脚本は郭嘉。邵氏の『大殺手』(楚原のチャンバラ映画)なんかもそう。同じ羅臻監督と郭嘉のコンビにはジミーさんの『縦横天下』もあるようで。

ストーリーは嘉靖帝時代の海瑞・徐階のエピソードを一部下敷きにして展開されているようです。(文革で取り沙汰される「海瑞罷官」が有名かも。)

孤児だった馬天野(高遠)は江南大侠と呼ばれた師匠の林太清(謝之)に剣士として育てられた。
林の娘・彦萍(歐陽佩珊)は天野を慕っているが、林が兄弟子・宮昭南(馮淬帆)と結婚させると決めてしまったことから天野は正気でいられなくなり彦萍と一緒にいることすら出来なくなっていた。

兄弟子も彦萍が自分を愛していないと悟り天野を説得するが聞き入れてはくれない。言葉では解決できず激しく剣を突き合う二人であった。・・が、天野は追い詰められ崖から転落してしまう。その崖は落ちれば到底生きてはいられない絶壁だった。彦萍は泣いて宮昭南の顔を見るが言葉は出なかった。

林大侠は事態を知らされると宮昭南を問い詰め息子の様に育てた弟子が死ぬはずがないと豪雨の中を現場まで走って叫んで懸命に天野を捜索、崖下を覘くが天野の返事は無く弟子の死を認めざるを得なかった。

実は天野は崖に腕でしがみ付き自力で這い上がって奇跡的に生き延びていたのだった。偶然に崖の隙間から洞窟を見つけた天野は中へ飛び込むと、そこは長い間人が足を踏み入れていない様子であったが人間が住んでいた場所であった事は一目で分かった。

壁には見慣れない呪文のような絵文字が書かれておりミイラが洞窟の番をしていた。天野は壁の下から古びた剣を見つけ、それが自分の物になると高笑いした。
それは岩をも砕く恐ろしい狂気に満ちた剣だった・・・。

舞台は松江華亭県(現在の上海市松江区。明・清代は松江府として中国15大都市の1つとして名を轟かせた。)に移る。松江府君主の息子・徐琮(午馬)は略奪、不当な懲罰、誘拐など悪政を重ね、農民から暴動が起こる寸前。しかし地元当局は仲裁する勇気も無く野放し状態であった。
巡撫(清代では各省に置かれた民政軍務を司る官職。単に清官でも可)の海瑞(唐迪)は朝廷から起用され荒れ果てた府の警備をはじめた。人々から”海大人”と呼ばれ高く信頼されている。宮昭南と彦萍は林大侠の命により海瑞保護に派遣された。しかし海瑞は松江府へ向かう途中、何者かに襲撃されてしまう。徐が手を回したのだ。

一方、剣の威力を試したい天野は茶楼で酒を飲んで待つ。騒ぎを起こした人物と一戦を交え感触を確かめた。騒ぎが徐の耳にも入り天野を抹殺せよとの命令を下す。その後、師匠の林太清のもとへ戻った天野だったが、師匠の予想を裏切り以前の天野ではない言葉を発する。林大侠は天野に失望し退去せよと一度は言ったものの気が変わって天野と勝負する。致命傷を負った林大侠は天野自身に関わる衝撃の事実を明かすと、天野は斬って斬って斬り捲る殺人狂徒と化した。



海瑞襲撃も失敗。次々と手を打っても失敗に終わり悔しむ徐琮は再度天野を大軍を送り攻撃させた。徐は天野の予想以上の武力に驚き酒を注いで味方に引き込もうと試みた。当然のように海瑞殺害を企てた徐は大金を積むが天野は金で動く男ではなかった。しかしここで徐はある話を持ち出し天野に海瑞殺害を決意させるのだった。


夜、屋敷で海瑞は徐琮の悪事の数々を告発した民衆からの書面を読み上げる。
の父・君主の徐堦(姜南)の門下生だった海瑞だが、恐れる事は無いと近隣県主を呼んで助言する。そこへ黒装束の軍団が襲撃して来るが宮壮士達が加勢して返り討ちに。


その後1人の人物が宮昭南の前に現れた。それは天野だった。海瑞の屋敷から森へ場所を移した二人は再び剣を交えた。刺客が現れたと彦萍にも告げられ後を追う。追っ手が来て形勢不利となった天野は一時退散する。負傷した宮昭南は彦萍に手当てをしてもらった。二人は家に戻ると留守を預かっていた林福から林大侠の死と犯人を告げられる。

