大門坂駐車場
午前中、南紀白浜から黒潮の海を眺めながら約100㎞
目的地には12時ごろを目標に、天気回復を祈りながら走った
日本三大古道の一つ
熊野古道を通る大門坂は、熊野詣で栄えた当時の面影を美しく残しており
聖地「那智山」へと全長約600m、高低差約100mの石畳が続きます
ところが、、、曇天はそのまま雨雲となり大雨となった
大門坂駐車場に着く頃は土砂降り、駐車場でしばらく様子みをしたが
大門坂から熊野古道を歩くのは諦め
車で駐車場をさがしながら参道下まで上がり、車を停めた
駐車場の前から「参道入口」
振り返って
参道脇に咲いていた、秋の花たち
実方院跡
実方院跡から見上げると
それでは熊野那智大社について
熊野那智大社は、新宮市の熊野速玉大社とともに熊野三山の一社です。
全国約4,000社ある熊野神社の御本社でもあり、
日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社です。
古来当社はご祭神「熊野夫須美大神」の御神徳により「結宮(むすびのみや)」と称され
人の縁だけでなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められました。
那智御瀧は自然を尊び延命息災を祈る人が多く、
また八咫烏の縁起によりお導きの神として交通・海上の安全の守護を祈り、
さらに御神木の梛の木は無事息災をあらわすものとして崇められています。
熊野の自然と共に神々の恵み深い御神徳のある神社であります。
参照:HPより抜粋
狛犬の角を発見!
獅子と狛犬
神社に奉納、設置された空想上の守護獣像
本来は「獅子・狛犬」といい
向かって右側が口を開いた角なしの「阿像」で獅子
左側が口を閉じた角ありの「吽像」で狛犬です
平安時代以後は、「獅子」と「狛犬」という組み合わせでしたが、、
江戸時代頃から今の阿吽像となり、呼び名も狛犬に定着してきました
とても貴重な阿吽像だと思います
阿像 獅子
吽像 狛犬
口を閉じ角があります
拝殿
【主祭神】熊野夫須美大神
(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)
御縣彦社(みあがたひこしゃ)
八咫烏(やたがらす)
宝物殿
カワイイ龍さまの後ろ姿
クス(樟、楠)
御神木 樹齢800年以上
私は頭がフワフワ混乱し、フラフラ雨宿りをしていると
子から樟霊社の胎内くぐり勧められた
「護摩木」に願いごとと名前を書いて
御神木の胎内に入ります
中は空洞で大人一人は十分の広さ
かすかに樟脳の匂いがし鎮痛作用か、居心地は悪くない
岩窟と異なり、生きた樹木の中は、温もりを感じるような気がした
まさに胎内くぐり
護摩木を持って通り抜け、無病息災を祈り、疫病退散も願って、、、
子は、日本一大きなおみくじを抱えて振り(引く)
大きさは150㎝はあるかも
「吉」に喜んでいた(今年「凶」を引いていて、、、)
どうでも良いことだけど、雨宿りのお陰で気分転換ができた
つづいて、階段を下り 那智山 青岸渡寺へ
山号 那智山
本尊 如意輪観音菩薩
明治時代の神仏習合が廃されると
熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが
熊野那智大社では如意輪堂は有名な西国三十三所の第一番札所であったため
ひとまず破却はせずに、、、
ただ仏堂や仏具は補陀洛山寺などに移され、空堂とされた
やがて青岸渡寺として復興した
本堂
(重要文化財)
三重の塔と那智の滝
イヌグス タブノキ(椨の木) クスノキ科タブノキ属
鎌倉時代ごろから約700年
織田信長の焼き討ちにも生き残った
西国第一番 ご詠歌
補陀洛(ふだらく)や
岸うつ波は
三熊野(みくまの)の
那智の御山に
ひびく滝津瀬(たきつせ)
宝篋印塔
(重要文化財)
中の石は、まだ新しいですね
鐘楼
元享4年鋳造の梵鐘
如法堂(大黒天堂)
大黒天を下りて、近くに熊野古道があった
上まで歩いてみた
これから三重の塔と、熊野那智大社の別宮・飛瀧神社
那智の滝・御滝拝所に参ります
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