米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

memento mori (メメントモリ)・・・ちょっと書き足したversion

2013-06-11 10:42:16 | おもうこと

なんでも、ミスチルの曲にこの副題が付いている「花」という曲があるそうで、機会があったら聞いてみたいところですが、今日は「memento mori」のお話・・・

って小話かい!

memento moriは、ラテン語で「死を思え」「死を忘れるな」・・のような意味です。

ご存じの方も多いことと思います。

memento・・・moment・・・まさに、、覚えよ。忘れるな。。

mori・・・音楽用語として使われているイタリア語の、morenndo・・・死に絶えるように。消えるように。。

教訓的には、皆、生まれてきたものは死ぬのだから、日々をしっかり生きねばならない。

楽観的に考えれば、だからこそ毎日を楽しく生きようよ!

のようなとらえ方もあるでしょう。

イタリアでは、「カンターレ、マンジャーレ、アモーレ」(順番は違っていたかもしれませんが。。)といって、生きているなら「歌い、食べて、愛せよ」と・・・

人生って、必ず報われるとは限らず、「不条理」なものなんだと思います。

「なぜ?」と言いたいことも、しばしばあるのかも知れません。

私の生徒さんの中にも、若く・・いや幼くして人生の幕を閉じなければならなかった子たちもいます。

小さな棺でした。

今でもその子たちの姿とともに、話している声を思い出すこともできます。

あの子たちは、確かに生きていたんだなと。。

ご父兄の方になれば、もっと数多くいらっしゃいます。

むかし、聴音とアンサンブルのレッスンもしていたことがあって、少しの間通ってきてくれていた男の子がいました。

10歳くらいだったと思います。

とても仲のいい家族で、いつもお母様だけでなく、ご主人やおばあちゃんまでご一緒でした。

1年くらい通ってくれた後だったと思います。

そのお母様が亡くなられたと。。。

お悔やみに行くと、クリスチャンだったので、白い花とともに十字を切った覚えがあります。

もともと心臓がお悪かったとのこと。。

子供を産むのは、命の危険があると医師に言われたけれど、命と引き換えでもいいから生みたいとおっしゃって、その男の子を出産されたのだそうです。

その子とともに生きた10年は、きっと本当に素晴らしいものだったのだと思います。

そしてその子に、確かに人生のバトンタッチをして逝かれたのでしょう。

その子も今では30歳を過ぎて、もしかしたらお父さんになっている可能性だってあります。

そのお母様がつながれたいのちのリレー

こうして遺伝子や学問や芸術や、その他あらゆることを次の世代にリレーしているのかも知れませんね。

先日、何十年ぶりに友人を誘って、ランチをすると書きました。

とても楽しいものでした。

「最近どうしてる?」

なんて話しながら。。

「主人が亡くなったのよ」

と友人。

もちろん知らないことでしたから、驚きました。

悲しいことです。

でも早かれ遅かれ、いずれやってくること。

多くの仕事や友人、そして大切な子供たちを残して、確かにその人が生きていたんだという証を残して逝かれたのだなと思います。

息子たちがね・・

「お母さんはよく頑張ったと思うよ。お父さんは、お母さんだったから良かったんだよ。」

「車を変えるんだったら赤にしときなよ。元気が出るし、お母さんに似合ってるよ!」

何にも見てないようで、よく見て考えてくれてるんだなと思ったよ。

親の心子知らずっていうけど、そんなことはない。むしろ反対のことも多いよねと。。

そんな話を二人でしました。

いつかはわからないけど、私にも確実にくるその日。

むかーし読んだインディアンの方たちの本に、こんな言葉がありました。

「今日は死ぬのにちょうど良い日だ。」

もちろんお迎えが来て・・ですよ。

なんだか素敵だなと思いました。

インディアンの言葉で、もう一つ。

「働くために食べるのだ」

とも・・

食うために働くなんて、そんなさもしいことは言わないんですね。。

頭だけの学問ではそんな境地になれないかもしれない、生きるための人生哲学です。。

亡くなった方には「ありがとう。おつかれさま。いつか私もそちらに行きますよ。。」

肉体を離れ、元来た場所に戻るのかも知れません。

そんなことが腑に落ちてきつつある今は、ショパンやバッハが生きていたんだということが、以前よりはっきりと感じられるのです。

もちろんもっと深い次元で彼らをとらえ感じていらっしゃる方は、たくさんいらっしゃると思います。

自分の中での話です。

昔、よくヨーロッパ旅行へ行っていた時、ふと

「私という肉体の中に、何か私の中にあるものをもって移動している・・それだけのことなんだな」と・・

受け取る「私」という存在のあり方で、世界は変わるのだ。

その感じ方も・・・だからもしかしたら「寝たきり」の方だって、広い世界をお持ちの方もあるのかも知れません。

ぁ・・・だから正岡子規の世界なのかな。。。

この感覚は、今読み始めた、茂木健一郎さんの「脳と仮想」にもつながっているようです。

夏目漱石の「三四郎」に、東京の大学に行くために熊本から上京する主人公が、乗り込んだ汽車の中で、向かいの人物に、「熊本より東京は広い、日本は東京より広い、だが頭の中はもっと広いぞ」と言わてた場面があるようです。。。ちなみにむかーし読んだんですが、すっかりと忘れていまして。。。

頭(心の中)の世界は無限です。

星の彼方へだって旅できますもんね。

ちょっと、魂の次元の話になりそうなので、このお話はまたの機会に!

memento mori

今日もこれから、友人と3人でランチです。

若いピアノの先生たちなので、どんな話が飛び出すのか楽しみ。

今日のめざまし占いは、おうし座1位だったしな~~

今日は、決して暗い話をしたんじゃないんです。

きっとわかってくださったはず。

素敵な1日を~~

コメント
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