次の手を考える徐堦は海大人を晩餐会へ招待させる妙案を思いつき息子の徐と共に招待状を持って行かせる。海瑞に会いに行くと海瑞は徐堦に告発状と引き替えに所有する広大な土地の引き渡しを迫った。切迫した状況で徐琮は大胆な行動に出た。海瑞を守る彦萍達と徐琮の軍団で大決戦が始まった。天野が突如現れ、海瑞の命を狙う。彦萍が応戦し更に朝廷から派遣された”死亡使者”四人衆が天野と対決。彦萍は全ての仇を討つ為に天野に斬りかかり最終決戦に挑んでいった・・・。

















袁和平




さて、感想は…。前半のドラマ場面の比重はそれなりに高く入り込む要素があってアクション場面とのバランスも良い感じだった。序盤の洞窟で高遠が剣を発見する件はスリルを与えるし、アクションは当然ながらチャンバラになるが剣捌きもカッコよく見えた。(袁和平らしいアクロバットを織り交ぜててこれは斬新的)後半の展開は分かりづらい面もあるが、これでもかこれでもかと敵を斬る天野に尽きます(敵も限りなく襲って来るが)。なぜ天野は斬りまくるのか。この辺りの表現も十分感じることが出来た。この表現手法がきっと呉思遠なんだと思う。
ローウェイ監督が悪役を演じ石堅とバトルしてカンフーアクションを披露する『鬼流星』って面白いと思う部分もあるのだが、『瘋狂殺手』の持つシナリオの重厚さ(『鬼流星』って監督が脚本も兼ねてるせいか捻りも感じられず)、袁和平のアクロバットを多用したアクションには圧倒されました。アクションシーンにスローモーションを入れるなど効果もバッチリでありました。
公開がほぼ同じ時期の2作品、『鬼流星』と『瘋狂殺手』。馮淬帆や姜南などキャストも一部被ってはいるが、単純な比較は出来ない。成功の指針の1つである興行成績的なデータも不明ではあるのだが、私個人的な評価としてどちらに軍配が上がったか。もうお分かりと思います。

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龍の忍者

2011-01-20 00:01:38 | 呉思遠と思遠影業

来月、龍の忍者のDVDが発売されます。待望のDVD化ですが、どんな内容か今から楽しみですね~。

そういえば随分前ににHKLからDVDが出てましたけどワイドな画面(もちろんスクイーズ仕様!)でしたので、それまでスタンダードサイズの映像を見ていたので本当にうれしかったです!(お金がなくてヒイヒイ言いながら高価なHKLのDVDを買ったのを覚えています)
そして特典に入っていたのが、オリジナル予告編やDVDではカットされた部分を東映ビデオから収録したものでしたね。
いまじゃ見ることもありませんが、あのビデオも大好きでした。
「龍の忍者」が香港で公開されたときには何と!あの津島要も駆けつけたらしいですが、あちらでのバージョンは白い字のものだったんでしょうね。 
 予告より

でもやっぱり赤字の方がうれしいなぁ。
こちらがなつかしの涙うるうるの赤字バージョン 
 
香港より早く公開されたので日本のファンはとてもラッキーだったんですよね。
東映から「百地三太夫」とかDVDがリリースされているのに今回東映からリリースされないようなのですけど、これが本当なら実に不思議な話なのですが、もし出せるならとっくに出てますかね(汗。

かなり前に台湾のものか不明ながら北京語版ビデオも購入したことがあって、東映のビデオには無かったのですが冒頭、五重の塔でコナン・リーが出てきて見たことのないトレーニング・シーンが入っていたのでこれも凄くうれしかったんです。(いま思えばもしかしたらVCDから変換したものだったのかも??)先日も1台壊れたデッキを処分したばかりで、そろそろビデオが再生できる環境もなくなりつつあるのですが、私はそのビデオを大切に保管しています。

その五重の塔があった場所は台湾の峨嵋湖のほとりであったという説があります。

静かなとても良い場所だったはずなんですが、目の疲れるグーグル・アースで観察してみると(苦笑、今や湖では巨大な仏像や建物を建造しているらしく雰囲気が台無しの様子でした。。。でも、静かな湖って神秘的で好きですね。余談ですが、日本でも北海道には私の気に入っているオンネトーというとてもきれいな湖があるんですよね。(ゆっくり休息したいですね。)

