新宿歌舞伎町ゴジラロード突き当り
東京都新宿区歌舞伎町1-19-1 新宿東宝ビル3F
TOHOシネマズ 新宿
映画鑑賞した日は、一日一上映 市松模様のような新型コロナ感染対策席
予約は当日からのみで深夜0時にネットで購入
東宝シネマに着いた時は完売していた
昨年上映予定が一年延びた映画「HOKUSAI」
今年4月、偶然信州小布施「北斎館」を訪ねて運よく映画上映を知ったわけ、、
で、、、☟
☆信州小布施 北斎館 * 旅する浮世絵
映画『HOKUSAI』冒頭シーン
作品は誰もが知っているが、作者の“素顔”は誰も知らない孤高の天才、それが葛飾北斎。
「HOKUSAI」は、決して最初から天才ではなかった彼が、愚直に「好き」と向き合い続けたことで、
“伝説”へと成っていく姿をエネルギッシュに描いている。
他の絵師と比べてどれだけ格下だろうと、時代の逆風にさらされようと、
己の感覚に正直に「好きなことで、生きていく」を貫いた北斎。
時代を超越するクリエイターの矜持に、いまを生きる勇気をもらえるはずだ。
本項目では、彼からキャッチできる“学び”を、五つのポイントで紹介していく。
【学び、その一】 時代のせいにするな! ただ「好き」を愚直に極めるべし
【学び、その二】 才能は二の次、“継続”こそが最大の武器となる
【学び、その三】 ブレイクに年齢は関係なし! 探求心は年を取らない
【学び、その四】 権力に屈すな! 自分の居場所は自分で勝ち取る
【学び、その五】 限界を決めたら終わり! 真の作品は、国境も時代も越える
HOKUSAIは映画・comのあらすじ・見どころ解説・レビューはコチラ参考にして!
映画『HOKUSAI』<本編映像>田中泯が雨中で舞う!
北斎ブルー・ベロ藍 誕生シーン
沢山の感想・レビューが発表されているので、、、ここまで
私は北斎の娘「応為」が気になった
作:葛飾応為
浮世絵を多数所蔵する太田記念美術館開館40周年を記念した展覧会より
☝
葛飾北斎の娘・応為(おうい)の《吉原格子先之図》は、
世界に十数点しかないと言われている応為の肉筆画のひとつ。
吉原の妓楼・和泉屋を描いたもので、
浮世絵らしからぬ光と影のコントラストには西洋絵画からの影響がうかがえる。
また「応」「為」の文字と、応為の本名である「栄」の文字が隠されている提灯も、
高度に光源の方向を計算して描かれたことがわかる。
参照:美術手帳
映画では娘「お栄」さんが、父北斎に「おやじ殿」と呼び
男勝りながら甲斐甲斐しく寄り添っていく
☟ 葛飾 応為
北斎には2人の息子と3人の娘(一説に4人)がいた。
三女だった応為は、3代目堤等琳の門人・南沢等明に嫁したが、針仕事をほとんどせず、
父譲りの画才と性格から等明の描いた絵の稚拙さを笑ったため、離縁されてしまう。
出戻った応為は、北斎の制作助手も務めたとされている。
顎が出ていたため、北斎は「アゴ」と呼んでいたという。
80歳後半の北斎自筆の書簡でも応為を「腮の四角ナ女」と評し、
自身の横顔と尖った顎の応為の似顔絵が添えられている。
「応為」の画号は、北斎が娘を「オーイ」と呼んだので、それをそのまま号としたとも、
逆に北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」と大津絵節から取って呼んだからという説や、
あるいは北斎の号の一つ「為一」にあやかり、
「為一に応ずる」の意を込めて「応為」と号したとする説もある。
(Wikipedia)
映画鑑賞後、信州小布施で生浮世絵をたくさん観賞したものとしては、
画狂老人卍の凄さを、、、何か物足らなさを感じた
上町祭屋台天井絵【男浪(おなみ)】と【女浪(めなみ)】
最後に青年・老年、HOKUSAI 二人が描いて辻褄を合わせていた
が、、、映画的に「気持ちを込めて」表現した実力は
舞踏家の田中泯さん、柳楽優弥くんのインタビューはなかなかであった
田中泯の即興演技の美しさに驚がく
映画『HOKUSAI』インタビュー
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