インスブルックでは重たい雲に隠れていた山々がわずかに見えだした
走っていると見慣れた「キャノン」の広告塔が2面
ブレンナー高速道路(Europa brücke)で寄り道です
Die Europabrücke ist das Kernstück der österre . . . 本文を読む
Café-Restaurant Sacher Innsbruck
左右にウエルカムボーイ
こちらのウエルカムボーイの<ちょぼひげ>は誰かのいたずら書き
カフェ・ザッハーは王宮の入口の真横
ザッハー・トルテ コチラ
落ち着いた店内は、 . . . 本文を読む
インスブルック(Innsbruck)は、オーストリア共和国の都市で、チロル州の州都
風光明媚な観光地として、またウィンタースポーツの地として世界的に知られており
1964年と1976年に冬季オリンピックを開催したことでも知られる
面積104.91 km²、2006年末の人口は12万人弱
因みに、1985年長野県大町市とは姉妹都市
歴史では、14世 . . . 本文を読む
イタリア・ボルツァーノから約124㎞、オーストリア・インスブルックに入りました
シェンゲン協定加盟国同士なので、パスポートチェックはなしです
いきなりインスブルックの玄関口となっている凱旋門に圧倒されました
パリの凱旋門よりは小さいですが
ハプスブルク帝国の最盛期の女帝として有名な
マリアテレジアが作らせたと言えば意味が違います
topフォトは南面に結婚を祝う「幸福の象 . . . 本文を読む
topフォト 双頭の鷲
オーストリアに入った頃は雪混じりの雨が降っていた
ウイーンに着いた
部屋にはウエルカムフルーツ・ミネラルウォーターが用意されていた
予断だがドアが鉄ドアのように硬くて開閉に苦労した。(通貨 1€¥140~145) ⇒当時
. . . 本文を読む
ハンガリー:ブダペスト郊外のドナウベント地方に位置する小さな可愛い町「センテンドレ」
「ベント」は曲がるの意味、ドナウ川を遡って曲がりくねった所にセントンドレ町がありました
蛇行したドナウ川を北上し、車窓から見える田舎の風景をボーっと見ながら。。。
四角い煙突の先に小枝・藁のような巣が見え . . . 本文を読む
☆只今、過去記事を整理しています☆
当時のブログは、まだ<よちよち歩き>で今より絵文字が多く赤面します( *´艸`)
まぁ、それはそれで楽しかったのでしょうね。
色々と旅の印象・思い出は残っていますが、12年前のハンガリーは1989年共産圏崩壊後で
ある意味でインフラ関係は工事現場が至る所にありましたが、
静かでのんびりしたな街 . . . 本文を読む
出国前に、ゴルナーグラート展望台は0℃位になるので
寒くない服装を用意して下さい、とアドバイスがあった。
悩んだ挙句防寒服をトランクに詰めた。
お天気にもよるが5月初旬でセーター、ウインドブレーカーで充分。
お陰様でフル装備で寒くはなかったが、ここまでしなくてもよかったかも(笑)。
そして空気が薄くなり、急に走ったりしては危険とのことでしたが、
普通に歩くには全く問題は . . . 本文を読む
いくらお金を持っていくか考えるところですね。
円高とか言っても特別な買い物はなく、日本の日頃のお買い物程度+ちょっと贅沢程度のお金を用意しました。
まず換金率の良いところの情報は成田「京成トラベルたびるーむ」と知りました。
日頃からレートチェックしている方は、旅行前から良い換金率で両替すると良いのですが、なかなかそうはいかないです。
大きなトランクをゴ . . . 本文を読む
リヨン駅(Gare de Lyon)
昨年末より友人Kさま改め<にこちゃん>とヨーロッパに行くタイミングを計っていた。
お互いに家庭と仕事を持っているためなかなか調整はつかずだったが
5月のGWを利用してフランス・スイス・ドイツへ行ってきた。
大きなカバンにはご覧のシールを貼って、じょじょ&みさみさも同行です(笑)
目 . . . 本文を読む
ヨーロッパの歴史を作ったハプスブルク家を知ると、一段と西洋史が面白くなる。
マリー・アントワネットのお母さんが政治で多くの改革をした<マリア・テレジア>
彼女なくしてハプスブルク家は語れない。
1740年、父カール六世の後を継ぎ、オーストリア大公となる。
子供は16人も産んだ肝っ玉母さん。
政治もさることながら、夫を慈しみ家庭的な女性でもあった。
(内緒:体重は100㌔ . . . 本文を読む
オーストリアに入った頃は雪混じりの雨が降っていた。
ウイーンに着いた
部屋にはウエルカムフルーツ、ミネラルウォーターが用意されていた。
予断だがドアが鉄ドアのように硬くて開閉に苦労した。
(通貨 1ユーロー¥140~145)
ぶどうは甘くて食べやすく、ポイポイ口のなかに
. . . 本文を読む
ヨーロッパは久しぶりの旅行だ。
関西に住んでいる友人のお誘いに喜んで参加。
旅先はかつて東ヨーロッパ、オランダ+ハンガリー・オーストリア・チェコの世界遺産巡り。
今は共産圏の崩壊で東ヨーロッパから呼び名も,
中央ヨーロッパに変わりました。
まだまだ時差ボケもあり、
膨大な撮影フィルムの記録もこんがらがった状態で整理がついていないが
忘れかかっている?記憶を辿り . . . 本文を読む