本編は結局、伊賀忍者の福佐(田中浩)は敵に知られるはずが無い隠れ家が見つかって殺された玄武の父・玄六(元奎)を裏切ったということになると思います。
だから玄武に首を刎ねられても仕方がなかった。
その福佐は孫靖が病気の時、背負って遠く離れた名医に駆けつけた。
それから実の親子のようになった。
孫靖の父・孫将軍(田豊)はあまり出てきませんが少しだけ登場してましたっけ。
(あれ?東映のビデオには田豊がクレジットされていたのに出てこなかったではないか。)

冒頭、五重の塔でコナン・リーとタイポーの会話のシーンがありました。タイポーが祭りに行こうと誘うのです。その後の祭りのシーンは道教の女神・媽祖を天后廟でお迎えするお祭りです。
なぜタイポーはそんなにお祭りに行きたかったのか?
タイポーの役は魚蛋奇。つまりは”蛋民”の血を引くものということで
(蛋民とは香港やマカオなどの沿岸地域の水上生活者を意味します)
海の守り神・媽祖を参拝したいから…ということなんでしょうね。

そうそう「龍の忍者」のパンフによれば雨続きだった2月の台湾で真田さんは1ヶ月こもって撮影したんだとか。是非真田さんになつかしの台湾撮影話とかコメントしてほしいですね。
ということで、ゴ・シエンも(笑)真っ青の日本でのDVDリリースを喜びたいと思います。

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餓虎狂龍その一

2010-01-28 01:29:10 | 呉思遠と思遠影業
木曜日は電影フリークス特設コーナー。
簡単にご紹介すると最近は思遠影業や倉田さんに関するネタを取り上げております。
今回は72年に製作された呉思遠の『餓虎狂龍』です。やっと見ることが出来ました。

陳星が前作『蕩寇灘』に続いて主役の、そしてまた待ちに待った倉田保昭を起用して呉思遠の念願が叶った作品として、「よーし、もう一回やるぞ~」という声のトーンも上がりっぱなしのメガホンの声が聞こえてきそうなそんな映画なのである。

この映画を製作した富国影業は台湾電影筆記によれば朱煥然(真ん中の”カン”は携帯では表示されないかも。。)との共同設立だという。この頃に設立した会社数はかなり多いようなのだが多すぎて把握するのはとても難しい(解明はまだまだ先の話になるが…)。富国のように誰が設立したかが分かるだけでもありがたい。他の会社とかならそんな情報すらないので。
それにしても富国のオープニングロゴというものは映像には含まれない事が多くて研究者泣かせですね。。(いろいろチェックしても未だ発見はできない)はじめから無かったとは考えづらいけど、そう思うことにしようか(爆。

さて、国内ではエンパイア・シネマと呼ばれたこともあった富国影業だが
その製作された作品をリストアップしてみると、
『蕩寇灘』
「危うしタイガー」
『石破天驚』
『狼狽為奸』
『黒色星期五』
と今回の『餓虎狂龍』と合わせてもたったこれだけしかない。これでも多い方なのかも知れないが資金が尽きてしまったのだろうか?関連会社に帝国影業という会社もあってこちらは呉思遠とは何ら関係は無い模様だが、こっちはこっちで未公開作品のオンパレード会社なのである。そもそもエンパイアを直訳すれば帝国となるので本来は帝国の方がエンパイアシネマでいい気もするがなぜか富国がエンパイア、帝国がエンペラーになっているようだ。まぁどうでもいい話であるけれども。

ちなみに最後の『黒色~』はジミー王羽主演作なのだ。さすがジミーさん、突如としてこっち方面にも現れるんですね(笑。(いやいやジミーさんを忘れちゃいけませんね。)富国とジミーさんの関係なんて想像するとおかしくなってしまうのですがやっぱり頼りにされてたんだなぁと思いますね。
『黒色星期五』より

上記リストを眺めていると殆どの作品において于洋が出演していたのが分かる。彼をどう使おうかといった姿勢も見られるのがポイントであろうか。
例えばこういう見方はできないだろうか?
呉思遠が会社を変更し富国を抜けようとする頃、会社は于洋をスターに仕立てようと主演映画を撮りはじめてゆく。それが『石破』や帝国の『除霸』という作品だった。ジャッキーやあのジョン・ウーでさえ在籍していたことのあったこの会社。
しかしこの于洋主演映画を作ろうとした選択は成功であったのか?首を傾げてしまう。


『除霸』Fist of the double Kより(US公開Ver)

