ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

CELL REGZA・RYOMA・GoogleTV 雑感

2010年03月26日 | デジタル家電・iPodなど
先日の「GoogleTVは「テレビ」から自由になれるか」でも軽く触れた件について。ちょっと前になるのだけれど、NHKスペシャル「NHKスペシャル メイド・イン・ジャパンの命運」で日本の技術立国再建にむけて、JVC・ケンウッドの「RYOMA」と東芝の「CELL REGZA」の開発裏話をやっていた。

JVC・ケンウッドの「RYOMA」については、それが発表された時に推測含め、コンテンツ面での課題を書いた。

JVC・ケンウッドの「M-LinX」「RYOMA」が直面するネットラジオの課題 - ビールを飲みながら考えてみた…

現時点でまだ製品の発表の声は聞こえてこないのだけれど、その間にネットラジオをめぐる状況に大きな変化があった。予想以上にネットで盛り上がっているIPサイマルラジオ「radiko.jp」がスタートしたのだ。

一見するとこの状況はRYOMAにとっても追い風に見えるかもしれない。しかし現実はそんなに甘くはないだろう。メーカー主導で、ある種、ブルーオーシャンを作ろうとしたJVCと既存の放送・広告ビジネスの枠組みを前提としたい「RADIKO」側とではそもそも企画自体も別だっただろうし、ボタンの掛け違いが存在する。

RADIKOでは、まずネットに接続しているPC≒既に存在している顧客基盤をターゲットと考えた。そのためより汎用的に利用されるために、IPv6の閉じた世界ではなく誰もが利用できるインターネットをベースとし、またWMAではなくFLASHをベースとした配信を選択した。Flashを選択したことはPCやandroid端末を相手にするならいいのだろうが、今後、ネットに繋がっていくであろうデジタル家電(テレビやオーディオ)を考えた時には、疑問符が残る。

BDやオーディオ機器ではWMA、MP3、WAV、AAC、FLAC3には対応しているものはあるが、FLASHに対応しているものはあるのだろうか?テレビでも最近はYouTube対応したものはあるものの、通常のネットブラウジングとは別扱いだったりする。Flashを選択した結果、PCとの相性はよくなったものの、それまで「ラジオ」を届けていたデジタル家電との相性は悪くなったのだ。

「RYOMA」は「RYOMA」で自社およびライセンス先のハードウェア販売を通じて「出口」を押さえてしまおうというモデルだ。そのため独自に利用者の「地域情報」をもとに「チャンネル」を提供する仕組みを用意した。しかしここに「RADIKO」との相性の悪さがある。「RADIKO」ではユーザーのIPアドレスをもとに地域を判別し、メニューを出し分けることで利用者の「地域限定」を実現する仕組みを独自に用意しているのだ。

「RYOMA」の仕組みは(少なくとも発表当時は)IPアドレスによる判別ではない。となると「RYOMA」と「RADIKO」ではチャンネル表示/選択の段階で既に「かけちがい」が存在することになる。上手く組めばいい関係が構築できそうな両者ではあるけれど、最初の段階で「ズレ」てしまっているのだ。

このあたりの方式の調整がなされないとRyomaでRadikoが聴けるという風にはならないだろう。

とはいえこちらはまだまだ面白いモデル。それに対して違和感を感じざろうえなかったのが「CELL REGZA」の方だ。

「CELL」は、東芝、ソニー、IBMが共同開発したCPUで、プレイステーション3に採用されており、スーパーコンピューター並みの能力があるとされている。東芝はそんなCELLプロセッサをTVに採用、HDD容量3Tバイト、14個のデジタルチューナーと地上アナログチューナーを搭載し、最大8チャンネルで26時間分の番組を録画できるという「化け物」を作り出した。もっとも値段は100万円もするのだけれど…

もちろん性能はすばらしい。しかしフラグシップとしてはともかく、誰がここまでのものを「テレビ」に求めているのだろうか。いやそもそもテレビに今、求められている機能とはこういうものなのだろうか。

かたやSONYは3Dテレビを次のターゲットとしているとのこと。

まぁ、「アバター」の大ヒットがあったり、「映像」としての迫力を追求するという観点からは「3D」という方向性もわかるのだけれど、これも3Dメガネをかけないと見れないのだとすると、食事中に気軽に見るという感じではない。1人でRPGにはまっている時か映画を見るときくらいしか利用シーンが思いつかない。

PS3の登場時と同じように、本物と見間違うくらいの凄い映像や迫力を実現するゲーム「専用機」としての面白さを追求したからいって、それが必ずしも多くのユーザーに求められているとは限らないように、CELLレグザや3Dテレビも「(テレビ開発の)技術屋」として追求したいものと、ユーザーが求めているものとが違うのではないかという気がしてならない。

そうではなく、もっと「映像」とは違うサービスと結びつくことで、新しい魅力を引き出す/魅力を再発見することを考えられないだろうか。例えば「2ちゃんねる」の実況版や「ニコ動」が実現したようなコミュニケーションサービスとの連携や、番組HPとの連携、検索連動などなど。もちろんSONYなどが手がけているガジェットのようなものもあるかもしれないし、そうでなくてもテレビを見ながら同時に「天気予報」や「ニュース」を検索するなんてこともあるかもしれない。

「映像」としての精度を高めることもいいのだけれど、そうではない発想でこれまで以上の「テレビ」が出来るのだと思う。そして「GoogleTV」という言葉に期待するのは、そうした「テレビ屋」でない発想だ。

世界最強のブランドと言われた「メイド・イン・ジャパン」が、デジタル化・ソフトウェア化の流れの中で製品の差別化が難しくなり、また韓国・台湾勢などとのコスト競争の中で生き残りの道が問われるようになった今、技術屋としてだけでなく、柔軟な発想と横断的な連携にこそ新しい可能性があるのではないだろうか。


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