今日の映画は『乾隆下江南』(77)です。邵氏作品。
タイトルから分かると思いますが、清の皇帝が江南に下る、つまり南の国へ旅をするという映画ですね。
日本の時代劇に例えると、将軍たちが様々な事件・騒動を解決するドラマ。例えば、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』などいっぱいありますね。で、皇帝とは乾隆帝のことで、あの有名な雍正帝の息子、順治帝から数えて第四代目の皇帝になります。
乾隆帝は在位60年と長く、最も長生きした皇帝だったとか。そういえば平成ももうすぐ終わってしまいますが、30年ほどでした。改元後の世の中はどうなっていくのでしょうね。昭和、平成そして新元号と3つの時代を生きられるようになるとは思いませんでした。
映画は巨匠・李翰祥(リー・ハンシャン)監督によるもので、リー監督はこの乾隆帝をテーマにした映画をいくつか撮っています。(本作は1作目)リー・ハンシャン映画もそんなに観られる訳ではないので今回が絶好の機会だと思いました。
プロデューサーにはチャイ・ラン氏の名も連なっています。この頃は、邵氏で映画の仕事をされていたのですが、香港と日本をつなぐ架け橋のような重要な役割を果たされたお方ですね。こう見ますとスタッフ陣は本当に素晴らしいメンバーで構成されている映画なのです。
主演の二枚目俳優・劉永(トニー・リュウ)は移籍した邵氏で乾隆帝役に抜擢されたんですね。劉永と言えば、やはりブルース・リーとの共演作を思い浮かべてしまいます。トニー・リュウ主演映画というのもあまり聞かなかったですね。(邵氏ならこの乾隆帝シリーズが目立ちますね・・。)トニーが皇帝だなんてバリバリのカンフーでメッチャ強いイケメン皇帝を想像しちゃうじゃないですか!
個人的には嘉禾で活躍した頃の方が馴染みがありましたね。何度も何度も観た彼の『電光!飛竜拳』が忘れられない映画ですね。昔はテレビで観れる時代もあったので、丁度その頃に初めて観てオーソドックスな作りでしたが、みんな若くてパワーに満ち溢れていてしかも韓国ロケで面白かったです。この辺りについてはまたいつかレビューしてみたいと思います。
さて皇帝漫遊記・・。
時代は康煕の治世。
鹿狩りに出かけた第四皇子・雍親王(ユエ・ホア)は後に妻となる女性と遭遇します。ケンカさながらの会話中、親王は鼻をビヨーンと指ではじくのです(笑)。このシーンは監督からすると違和感もありますが、映画の雰囲気・様子を一変させるものでした。
そして、のちの雍正帝の子として生まれる弘暦は宮中での出産は許されず、弘暦親子はそのまま宮廷外で生活している状態でありました。母親が仕事をしながら宮廷近くにある厩舎で暮らしを送っていたのです。
ある日、ベテラン俳優・楊志卿(ヤン・チーチン)扮する康煕帝が狩りのさなか熊に遭遇、危機に瀕するも果敢な子供に助けられます。この勇敢な子供が弘暦(のちの乾隆帝)であったのです。康熙帝は日々精進している弘暦を大変気に入り、弘暦の母・李佳を清朝のシンボルである八旗の中から1つ姓を与え宮中に迎える事を認めたのです。
乾隆帝の有名な俗説としては御存知の通り、漢人説があります。母親をニオフル氏系として描いているならば正史と言えるのですが、どうでしょうか。王族が漢人と通婚する場合には特別に満洲人とみなすよう"佳"という字を付けるそうです。本作の弘暦の母の名は李佳となっていますね。康煕帝の生母も実は"佳"の字を使っていた様です。しかし、いわゆる漢人説としては漢人の子とすり替えたとする説になります。つまり父親が異なる訳ですね。本作にはその描写は無かったのです。
映画を観ていると、韓国ロケも敢行されたようで景福宮勤政殿や朝鮮王陵、国立民俗博物館などを使用したと思われる箇所を所々の野外シーンで見ることが出来ます。70年代作品は韓国の文化財、世界遺産などのロケ地が多いですよね。こうする事でリアル感が出て映画としては格式高くなっていると思います。