于洋に関しては「カラテ愚連隊」での私のお気に入りキャラとなった健を演じた事で色々思うこと、考える事がいっぱいある、というか出てきてしまう。
于洋と言えば彼が出演した刑事ドラマがあったと以前いつだったか忘れてしまったがブログ記事を書いた記憶がある。『餓虎』にも出演した黄元申のドラマ『CID』のことだ。この香港のドラマが日本で数話だけ放送されたときには残念ながら彼が出演した放送は無かったのだ。(張午郎や李家鼎の顔は見られた)いま思えばかなり悔やまれる話である。あったとしても果たしてアクションシーンがあったのか不明だがゲスト出演ということで犯人つまり悪役であったことは予想出来る。悪役の于洋も是非見てみたいものである。

話を元に戻せば会社設立にも関わっていたという呉思遠が監督したのは初期の数本のみであり、その後は恒生や思遠影業に変わってゆく。多くの会社が設立して間もなく消えていく中で3、4年の存続だから初期に築いた富もかなりのものだったのでしょうね。(ヒット作は呉思遠がいた間だけという事実も。)

そういえば『蕩寇灘』が公開され大ヒットした後、倉田さんが頻りに悔しがって当時を振り返っていたんですよね。倉田さんご本人が撮影中にオファーがあったと懐述していることからこれは恐らく本当なのでしょう。

しかし、具体的にどの映画だったのかまでは定かではなかったのだ。本当に撮影中もしくは契約上不可能な状況だったのですかねぇ?

倉田さんによると”チャンテツ”(これは倉田さん独特の張徹の呼び方でした。)の作品に入っていたとの事。だとすると『悪客』か『四騎士』のどちらかになるのだろうか?

また呉思遠(私は”ゴシエン”と呼んだりしています^^)の倉田起用の決断はどのタイミングで下ったのか?『悪客』を実際に目にしてからかor『四騎士』なのか、それとももっと前の段階か?

ちなみに72年は『餓虎』の後、ほぼ同じメンバーで『猛虎下山』を続けて撮ることになったという。他にも『麒麟掌』などにも出演していたという倉田さん。この多忙で詳細についても不明なこの年にはいったいどの位の映画に出演であったか。

これらを整理して考察するには倉田さんが富国影業と契約した時期がいつだったのかが重要になってくると思う。
72年中である事は分かりそうであるが、その日がいつなのかが分からない。
これが分かればこんがらがった72年とさらに大量出演したとされる怒濤の73年についても紐解く足がかりにはなりそうだ。

そして、富国創業作『蕩寇灘』で倉田さんとの契約が出来なかったからといって決して諦めなかったゴシエン。うーん、どうしてそんなに倉田さんの映画を撮りたかったのでしょう??
そう思ったとき私は富国2作目の倉田さん登場で必ずや『蕩寇灘』ではやれなかった“何か”を取り入れているはずだと感じていた。実際のところはどうだったのか。
次回へつづく


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蕩寇灘 その二

2009-10-04 12:00:00 | 呉思遠と思遠影業

『蕩寇灘』の香港公開期間は72年5月17日~31日の約2週間で興行収入6位(12月30日公開の「ドラゴンへの道」を除いた場合)にランクされる大ヒットを達成した。この映画の魅力はどこにあったのか?「馬永貞」公開後であるから陳観泰人気に肖っていたのは明らかだ。内容が良ければ何の問題もないが。

この映画の宣伝文句はタイ、シンガポール、香港など各国の武闘家を結集させたというもので(劉大川はボクサーでフライ級のチャンプだったらしい。何守信の方はTVBから転向した俳優だとか。)これを謳っていた。さらに陳観泰と空手家の陳星が顔を揃えればかなり質の高い作品が出来上がるのを期待してしまう。

又、日本人が悪者だから反日映画にはなるが、呉思遠は後の作品にも見られるようなテーマに拘っていた様に思う。つまりは日本人VS中国人の対決である。それがこの『蕩寇灘』でも見られる。単に日中対決だけではない。細かい部分では天津で日本人に2度勝利した中国人のエピソードまで盛り込んでいるのである。これが拘りの証拠と言える部分だ。そもそも呉思遠が脚本を書いているという時点でシナリオは練り込まれていないのでは?と感じたり薄っぺらな印象を受けたが意外にも設定はしっかりしているようだ。


