YouTubeとは対極的ともいえる「NTT」が動画共有サービス「Cliplife」のトライアルを行うとのこと。あまり話題になることもないけれど、これ以前にNTTはこういった動画共有サービスを提供していたことがある。その当時は、「BROBAキャスティング」「BROBA BBS」といわれていたサービスで、ADSL1.5Mが出始めた時代に動画投稿サービスや1つの動画を見ながら掲示板に書き込みをできるといった、今、考えてもかなり先進的な部分をいっていたサービスだ。
NTTが動画共有サービス「Clipfile」のトライアル--不正映像検出技術も検証 - CNET Japan
そうした経験があるからなのか、今回のトライアルでは他の動画共有サービスのプレスリリースではあまり焦点が当てられることのなかった運用面、「過去に不正と判定された投稿映像との同一性を判定するメディア探索技術や、映像中の情報を自動抽出して人手による判定作業の短時間化を図る映像内容理解技術などの有効性」を検証が1つの目的となっている。これは全くその通りで、現在のYouTubeが行っているような「事後的な」不正動画の削除という方法が本来的に適切なわけではない。ネットのもつ「自由さ」「(使う側の)利便性」「変化への適応性」を大事にするならば事後的な対応でもよいと考えるかもしれないが、インターネットが個人の利己性がむき出しになる「欲望メディア」であることを考えると、「事後的な」対応が適切な利用の範囲にとどまる可能性は低い。Webが一部のネットおたくたちのものであればいいというのであればともかく、より多くの人が利用するインフラとして成長させていくためには、何らかの「歯止め」も必要になってくるのだ。
しかしこうした理念が現状のネットの世界で理解されるだろうか。
ともう1つ、このサイトでは「Creative Commons」に基づいて段階的な利用制限を容易にかけることができるという。
これも非常に大事な観点だろう。今回の取り組みにおいては、インディーズ音楽のコミュニティサイト「muzie」や短編作品の動画配信を行う「短編.jp」とも連動するということで、発信側が自らの作品の利用にコミットできるという仕組みは非常に意味がある。
ただ現在、こうした映像の投稿というものが果たして個人の表現手段の拡大のために利用されているかというと疑問なところもある。
こうした映像をUPする側というものは、大雑把に分けると、
1)映像作品で生計を立てている、強固な配信コントロールと収入を求める「プロ」
2)「プロ」を目指しその過程として自らの作品を知って欲しいと考える「セミプロ」
3)趣味の延長ではあるものの自己表現の手段として積極的な作品を制作する「アマチュア」
4)自分の撮った作品を身近な人々と共有したいとする「素人」
と、「自己表現」という切り口からは四種類くらいに分かれるのだろうが、実はこれにプラスして
5)盛り上がりそうな映像を他者と共有したい「大衆」
というものが存在する。彼らは盛り上がればいいというだけで、著作権違反や不正利用といったものに対してはかなり無頓着であり、また「自己表現」という感覚さえない。実際、YouTubeに投稿されあるいは視聴されている映像の多くはこの手のものだろう。「のまねこ」の原版フラッシュなどは3)~4)の要素が強いだろうが、ただミュージックビデオを投稿している層、テレビ番組を投稿している層などはそこに「自己表現」や「引用」という要素があるわけではない。
こうした現状を考えるとき、この「Creative Commons」に基づいた取り組みというのはまだ「早すぎる」のではないか。あるいはネット時代において、自己表現の世界においても、イノベーター層からアーリーマジョリティ層までのキャズムの時間的位相がリアルな世界よりも遥かに大きく、普及までのタイミングとしては果たして適切だったのか。このあたりが課題となるのだろう。
YouTube型「投稿・無料広告モデル」が成立するための課題
広告があるから「YouTube」が失敗するわけではない
NTTが動画共有サービス「Clipfile」のトライアル--不正映像検出技術も検証 - CNET Japan
そうした経験があるからなのか、今回のトライアルでは他の動画共有サービスのプレスリリースではあまり焦点が当てられることのなかった運用面、「過去に不正と判定された投稿映像との同一性を判定するメディア探索技術や、映像中の情報を自動抽出して人手による判定作業の短時間化を図る映像内容理解技術などの有効性」を検証が1つの目的となっている。これは全くその通りで、現在のYouTubeが行っているような「事後的な」不正動画の削除という方法が本来的に適切なわけではない。ネットのもつ「自由さ」「(使う側の)利便性」「変化への適応性」を大事にするならば事後的な対応でもよいと考えるかもしれないが、インターネットが個人の利己性がむき出しになる「欲望メディア」であることを考えると、「事後的な」対応が適切な利用の範囲にとどまる可能性は低い。Webが一部のネットおたくたちのものであればいいというのであればともかく、より多くの人が利用するインフラとして成長させていくためには、何らかの「歯止め」も必要になってくるのだ。
しかしこうした理念が現状のネットの世界で理解されるだろうか。
ともう1つ、このサイトでは「Creative Commons」に基づいて段階的な利用制限を容易にかけることができるという。
これも非常に大事な観点だろう。今回の取り組みにおいては、インディーズ音楽のコミュニティサイト「muzie」や短編作品の動画配信を行う「短編.jp」とも連動するということで、発信側が自らの作品の利用にコミットできるという仕組みは非常に意味がある。
ただ現在、こうした映像の投稿というものが果たして個人の表現手段の拡大のために利用されているかというと疑問なところもある。
こうした映像をUPする側というものは、大雑把に分けると、
1)映像作品で生計を立てている、強固な配信コントロールと収入を求める「プロ」
2)「プロ」を目指しその過程として自らの作品を知って欲しいと考える「セミプロ」
3)趣味の延長ではあるものの自己表現の手段として積極的な作品を制作する「アマチュア」
4)自分の撮った作品を身近な人々と共有したいとする「素人」
と、「自己表現」という切り口からは四種類くらいに分かれるのだろうが、実はこれにプラスして
5)盛り上がりそうな映像を他者と共有したい「大衆」
というものが存在する。彼らは盛り上がればいいというだけで、著作権違反や不正利用といったものに対してはかなり無頓着であり、また「自己表現」という感覚さえない。実際、YouTubeに投稿されあるいは視聴されている映像の多くはこの手のものだろう。「のまねこ」の原版フラッシュなどは3)~4)の要素が強いだろうが、ただミュージックビデオを投稿している層、テレビ番組を投稿している層などはそこに「自己表現」や「引用」という要素があるわけではない。
こうした現状を考えるとき、この「Creative Commons」に基づいた取り組みというのはまだ「早すぎる」のではないか。あるいはネット時代において、自己表現の世界においても、イノベーター層からアーリーマジョリティ層までのキャズムの時間的位相がリアルな世界よりも遥かに大きく、普及までのタイミングとしては果たして適切だったのか。このあたりが課題となるのだろう。
YouTube型「投稿・無料広告モデル」が成立するための課題
広告があるから「YouTube」が失敗するわけではない
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