成長した皇帝はイケメン皇帝であるので、常にあるアイテムを持っています。そう、白扇です。最初に登場するシーンでは夏場の暑さの中で作業するシチュエーション設定でしたが、扇子を扇ぐだけではありません。このアイテムは印象的でした。
皇帝の遠征も多かったようなのですが、自ら"十全老人"と称し、この呼び名が広まったようです。ポイントは周囲からではなく自らの呼び名です。そう老人です(笑)。なぜ老人なのかは後述しますが、本作で最初に描いている皇帝像は民間の文化・風習などを積極的に吸収するという姿勢だと思います。これが進行すると、遠征して世の中をもっと理解すべく積極的に旅に出掛ける姿になったと想像できます。
揚州の旅の途中、皇帝は"一楽茶園"という1軒の茶屋を教えてもらいます。世間知らずの皇帝は茶屋の店主・老三(王沙)から土地の方言を学ぼうとします。また、他の客がお茶に肉をつけて食べるのを見るや自分でも恐る恐る実践してみる皇帝。ここのシーンは非常に楽しく観ることが出来、好きなシーンですね。
皇帝は老三に「なぜ私を老太爺と何度も呼ぶのか?、年寄りに見えるのか?」と怪訝そうな表情で聞くのです。すると、揚州では丁寧な言葉を使うからと例えば「何何なら〇〇」と皇帝に向かって皇帝とは知らずに次から次へと饒舌に例を挙げて説くのです。そして自分の事を何と呼ぶのか。皇帝に老三は「自分はおしゃべりだから牙擦老(※にんべんに老)だ」と言うのですね。
続く食事のシーンで、湯包(小籠包より少し大きいスープの入った食べ物)という物を食べたことの無い皇帝が、何も知らずに注文した湯包がテーブルに届きます。さて、どうなるでしょう(笑)。この情景もまた面白いのですよね。皇帝は1度目は散々な目に遭いますが、つぎは湯包を慎重に食べるのです。実は私は猫舌で小籠包がいまだに苦手で食べるのに苦労します。。が、次はおいしく食べれるような気がします!(無理かな??)
そういえば、日本語で「がさつ」という言葉がありますね。落ち着きのない様子のことですが、不思議な事に国語辞典にはこの「がさつ」に当たる漢字は載っていないのです。前述の皇帝と店主とのエピソードと観て、もしかしたら中国語の"牙擦"が当てはまるのでは?と思いました。中国語では歯が伸びていて擦(こす)れる、つまり出っ歯の意味だと思います。なぜ店の人は自分の事を牙擦老人と言ったのでしょうか?
王沙(ウォン・シャー)は有名はコメディアン(主演作は同じ邵氏でカイ・チーホンの『老夫子』など)。野峰とのお笑いコンビは関西の芸人みたいです(笑)。彼の持つ芸風・持ち味はやっぱり古い古い黄飛鴻シリーズで牙擦蘇を演じたサイ・ガーポウにそっくり。そうです。『ヤング・マスター』や『五福星』にも出演していたあの出っ歯のおじさんです。なるほどね!ようやくここで、王沙が自分の事を牙擦老人と言った意味が分かったんです。
宮中で皇帝に仕える学者・紀が皇帝を陰で"老頭子"と呼んでいたのを問いただした件、茶屋でのエピソードなど、乾隆帝は民衆がなぜ年老いていない自分を老人と呼ぶのかと自ら理解し、やがて自身を"十全老人"と呼ぶ事になっていったのではないでしょうか。
また、乾隆帝は乾隆年間の間、翰林院のスタッフら数百人を動員して10年もの年数をかけて"四庫全書"を編纂、宮殿に保管させました。この時代は清朝の黄金時代で乾隆帝も芸術には特に力を入れ、その繁栄に邁進したのです。ちょうどその頃のエピソードをいくつか交え、香港映画のベテラン俳優たちが熱演し、映画は進行していきます。
民衆から話を聞いているうちに、皇帝は役人の悪事に気づきます。その時、皇帝の前に一人の男・周日清(ワン・ユー)が現れるのですが・・・。
そして、ラスト。衝撃の結末に(笑)。時代劇と言えばコレですね!!。当時の移動手段といえば、馬ですね。41歳の乾隆帝は馬に乗ってまた旅に出るのでした。
シリーズ化しているということで、お話も今回はここまで。
また別のシリーズの回でお会いしましょう。
あれ?唐佳が振り付けたカンフーアクションは?(笑)
The Adventures of Emperor Chien Lung (77)
Tony Liu Yun