日本から中国に戻ってきた江湖客の金少偉(陳星)は北方で現金強奪の犯行に及ぶが、これは長年逃げ回ってきた金を捕まえるためのワナだった。だが持ち前の武力で包囲網を難なく突破、警官を殺害して逃亡。指名手配のビラが各地に配られた。

舞台は海岸に近い小さな村。この村で大きな事件が起きようとは…。

2年前、悪事を働いた沈三(孫嵐)は村から追放されたが、危険かつ邪悪な武道”合山道”入門の為、日本へ渡来していた。その頃、河北では悪い伝染病が流行しはじめていたのだが、これにより一斉に人間が行動を始めることになる。

忠義武館の于兄弟は村のリーダー格。末弟の于洋(于洋)は婚約者の小蘭(林玉美)を連れ浜辺で稽古中。突然二人のところに唖巴(韓國材)が何かを知らせに来た。沈三が帰国して大騒ぎになっていたところだった。盛んに合山道をアピールする沈三は村人(汪禹ほか)の反感を買うが、そこに于洋が割って入りその場は落ち着いた。

この小さな村だけに生息する龍胆草(生薬の一種。竜胆の事。)は伝染病に効く薬として知られていた。何も知らずにこの村にやって来た金は唖巴と偶然出会い、家で一晩だけ休ませてもらうことに。
于洋が道場に戻ると外出中の兄弟子・孫平(劉大川)が一年ぶりに帰って来ていた。孫は伝染病流行が早まったので急遽村に戻って来たのだが例年は10月になると龍胆草を調達、運搬(つまり商売して村の収入源に)する重要な役目を負っていた。于洋の兄・于昌(何守信)が孫に気がついて奥から出てきた。孫たちは日本人が村に来るとの噂を聞き尋常ではいられない。最近日本の海賊が近海を荒らし回ってもいる。孫はある時首領が捕まったので日本人は何とかして取り戻すはずだと言う。日本人が来ることを不審に思う三人は日本人が急性伝染病発生を知って龍胆草を奪いに来ると悟り気を引き締めた。案の定、一足先に着いた沈三の先導で東洋人たちが急ぎ足で村に入り込んできた。この村の龍胆草を買収する為日本幕府から派遣されたのだった。

村には武館がもう一つあった。威遠武館の館主・劉(黄梅)はあっと言う間に日本人・岡村(陳觀泰)率いる合山道の武芸者たちに叩き潰され道場を乗っ取られた。黒いマスクで異様な姿の岡村が連れてきたのは教頭・池田(山怪)、飛鐵腿の異名を持つ尚野(方野)、長谷川(白沙力)の精鋭達だった。続けて忠義武館に乗り込むと于昌らが待ち構えていた。于昌は外国人には龍胆草を売らないと言って口論に。しかし、岡村はこの道場も買収することになるぞと言って去った。岡村は龍胆草買収と合山道舘開設の宣言文を掲示し、これに不服の者は翌日リングで試合させるとした。村の外部の情報に詳しい孫は様子を于昌と于洋に話す。金少偉という常習犯がこの村付近に逃げ込んだらしいと言う。金少偉は盗賊の家系で有名な人物だった。
一方、唖巴の家で休んでいた金は老人(カク・リーヤン)に明日の試合を見て出発を一日延ばすと告げる。
翌日の合山道場。不服に思い日本人に挑戦する者がいた。沈三の弟だった。観衆が騒ぐ中、試合が開始された。しかし教頭の池田に歯が立たず弟はリングの外へ放り投げられると、続いて于洋が入って逆襲。すると尚野が加わったのち孫平もリングへ入り乱戦に。長谷川が入ろうとしたところで、手裏剣の如く場外から銀貨を投げつけられ足に命中、尚野にも突き刺さり試合は中断した。その夜、岡村は銀貨使いを誰とも分からない者の仕業と断定、その男の打倒を誓いマスクを外した。まずは部下に毎年龍胆草を運んでいる孫の所に行けと指示した。

