スペイン語で遊ぼう!みんなの広場_since2004

スペイン好き、ラテンアメリカ好き、スペイン語好き、スペイン語をやってみようかなぁと思っているヒト、寄っといで!

裸足の子どもたち

2004-10-12 | 留学こぼれ話
LOS NIÑOS DE LA CALLE ロス・ニーニョス・デ・ラ・カージェ
(ストリート・チルドレン)

エクアドルの首都キトで勉強していたころ、カトリカ大学の先生に連れられて子供たちの施設を慰問したことがあります。授業中だったか放課後だったか覚えてないのですが、強制ではなく自由参加で、慰問団はクラスの米国の学生たちと、日本人(私)ひとりでした。子供たちはそういうことに慣れているらしく、外国人を珍しがることも恐れることもありません。みんな人なつっこく集まってきたので、初め私たちはボール遊びなどをしました。

そこは宗教組織が運営している施設のようでした。その日は設立記念日か何かで、(たぶん宗教的な)お芝居や朗読などの、子供たちの発表が始まりました。必死で暗記した神への感謝の言葉を述べながら、感極まって泣き出す子もいました。長い間CALLEで暮らしていた、あるいは屋根のないそまつな小屋で両親の虐待をうけていた、心に傷をもつ裸足の子供たちが、靴を履き、ここでの規律ある暮らしになじみ、人間らしさを取り戻すのには、時間がかかるといいます。

シスターの話では、「食べ物も着る物も、暖かいベットもある」と説得してCALLEから連れてきても、なじめずに逃げ出して“自由な”CALLEに戻ってしまう子供も多いということでした。神という屋根の下か、CALLEという自由か、そのふたつしか選択肢がないとしたら、どちらを選びましょうか。風と埃にさらされ眠り、裸足でパンをさがし歩く、そんな悲しい自由を求めて逃げる子供がいるのかと思うと、泣きたくなってしまいました。

最後はラテン音楽をかけて、お決まりのダンス・タイムでした。どんなにつらいことや悲しいことがあっても、踊り始めればみんなハッピー、そんなラテンの乗りがいいですね。踊りは、お金のかからない娯楽です。庶民の、そして貧困者の心の糧なのです。やっぱりラテンの血は違うな~、こんな小さい子でも、うまい、うまい。リズムに乗った子供たちの笑顔は明るく輝いていました。

米国の学生のほとんどはリズム音痴らしく見物をきめこんでいたけど、私?もちろん踊りましたわよ~。あの子たちと踊ったひととき、一生忘れないでしょう。

続・カナリアに行こう!

2004-10-01 | 留学こぼれ話
一般的にスペイン留学といえば、マドリッドやサラマンカ、バルセロナ、そうじゃなければアンダルシア地方。だいたいカナリア諸島なんて、本土(イベリア半島)と時差が1時間ある、ほとんどアフリカじゃないの~。『地球の歩き方』にも情報がなくて、頼みの綱は『成功する留学』にポツンとひとつ載っていたラス・パルマスの語学学校の情報だけだったのです。バルセロナでチケットを購入、何の予約もせずにラス・パルマス空港に到着したので、まずホテル・インフォメーションに行きました。

「ホテル サガシテ クダサイマッセ。」←へたくそな感じ
「どっち行くの? 北かい? 南かい?」
「(えー?ここラス・パルマスじゃないの?)ワカリマシェン。」
「ラス・パルマスの街かい? 南のリゾートかい?」
「ヨク ワカリマシェン。ワタシ スペインゴノ ガッコニ イキタイ。」
「学校? それじゃラスかな。このへんにひとつ学校があるから、その近くのこのホテルはどうかな?」

あくまでも、たぶんこんな会話だったんじゃないか?という想像ですが、いやー恐ろしいですね。バカまる出しですね。『成功する留学』の学校の住所でも見せたらイーじゃないですか。とにかくそこで手ごろなホテルを予約してもらい、その名をタクシーの運転手に告げて、無事その夜の寝床にありつきましたが、¿Dónde estoy? ドンデ・エストイ?(私はどこ?)って感じでしたよ。

※空港は、ラス・パルマス市とリゾート客の多いプラヤ・デ・イングレスの中間に位置する。「大阪空港に着いたけどそこは大阪市じゃなくて兵庫県だった」みたいなもの。

カナリアに行こう!

