ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

情報の制約がポータルサイトの成立条件

2004年10月08日 | 検索・ポータル
インターネットという無限に広がる情報の中では我々は漂流を続けるしかない。限られた帯域"チャンネル"と時間こそがTVというデバイスを最大の「ポータルサイト」として成り立たせている。あるいは許認可という談合の下、わずか3社によってシェアを分け合う携帯電話市場は、だからこそ最強のパーソナルツールとして、あるいは課金手段として成立した。

例えば書店で本を買う。

書店には当然、「空間」という物理的制約がある。だからこそ我々はそこに陳列されている書籍の中から気に入ったものを選ぶことができる。

仮にその作家がTVに出ていたら?
気が付けば見るかもしれないし、気づかなければそのまま過ぎていくだけだ。TVとは時間軸の中で再現性を求められないのだから。

ではインターネット上でその作家がサイトを開いているとしたら?
果たして我々はそのサイトとどのようにして出会うだろうか。インターネットとは再現性のあるメディアだ。あるいは時間という制約から解放されたといってもいい。にも関わらず、その無限さゆえに出会うことなく、漂流し続ける。

かってYahoo!が便利であったのは、情報が制約されていたからではなかったか。適切な情報が陳列されていたからこそ利用されていたのだ。

では今、Googleが利用されるのは何故か?そのサイトには何も「窓」以外は何も存在しない。このサイトデザインが意味すること。この「窓」が意味すること。つまり、全ての情報が制約されていること=目的に応じた情報のみを提供すること、が同義として存在しているのだ。

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