翌朝、金は出発するがその途中で岡村らに出会した。岡村は金が一体誰であるのか様子を窺い金を先に行かせた。一方、長谷川に呼びつけられた孫は龍胆草を運搬する役目だけあり腕は滅法強い。しかし孫は邪道極まる合山道武芸の前に無残にも倒れてしまう。
日本人に勝つ自信を持てない于洋は悩み、小蘭も龍胆草が全ての元凶と諦めムードになるばかり。しかし龍胆草を無くしては多くの生命が失われてしまうと思い直していた。
その頃、金は疫病に罹り道端で倒れ込んだが、通りがかった唖巴に助けられる。唖巴は徹夜で看病し金の命は救われた。まだ完治はせず老人の計らいでしばらく休むことに。
次に岡村は沈三を使って小蘭誘拐を企む。誘拐を知った于洋は取り乱すが于昌に沈三を探すのが先決と止められその場では思い止まる。たが小蘭を放っておけない于洋は合山道場に侵入。まんまと敵の術中に嵌り捕まってしまう。沈三を探す于昌も尚野らに出会し倒されてしまう。
早朝、目を覚ました金は完全に回復。唖巴が不在であったので老人に感謝する金。たが一刻も早く村を出なければ危険と旅立ちを決意した。金が去ったあと、老人は張り付けられた手配書を剥がすのだった。金を悪人と分かっていたのに…。金が外を歩いていると目の前に信じられない光景が広がる。唖巴が何者かに殺されていたのだ。

龍胆草の在り処がどこなのか全く口を割らない于洋ら道場の数人は浜辺へ連行され処刑されようとしていた。しかし金が現れて自分が江湖客であることを明かし、人質を解放する代わりに龍胆草の場所を教えて一緒に船に乗って日本に戻ると岡村に言い寄る。人質は全員解放されるが、金に罵声を浴びせて行く。何と報われない男なのか。
金は龍胆草の在り処を教えるが岡村は龍胆草の有用性を認めない金という人間が腑に落ちない。しかし中国人の事など分かるものかと反発、唖巴の復讐を誓った金は日本人との決着をつけるため最後の決戦に挑む。

全てを背負った金の前に池田、尚野は倒れ、ついに岡村が参戦。ここからが一番の見せ所だ。激しくぶつかり合う二人だったが、激闘の末、金は日本人・岡村をついに破った!金は龍胆草を守り抜き河北数十万の命を救ったのだ。だが絶命寸前で于洋に介抱され自分の本当の名を告げる。彼は悲壮美溢れる最期を迎えようとしていた・・・。


呉思遠の演出は素晴らしかった。
竜胆を必死に守ろうとする村人達、竜胆買収を企て日本からやってきた悪徳道場と地元カンフー武芸者たちの攻防、強盗殺人までする陳星と口の利けない韓国材とのストーリー、江湖客が村のヒーローになるまでの葛藤など次から次ぎへと休む暇もなく進行する。進むに連れて日本人の悪さも上昇。
なぜ小さな村に日本人が攻めてくるのかもちろんこれも劇中で示してくれている。この村だけで栽培、採取可能で伝染病の発生で特効薬の需要が高まりそれを奪い去ろうとする。奪えば中国人を好きなようにコントロール出来るからである。その黒幕は彼らを派遣した日本幕府ではないか(笑。でも槍玉に挙げられた日本人も要所要所では東洋人と若干オブラートに包まれていたけど。
まぁそれだけではない。指名手配され逮捕を恐れる陳星の心理的描写など実に見事な演出ではなかったかと思う。しかし呉思遠が何をやりたかったのか?それはまだ分からない。。

登場する武器も日本刀、サイ、ヌンチャク、鎖鎌のような物と多彩であった。サイも老人から贈呈された形で使用された。陳星とサイと言うと得意な武器であるのかいくつかの他作品で使ってますね。(前回記事の画像にあったサイとヌンチャクのカットは同じカットが『餓虎狂龍』にも登場)又、小物を使ったアイデアもある。陳星が銭形平次と化し、コインを武器として使用するなんてまぁ、ここは正直笑って楽しませていただいた部分である。屋外にリングを設置して対決させるというアイデアも良かった。

まぁしかし、やはり呉思遠の映画であるなぁと思いました。それはいつもの周福良による音楽と感動的場面の描写からも十分と分かる。(これは最初からあったのですね。)そういえば「蛇拳」でも薬を飲ませる同じようなシーンがありましたっけ。場所はどこか分かりませんがこのロケ現場も「蛇拳」などで使われてます。





今回北京語ビデオを入手して(これはラッキーでした)新たに分かった事はいろいろありました。ただ製作に関しては一つの謎が残ったまま。一部資料には袁和平がプロデュースとなっていてこれはなぜだろうかと。
この映画の製作費は少なかったと言い、呉思遠の友人たちが出資して映画を製作したとの話があるので、袁和平もその一人の可能性があるかも知れないがちょっと信じられない袁和平の監製だった。