2004-09-30 | 留学こぼれ話

カナリア諸島をご存知でしょうか? アフリカの左肩(?)のあたりに点在する常夏の島々ですが、なんとそこはスペインなんです。実は私、そんなところまでスペイン語を勉強しに行ってしまいました。10年前、マラガの2週間留学(留学ダイエット)で心身ともによれよれになっていた、その後のことです。

グランカナリア島、ラス・パルマスを選んだ理由:
1)暖かいから。
2)CASA DEL JAPON(日本の家)、があって日本食や日本の本が置いてある(という話だった)。
3)「クラスではスペイン語だけを使う」というふれこみの学校に行きたかった。

2)の話は我が愛読書『成功する留学』の情報だったのですが、そんなものは既にありませんでした。マグロ漁業の関係で日本企業が多くあった昔の話だったのです。ショック! しかしほとんど私と同じ理由でラス・パルマスまで来ちゃった珍しい日本人と語学学校で知り合い、意気投合。ふたりでドイツ人の悪口大会でもりあがりました。彼女は私が到着する前の3週間、ドイツ語の飛び交う中、やはり孤独な辞書引き生活を送っていたのです。

いえいえ、決してドイツ人だけが悪いと言うわけではありません。異国の語学学校で、自分の国の生徒が多数を占めると、自然につるんでしまいがちです。知らず知らずのうちに少数派の国の生徒にいやな思いをさせてしまうのはよくある話なのです。

ドイツ人、オランダ人、スウェーデン人、スイス人、アメリカ(合衆国)人、、、etc。スペイン語仲間から今まで色々な話を聞きましたが、はっきり言って、日本人だってつるんでしまえば同じことです。そう、ドイツ人だけが悪いんじゃない、ただ、スペインの海岸地方や暖かい島々は、ドイツに占領されているんじゃないか?と思うくらいドイツ人が多いだけなのです。

(⇒続・カナリアに行こう!)


続・留学ダイエット

2004-09-13 | 留学こぼれ話

日本語しかわからない日本人というのは、非常に弱い立場です。校内のどこもかしこも英語やドイツ語があたりまえのように飛び交っていたり、授業中先生が英語で説明することだってあるんですから。
そのうえやつら(横文字言語族)のスペイン語はなまっててゼンゼンわかんないし!! 

私がマラガ留学で得た教訓
1)日本語パンフにつられてはいけない。
2)文法用語はスペイン語で覚えること。
3)せめて辞書を引く早業は身に付けよう。
4)ビオフェルミンは大瓶で持つべきだ。

行く前の半年くらい、朝日カルチャーでびっちり勉強したつもりだったんだけど、日本で習ったことはマラガの最初の1週間で終わってしまったのよー。それにしてもこの一件に懲りず“旅行的留学”を繰り返す私って、ちょっと病的?

 

>>体調をくずした私は、毎日下痢ピーで、たった2週間で5キロ位痩せてしまいました。
>>留学ダイエット


留学ダイエット

2004-09-12 | 留学こぼれ話

初めての留学は、スペインのマラガにある語学学校(2週間)でした。もう10年近く前の話です。何校かに資料を請求して、そこを選んだのは日本語パンフがあったからです。

設備の良さそうな寮での、ちょっとリゾート気分の快適な2週間を思い描いていました。しかしそれは甘かった。そのハードな生活の原因が学校にあるというわけじゃないのですが、悔しいのは、テキストがスペイン語のほか英語やドイツ語でも書かれていて、不公平だったということ。日本語なんてパンフ以外のどこにもない。。。

スペイン語学校の中で英語が共通語として使われることはよくあること。しかし文法用語などそっくりな英語やドイツ語で説明も問題も書かれ、まったく似ても似つかない日本語に対して何の補助もないというのではヒドすぎます。かくして、横文字言語族が午後のひとときを観光だの買い物だの、プールで乳をだして日光浴だの、夜は夜でセルベッサ(ビール)だのとお楽しみの間、私はひとり寮にひきこもり、ひたすら辞書を引きまくっていたのでした。クッら~い。

体調をくずした私は、毎日下痢ピーで、たった2週間で5キロ位痩せてしまいました。いいな~!と友人は皆うらやましがりましたけどね。あなたもどうですか?留学ダイエット。(→続・留学ダイエット)