京都市街地の北部と比叡山(正面)、大文字山(如意ヶ嶽)、鷹峯などの眺望できるそうですが、、
京都へはそれぞれの思いと興味・趣味があり
京都愛の家族は、行動はいつも一緒と言うわけではなく
ある意味で自由行動をとっています
昨年もそのようなスケジュールで上手くいったので、今回も車から離れて
電車・バスを使う日もあります
朝一番は、みんな揃って建勲神社にお詣りしました
「山登りできるから、大丈夫だね」と言う、なるほど長い階段からスタート
「船岡山」は、北大路通の南側にある標高112mほどの小さな丘で
その形が船を伏せたように見えることから「船岡」と呼ばれてきた
平安京へ遷都した第50代・桓武天皇は、船岡山の山頂から山城盆地を見渡し
都を遷すことを決めたと伝わることから「京都始まりの地」とされ
「国見の丘」と呼ばれるとともに、北方守護の神*「玄武」が宿るとも伝えられています
*平安京は朱雀(南)、蒼龍(東)、白虎(西)、玄武(北)の四神が守る地
北の玄武が船岡山だと言う説
次の階段
手水舎
風鈴・水苔にシダと清涼感が漂う
最後の階段
11年にも及ぶ長い戦いが繰り広げられた「応仁の乱」では
山名宗全率いる西軍が船岡山に城砦を築いたとも伝えられている
更に、「本能寺の変」の後
豊臣秀吉が船岡山を織田信長の霊地と定めて以来、信長公の大切な地と伝えられていたことから
建勲神社は、明治2年(1869)、明治天皇の命により織田信長を祀るための神社として創建
明治8年に織田信長を祀る建勲神社の社地に選定され
明治13年には社殿が新たに造営されるなど、時代時代でその名を刻んできた
呼び名ですが、正式には「たけいさおじんじゃ」といいますが、
一般には「けんくんじんじゃ」「けんくんさん」として親しまれているそうです
では、お詣り致します
拝殿
祓い串で左・右とお祓いし、お清め
神門 本殿
主祭神 織田信長公
気が付きました、建勲神社の拝殿前から
左の三角の山は「比叡山」、東の方向は「大文字」が見えて、、
※ topフォトは山に気が付き、帰りに撮影しました
「五山の送り火」はお盆に行われる京都の伝統行事
京都を囲む5つの山に
それぞれ「大文字」「左大文字」「船形」「鳥居形」「妙法」の形に火を灯し
五つの山に5種類の送り火を焚くところから「五山の送り火」
古都ならではの行事です
三角の木が植わってないところに大文字
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また、「京都刀剣御朱印めぐり」の4神社の一つ
刀剣御朱印
こちらが参道だったのですね (近道)
建勲神社には多くの信長ゆかりの品を所蔵(国の重要文化財に指定)
*信長着用の紺糸威胴丸(こんいとおどしどうまる)
*桶狭間の合戦の際の義元左文字の太刀
*太田牛一自筆本の「信長公記(しんちょうこうき)」
建勲神社近くの宿に、一年の仕事終わりの年末に東京⇒京都へ
子が毎年来ていた場所が、船岡山エリアだった
私の京都地図から離れた場所だったので共有する利点ができ、大変良かった
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