人物構成に焦点を当ててみると、この映画が売り出しとなった人物が多いのも特徴になる。まず流石陳星かなという所から。中盤の対決場面など見てもキレがあった。腰を落として敵を丁寧に対処するように見えて、余裕があるところを見せるのがいい。
クシをしきりに使うヘアースタイリングマニアな陳星も。(何だこりゃぁ。リングでいよいよ出番なのかと思ったら、飛び込んだのは于洋だった(苦笑。

でも面白い演出です!人気についてはまだわかりませんけども。。

ブルースそっくりの于洋。彼もこれが売り出し映画だ。


日本人のNo2、No3が方野と山怪。このコンビ、これが最初じゃないかと思いますが信じられないことに一連の作品でそこそこ重要な位置に就いている。常連ってヤツ。(方野もいつも悪役ばかりですが、主演映画もあり。)



武術指導は袁和平(クレジットでは袁祥仁と共同になっているものもある)であるが、えげつない元村長の沈三に逆らう弟・沈四役でも出演。

珍しくセリフ有りのヤラレ役を演じている。中盤の劉大川VS白沙力などでは柔道の投げ技まで取り入れていた。これは確かに合山道の設定に入っていたので呉思遠のアイデアなのかも。

他にも常連はいる。70年代ばかり見ている人にとっては飽きるほど顔を見ることになる孫嵐。いつもニヤけていて今回は重要人物(といっても出番が多いだけ)になっててもアクションシーンは吹替。。


韓國材。彼も常連になるが呉思遠に気に入られていた様子である。


そうなると冒頭にだけ出演しているのが李天鷹や沈威(「プロテクター」に出演。それぐらいしか知らないのだが、こんなに初期で驚いた)になりますね。
そしてこの冒頭には何と成龍も出演していたのだ!!(下記画像参照)富國作品では同年の『石破天驚』出演が確認されているが、創業作から富國影業作品に出演していたことになります。このスタントシーンではハイキックなど高度なアクションを見せています。

実はこの映画で一番気になっていたのが陳星の役名でした。何だろうなと思っていたら江湖客とは最初に名乗っていたんですね。DVDパッケージ裏には"Chan Wu Deh"と書いてあったが、これが江湖客の北京語読みに近いものだったとは。役名が”江湖客”ってちょっとオイオイって感じですが于洋がラストで「江湖客!江湖客!」と叫んでいたので劇中はそれで通っていたようです。あとで本名も明かされていますが、世間を騒がせている人物=江湖客ということなっていた。(指名手配されてはいるが手配書には本名が載らず)この江湖客という中国独特の言い回しや名前の使われ方は絶妙で呉思遠の作家性も感じています。
また、役名について興味深いのが于洋である。彼は当時本名の龔子超を名乗っていたので、この『蕩寇灘』から正式に于洋と付けられたんでしょうか。役名は于昌館主の弟、于洋という設定であるので、ホントのところは不明ですがもしかしたら呉思遠が役名をそのまま芸名として命名したのかもしれませんね。

そういえば昨今の日本で騒がせているインフルエンザですが、設定では収穫時期の10月に村から調達するというものだったので時期的には今頃に当たり丁度合っていて理解もし易い状況でした。神経質な岡村はウィルス感染を恐れマスクを付けていたのではないかと(笑)。でもまぁフィルムの編集は例えば劉大川や于昌の最後のシーンでは岡村の後ろ姿だけを映し、あとから陳観泰の正面のカットを挿入など編集も手が込んでいるようでした。

とにかく壮絶なラストの対決を見せてくれた二人の陳さん。マニアを唸らせる出来であったのは間違いないでしょう。陳観泰は邵氏で、陳星は邵氏を飛び出して独立系と別々の道を歩みました。二人は後の79年に私の大好きな映画『上海灘大亨』(←をクリック)でも共演してますね。久しぶりに見てみようかなと思います。




成龍出演シーン

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蕩寇灘 その一

2009-09-22 22:05:16 | 呉思遠と思遠影業

陳星の登場ですよ(笑)

この映画を製作した富國影業は設立が72年だそうである。最初の作品が72年に公開されたということで公には72年で通っている。実際には71年から活動していたのではないかと思う。(後述)

創業から1本で終わってしまう会社が多い中、富國影業は『蕩寇灘』がヒットして立て続けに「危うし!タイガー」『餓虎狂龍』などを製作する。ここで呉思遠は最初の数本こそ関与しているものの残念な事にある時期から外れてしまっている。また活動は74,5年ぐらいまでのように見える。(関連会社の帝國影業も同様)その後はブーム下火になった頃そのまま会社が潰れてしまったのかもしれない。

