電影フリークス ~映画のブログ~

電影とは、映画のこと。その映画を一緒に楽しみましょう。

JW研究

2025-02-04 09:35:00 | ジョン・ウー
こんにちは。

ジョン・ウー監督のまとめ記事ですけど、もう少々お待ちください。
続きのその2を近日アップ予定ですが、まとめというか、次回は一本の映画になります(笑)

それで、一本なので構成は3つにしようと考えています。(ヒントは、気になっていた点を取りあげてみます)
その映画をテーマに、最初の出会いの話や、知られざるストーリー、疑問に対する私、醒龍の考察など、、になる予定です。

また、その3以降は、まだ未定ですけど、もしかしたら作品を順にみていくのではなくて1回、間に何かを入れようとは思ってます。

その2は、何とか今週中もしくは1週間以内にはアップ出来る見込みです。宜しくお願いします!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョン・ウー初期作まとめ(その1)

2016-01-11 22:30:32 | ジョン・ウー

先日、Twitterにて展開しましたジョン・ウー監督作品の年末特集。こちらでも整理してまとめてみました。(※一部、加筆してお送りします。)一連の作品を振り返ることにより、ジョン・ウー監督の映画に対する熱意や当時の苦悩から、彼の映画的表現方法、人間性に迫れるのではないかと思います。

1.「(カンフー)ヤング・ドラゴン」(原題:『鐵漢柔情』)

最近になって知ったのですが、ウー監督の映画人生を紹介するテレビ番組があったようですね。出演者のユーヤンや、フー・チンと並んだウー監督が紹介されたようなので(画像参照)、まだ探していて見つかっていませんが、それがどの番組でどんな内容かとても気になっています。

『鐵漢柔情』本編は過去にCS放送されていました。オリジナル『過客』(73)(日本では劇場公開済み)が香港で上映禁止となり、74年にウー監督が追加撮影。この再編集版が75年に香港で公開されたバージョンです。(=DVD版「カラテ愚連隊」がこの75年版)。その際、アクション指導したのは陳全のグループが担当していたようです。追加されたシーンはほぼ特定出来ていますが、これらのシーンを見ているとショウブラ出身のメンバーで構成されており、ジャッキーや元奎らのグループは不参加であったと考えるのが妥当でしょうね。武術指導のクレジットに陳全と陳元龍の2人の名前があるのは、オリジナルは陳元龍、追加シーンが陳全らのグループであったため2人の連名になっていると思われます。(陳全はショウブラ出身の武術指導家で、嘉禾移籍後に「電撃ストーナー」などを武術指導した人物です)


ジャッキー登場シーン。(ここでは劉江に襲い掛かるザコキャラ。)

嘉禾のDVD発売ラッシュも記憶に新しいのですが、BDは残念ながら「片腕ドラゴン」以降ストップ(?)してる模様です。是非「カラテ愚連隊」もいつかBDソフト化して欲しいと思います。

この「カラテ愚連隊」がジョン・ウーの初監督作品とされていますが、本当は「カラテ愚連隊」より前に『除霸』という作品がありました。ウー監督の伝記本、インタビュー本などでも一切触れられていなのですが、公式には監督作としていないため完全に埋もれてしまっています。いつかこの映画についても監督自身の言葉で語って欲しいものですね。

2.「怒りの双龍拳」(別名:「龍を征する者」、原題:『女子跆拳群英會』)

韓国ロケ作品。テコンドー全国チャンピオンに挑戦しに来た中国人の若者(カーター・ワン)が主人公。

ある武術家に弟子入りし、仲間(田俊)と共に悪の組織と対決するストーリー
です。この作品では顔のアップを多用し、表情を重要視してます。セリフなどよりも顔(特に目)で訴えているのが分かります。

ウー監督によれば、この作品は日本のTVドラマ「姿三四郎」をヒントに作ったんだそうです。

日本から参加のPinky Violenceな姐さん(スケバン)達

イケメンさん(ちょっと顔が大きいのはナイショ笑・・・)

本編を見ると、出演者たちの息も白く相当寒かったみたいですね。(冬の韓国は本当に寒そうです。)ウー監督は、韓国を訪れて高齢の現地スタッフに自分の格好がヒッピーぽくて若々しく見られて、本当に映画を撮れる人間なのかと驚かれたといいます。

象徴的な鳩の舞うシーンも

尚、テレビでは英語版で大浴場の露出シーンは全てカットしたショートVerにて放送されました。香港版ではオープニングがスローを多用しており、ランニングタイムも約104分と長くなっています。無駄な露出のない英語版は評価できますね。

練習試合を披露する、田俊VS池漢載
香港ファンはこれだけでも大興奮!!

さらに凄いのがこちら。
李大燁VS金琪珠

ここで、この作品で議論すべき話題を1つだけ紹介します。それは、ジャッキー・チェンが自伝で書いていた「Dragon Tamersでスタント・コーディネーターをしていた」という内容です。私の考えはノーですが、これについていくつかのポイントを解説してみます。

資料:74年所開拍影片

手元の74年度ムービーマーケット資料(74年所開拍影片)によれば、ウー監督は1月に双龍拳を撮影開始し、2月には『鐵漢柔情』(=カラテ愚連隊)着手となっています。

撮影が寒い時期だったのもこれで立証出来ますし、田俊も双龍拳は3ヶ月かかったと言っているので3月末には終わってる計算になりますね。
この映画の殺陣師は陳全(黒い胴着のロン毛男としても登場!)でした。ここでウー監督は既に嘉禾で仕事を始めていた彼らを早速起用しているのですよね。

次の「カラテ愚連隊」(追加撮影版)でも彼らが担当したのは、陳元龍即ちジャッキーが不在だったからに違いないと思います。(ジャッキーやサモハンがウー監督と共に映画を作るのは『少林門』まで待たされます。)この追加撮影が陳全だった事が大きく、双龍拳不参加も一気に真実味を帯びて来る訳です。

そして自伝の記述についてですが、Dragon Tamersについては自伝(98年刊)以前にも記述のある書籍がありました。要するに自伝以前の英文書には既に記事があり、それを丸写ししたに過ぎないという事になるかと思います。
また、この時期は香港を離れ、豪州に行っていた頃であって、結局のところ韓国で双龍拳のアクション指導に関与する事は物理的に不可能という話です。いかがでしょうか。その1、終わり。

 その2へつづく

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする