今年最も感動した番組「グレートヒマラヤトレイル」
世界で最も高いところに刻まれた一本の道「グレートヒマラヤトレイル」
誰も見たことのない映像を求め二人のカメラマンが旅する!
BSP NHKより
「カンチェンジュンガ “五大宝蔵”を求めて」
標高8000mを超える山々を望み1700kmにわたりネパ . . . 本文を読む
大沢池、嵯峨菊
京都・嵯峨野にある、真言宗大覚寺派の本山、大覚寺
正式には「旧嵯峨御所大覚寺門跡」
名前に「門跡」とついていますが
これは皇族・貴族が住職を務める特定の寺院のこと
住職さんのことも「門跡様」と言います
大覚寺は、明治時代初頭まで代々皇族の方が住職を務めていた、格式のあるお寺です
嵯峨 . . . 本文を読む
奥嵯峨は風情のある建物が軒を連ねる景観美観地区
雰囲気のある街並みを眺めながら歩いているうちに、あだし野念仏寺へと到着
歴史 伝承によれば弘仁2年(811年)
弘法大師空海が当地に野ざらしになっていた遺骸を埋葬して
供養のために1,000体 . . . 本文を読む
ここは嵐電嵐山駅から化野念仏寺を通過して更に奥へ
鳥居本と云う古民家、愛宕神社の第一の鳥居を潜って、更に奥へ、、、
嵯峨野の最深部、渡月橋を渡り3㎞ほど奥に入った天台宗の仏教寺院
別名「千二百羅漢の寺」と呼ばれている「愛宕念仏寺」(おたぎねんぶつじ)に参りました
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平家物語に登場する“悲恋の尼寺”祇王寺
平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王(21歳)が、清盛の心変わりにより
都を追われるように母の刀自(45歳)と妹の祇女(19歳)とともに出家、入寺した悲恋の尼寺
のちに、「いつか我が身も同じ運命」と悟った仏御前(17歳)が
旧怨を捨てた祇王母子に加わり、四人で念仏三昧の余生を送ったと . . . 本文を読む
江戸前期の俳人、向井去来と師の松尾芭蕉の事績を今に伝える
庭の手入れは行き届き、この時期は紅葉や赤く色づいた柿の実が興趣を添える
今に至るまでには何度も荒廃の危機があり、その都度、有志が現れて維持されてきました
落柿舎は、畑に囲まれた小さな庵です
素朴な草庵の魅力が、人を惹き付けるのでしょう . . . 本文を読む
小倉山
平安時代より嵯峨野の地は、皇族や貴族の離宮、山荘をかまえる景勝地として有名でした。
特に小倉山、亀岡、嵐山の山麓は、後嵯峨上皇の亀山殿、兼明親王の雄倉殿、藤原定家の小倉山荘の他、
八条院高倉、待賢門院の中納言局、藤原公雄、藤原光経、飛鳥井雅有、覚性法親王や西行法師、
涌蓮、向井去来など公家や歌人が好んで別荘や菴を構えた地域です。
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慶長18年、伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたもの
二尊院は小倉山山麓にたたずむ天台宗のお寺。
承和年間(834~847)に嵯峨天皇の勅願により慈覚大師円仁によって開かれました。
その後衰退しましたが、鎌倉時代に法然上人らによって再興されました。
人が誕生して人生の旅路に出発する際に現れる「発遣の釈迦」、
そして人がその寿命をとじるときに極楽浄土より迎 . . . 本文を読む
宝筐院 ( ほうきょういん )
宝筐院は、京都嵯峨野にある臨済宗の寺院 です
平安時代に、 白河天皇のよって創建され、 当時は、 善入寺といいました
南北朝時代に 夢窓国師の高弟 黙庵周諭禅師が寺に入り、 足利義詮の保護で伽藍が復興されました
足利 義詮の没後、義詮の院号の宝筐院にちなみ、寺名は宝筐院と改められました
足利義詮と楠 . . . 本文を読む
曹源池(そうげんち)庭園、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されています
「天龍寺」は
後醍醐天皇を供養するために室町初期(1339年)に臨済宗として創建
開基(資金提供)は足利尊氏
開山(初代住職)は、日本初の作庭家ともいわれる臨済宗の禅僧・夢窓疎石(むろうそせき)
夢窓疎石が堂舎を建て、池を整備したことは確かだが、作庭までの行った確証はな . . . 本文を読む
2020 秋の特別拝観
「獅子吼の庭」
庭園「獅子吼(ししく)の庭」は室町時代の禅僧、策彦周良禅師によって作庭
嵐山の景観を匠に取り入れた借景回遊式庭園です
「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味であり庭園内を散策し、
鳥の声、風の音を聴く事によって、人生の心理、正道を肌で感じ、心が大変癒する庭です。
宝厳院・弘源寺HP
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