しかし、この富國影業の作品群は数はあまり多くはないものの功夫ファンにとっては魅力あるものばかり。その第1作目の創業作品が『蕩寇灘』だったという事で今回取り上げてみます。

この映画について色々と周辺を見ていると徐々に巨大な影が見えて来ますが、不思議と付きまとうんですよね。何だろうこの影は。(記事を読むと何となく分かると思います)

既にコレを見ている方は多いのではないでしょうか。実は私、今日がはじめての鑑賞。(ワイドスクリーン仕様で割と綺麗な米国製DVD。英語音声)これまで他の人のブログ記事などを拝見してどんなものかと想像などして楽しませてもらっていました。もしかしたら北京語版ビデオが存在するかもしれないですが、現在視聴できるのが英語のDVDしか出回ってないのはどうしてなのだろう?

倉田さんの本なんかを読むと香港で大ヒットしたそうなんだけど、その割には今まであまり目にする事はなかった作品ではあった。別の本によれば香港の72年度ランキングで「馬永貞」に次いで第6位とあった。(聖書のひとつ、香港電影百科より。)その魅力については後編その二で探ってみたい。

どのように作られたのか?私の場合は必ずといっていい程ここから入る。
(と言っても映画のプログラムを見る感覚でしょうか。未公開なら最初は自分で調べるしかないですからね。)

まず製作72年とあるが、71年中から製作が開始されていたものと想定できる。(時期は資料を調べても不明であるが。)
主役の陳星は邵氏で「龍虎闘」等何本かに出演した後、71年に張徹の「拳撃」「悪客」に出演する。この時は陳星のほか、于洋も加わっていたという事から同時期に富國作品へのシフトが濃厚ではないか?時期的には陳星の髪型などから「悪客」の少し後ぐらいではないかと思う。

また邵氏絡みでは(ホント多いなぁ。何かといえばすぐに邵氏である!)数年後に邵氏で活躍することになる汪禹も参加、本編の随処で顔を見せていた(冒頭のシャム・ウェイら警官隊に混じってその一員としても出演)。彼もワン・ユーまたはワン・ユエとして現在名が知れていますから劉家良の『神打』での主役をゲットする三年前の姿が見られる貴重な作品になるだろうと思います。

さて、主演の陳さん。
誰がどこから引っ張ってきたの?って素朴な疑問がありましたが・・。






陳さんって、もちろんチェン・カンタイの事ですよ。

ほらこの通り。主役の映画みたいですね。




ねっ、言ったでしょ。


とまぁ冗談はさておいて、もう一人の邵氏経験者の詳細を調べてみると当時の状況はこういうものだった。

陳観泰は何と『蕩寇灘』撮影中、邵氏と「馬永貞」の出演契約、そして専属契約を結んでしまうのだ。(この契約には期間内は他会社作品へ出演してはならないという項目が含まれており途中だった『蕩寇灘』も該当した。)この契約に勿論呉思遠は黙ってはいられず、邵氏へ乗り込んだという。

ちょっと考えられない話だが、呉思遠は『蕩寇灘』公開までこの話を明かさなかった。(実は当時の香港では馬永貞に関する別の騒動が勃発していたのだ)

陳観泰に取ってみれば邵氏での主役獲得の絶好のチャンスであり、無理にでも契約に漕ぎ着けたかったのでしょう。途中降板してしまったのにはそんな事情があった。のちの香港映画でも覆面をかぶった別人が代役を・・等々の話も良く耳にしたが、『蕩寇灘』の一部シーンも既知の通り代役で出来ていますね。そんな話もあって追加撮影や編集作業に時間を要した為、公開が遅れてしまったようです。(結果的に「馬永貞」公開より数ヵ月後に。。よって、『蕩寇灘』の撮影開始は「馬永貞」より前になる)

でも大ヒット!!ヒットして良かったね。上記の広告(何時のものかは不明)は領銜主演になってはいますが単独で扱われているので「馬永貞」でブレイクしたチェン・カンタイの人気ぶりが窺える新聞広告だと思います。

ちなみに呉思遠は話を大きくしたくない為に許したそうです。やはり相手が悪くまだ強大であったということか…。

さて、この時呉思遠に借りが出来てしまった陳さんだが、その借りはいつか返せたのだろうか?

(つづく)

 


 

 

 

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