映画は完成したものの上映禁止となり、嘉禾に売却されてしまいます。ジョン・ウーも嘉禾に入り、自らの手でこれに手を入れます。
しかし、なぜ自ら手を入れたのでしょう?“ジョン・ウーテイスト”が加味されたのは、共同監督した「過客」ではなく75年の改編後で、元は彼が意図しない多少なりとも違った内容だったのでは…?
それは後述しますが「鐵漢柔情」で完成されたのだと思っています。(監督もジョン・ウー1人に変更されています。)ある理由により上映禁止になったからこそ、それをきっかけに「鐵漢柔情」が生まれ、ジョン・ウーが本当に作りたかった映画にした・・のかも知れません。
この映画は、流れ者のユー・ヤンと警察官(劉江)の友情を描いており 「狼・男たちの挽歌最終章」で最高潮に達したジョン・ウー美学の原点だと思いますが、タニー・ティエンとフー・チンの2大女優が競演しているのも注目すべき点ですね。(彼女たちについてはNHK-BS2で放送された「香港映画のすべて第3部」で紹介されました。)
ところで、この映画に主演しているユー・ヤンは、なかなかの好漢だったのではないでしょうか。どこか影のある主役をいくつか演じており、巧い役者だったと思うのです。(しかし彼は私生活の問題が多かったので残念ながら成功とまでは行かなかったようですが…。)
日本では無名の彼の姿を確認出来るのは、たった数本だけで実に勿体無いところです。(「少林寺三十六房」の洪煕官役が一番分かり易いと思います。 )
さて、いきなり初監督作で上映禁止となっしまったオリジナルの「過客」。いったいどの辺が過激だったのでしょうか? 性描写?それとも残酷シーン?
デレデレの石天出演シーンはとても短いです。ここはカットの雰囲気は感じられません。
上映時間は「カラテ愚連隊」が87分。現在見られる「鐵漢柔情」は92分・・。
「過客」の方が約5分短かかったようです。過激なシーンが含まれているからそれを単にカットして後から公開したのなら後者が短くなると思います。しかし「鐵漢柔情」は長い。明らかにレイプシーンがカットされているのは分かりますが、あとから何かを追加しているのは確かでしょう。
結局、完成した映画が上映禁止となった理由は、具体的には馮克安の使った殺人グローブがネックになりますが、子供が真似すると危険だから…というのは、おそらく■●機関の●▲でしょう。ここを若干編集し、ウーらしい部分を追加して完成させたのでしょうか。
しかし「鐵漢柔情」は、正確には「カラテ愚連隊」(つまり「過客」)の再編集版でありますので、これを「カラテ愚連隊」と呼ぶのは、ある程度許せますが、やはりオリジナルの存在を忘れてはならないと思います。私が気に入っている英語題名もそうです。“Farewell Buddy”…という言葉の響きに酔いしれてしまう程です。(これはジョン・ウーが付けたものだと信じています)
「カラテ愚連隊」日本での初公開は74年夏、東映まんが祭りの裏番組として16日間上映されました。上野駅前にあった今は亡き上野宝塚もその上映館の一つ。何と日本語版で上映されたのですが、このとき同時上映されたのがトニー劉永の「電光飛竜拳」で、これも嘉禾から一緒に入って来たんですね。
オリジナル「過客」はどんな映画だったのか残念ながら詳細は分かりませんが、冒頭のシーン(タイトルバック)が違っていること、その後、当然ですが「過客」のタイトルが出るということは分かっています。ラストの描写もおそらくは違っているでしょう。
また、この映画の武師は2人いました。成龍もその1人。オリジナルの「過客」では成龍だけだったと思うのですが、今後も成龍のこの作品における武術指導はきっと注目されることでしょう。
実際、「鐵漢柔情」は衝撃的ですが、派手なアクションシーンよりもそのストーリー、人物の描き方が心に残る映画でした。オリジナル「過客」は幻のタイトルとなっていましたが「鐵漢柔情」が今回この度リリースされると言うことで個人的には物凄く良かったので少しでも面白さを伝えたかったところです。
(6/29修正)