これはアンジェラ・マオの「電撃ストーナー」。
こんな映画があったのかと小学生だった当時、私は1冊の本を手に何かを思った少年だった。
ふと、懐かしの映画を久々に家でゆっくり見たりしていると
70年代、日本における状況がどの様であったのか少しばかり振り返ってみたくなる。
資料によれば、最初に公開された「燃えよドラゴン」が劇場公開されたのは1973年12月だった
という。(劇場公開①)
数えてみれば、今から42年も前。当時はまだ小学校に入る前だ。
その頃、私の記憶には残っていないが、もしかしたら倉田先生の「闘え!ドラゴン」ぐらいは
テレビで流れていたのを見ていたのかも知れない。
ブームが起きていた74年頃は、名も知らぬヒーローが活躍していた・・まぁそんな時期であったと思う。
父や兄の影響で燃えドラの名前はもちろん知っていた。
中学生になる頃には何度も見ていた。
かなり後になってから、こんなリーさんのシーンの存在を知ることになり、これがつまりジャッキー・チェンとの共演のシーンである。
ジャッキー・チェンの首をへし折るリー先生
そんな映画のより詳しい分析も一般的になったリバイバル上映時には近くの席にいたお客さんが女性にシーンの解説をしている光景を目にしたり、映画の見方も随分変わったと思ったりしていた時期であった。(その昔、シアトルのチャイナタウンで映画を見ながら奥さんにアクション解説していたのがブルース・リーその人!)
私の場合、この「燃えドラ」という映画に出演していた人物に注目せざるを得ない。冒頭のサモ・ハンをはじめとする強者たちである。
ネットでは出演者の情報もすぐ見つけられる。
常日頃不満をぶつけてはいるが、簡単に情報を知る手段として
私はウィキを利用している。内容的に怪しい部分を含んでいたり間違いも多いとは思っていても
その容易性(簡単にヒットするシンプルさ。利便性)を考えるとどうしても避けられないのだ。
ただ燃えドラのwikipediaには、なぜかトン・ワイの出演シーンについての
記述が殆ど無く、またトン・ワイ自身については全く触れられていない。
つまり、これを見てもトン・ワイの日本での知名度はその程度のものかと愕然としてしまっ
たりする。(2016/1/3現在)
スーリンについての議論も姉か妹かという話だが、そもそもどちらでも当てはまるsisterを日本語に訳すことはできないのである。
日本語では姉、妹と明確に区別された呼称であるが
米国においては単にsisterと言うだけで
日本のような習慣が無く、単語としては何の区別もない姉妹である。
一般的には妹でまったくOKだと思うのだが、WIKIを読むと姉でなければならない的な印象を受けてしまう。どちらかでなければストーリー上不都合が起きない限り、どちらでも構わないのではないだろうか。
画像:"BLOOD AND STEEL"オリジナル・スクリプト、スーリンの記述
wikiの記述を読んで思うのは
映画には脚本とか原作とかそういった物があるはずなのに
そういった資料の紹介なども無く、映像から見た結果に満足してしまい真相に迫らずに終わっているのが非常に残念である。
「ドラゴンへの道」の前、ブルースは羅維が監督し脚本を書いた「チャックノリスin 地獄の刑事」の出演を選択しなかった。
これは監督が海外の脚本家を使った映画を作ることを拒否したためだったそうだ。(羅維は代わり
に主演には王道を起用することに!)
ブルース・リーとしては監督に不満だらけだったのだ。
ここで、オハラ役のボブ・ウォールの談話を紹介する。
「主人公がオハラを倒すところまでというのは
武道の精神に則ったストーリーであり、信頼出来るもの」であったとか。映画作りには共演者からの信頼というものが必要なのである。
シナリオは製作過程でいろいろ変わっていって細かく見ていけば矛盾もあるらしい。映画を作り上げる事。これには相当の苦労が感じられる・・。
このシナリオはどこから来たものだろうか?
そして、燃えドラはリーさんにとっても、プロデューサーにとっても”賭け”だったとい
う。欧米の観客たちはこの手のアクションを本当に受け入れてくれるのか?
そんな思いで製作された作品であったそうである。
ブルース・リーの映画に対する熱意があったこの「燃えドラ」は
諸々の問題が起こり完成は容易ではなかったにせよ、最高の形で世に現れた。
ラストの鏡の部屋はアイデアの勝利で、映画的な映像美として興奮させられるものだと思う。(古い映画でも使われたそうだが・・)
実際私自身もハラハラ、ドキドキ興奮し楽しませてもらったシーンである。
80年代、富山敬による吹き替えでTV初放送された。当時刊行されたMOVIEコミックスはこの富山Verがベースになっているのは明らか。
何と言っても最初に出来た日本語版ですから重宝される訳なのですね。
実写取り入れ式のコミックのためタッチはもちろん異なる。今やスマホの時代なので、こういったフィルムコミックの手法を取り入れて積極的に過去の資産を活用してもらいたいのだが。
鍵谷幸信氏の著書に掲載されたアメコミ風燃えドラには、単に本での紹介ということであるのか要約したショートVerが展開された。これは面白かったので是非フルバージョンで見たいものである。
英語圏に登場した燃えドラは本当の意味でマーシャルアーツだった。
そういった意味では、シフリンが作曲したテーマに乗せて
米娯楽映画のように一気にアメリカン・カラーに一変したのである。
「燃えよドラゴン」・・・。
日本では、これ以前のカンフー映画というのは無かったというのが真実であり、最初の功夫片であることは何物にも代え難い事実である。
テレビでの最初の放送は「鬼神ヶ谷の決闘」で、
以前私が書いた記事(⇒こちら)の通り、
燃えドラ公開以前でも
台湾製のカンフー作品なども輸入されていなかったのである。
香港とアメリカの合作とはいえこれが最初のスタートとなり、
現在に至るまでドラゴンへの道(Way of the Dragon.)は続いているのです。