米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

モーツァルト及びモオツァルト・無常という事

2013-08-06 07:56:41 | 本の話

ここのところ、吉田秀和さんの「モーツァルト」を読んでいました。

3週間ぐらいかかったかな・・・?

とても面白く興味深い本でした。

時々、中高生の生徒さんには朗読して聞かせてしまったり・・

あとで、あそこもう一度読み返したい・・という印象的な個所に付箋を貼っていたら、こーんな事になってしまいました~

Img_4379


本に線を引くのはちょっと抵抗あったので、この付箋はおススメです!

小林秀雄さんの「モオツァルト」についてもすこし・・・

小林秀雄さんは、ちょうど没後30年・・・書店には数多くの著作が並んでいます。

吉田秀和、小林秀雄、これに加え・・・って言っては失礼なのですが・・斎藤秀雄(小澤征爾さんをはじめ多くの超一流音楽家を育てた指揮者、音楽家・・亡くなられて久しいが、愛弟子たちによって結成されているサイトウ記念オーケストラは有名)、、、この御三方は、昭和の知識の巨人「三人の秀ちゃん」と、私の中では認識されています。。。。

しかもみんなよくある苗字と名前であって、しかも印象深い!

Img_4381斎藤秀雄 講義録

印象的だったところからの抜き出し(ほんの一部ですが)・・・

まず小林氏「モオツァルト」の冒頭。

。。。

エッケルマンによれば、ゲエテは、モオツァルに就いて一風変わった考え方をしていたそうである。いかにも美しく、親しみやすく、誰でも真似したがるが、一人として成功しなかった。いつか誰かが成功するかもしれぬというようなことさえ考えられぬ。元来がそういう仕組みに出来上がっている音楽だからだ。はっきり言ってしまえば、人間をからかう為に、悪魔が発明した音楽だというのである。ゲエテは決して冗談を言う積りではなかった。その証拠には、こういう考え方は、青年時代には出来ぬものだ、と断っている。(エッケルマン「ゲエテとの対話」―1829年)

。。。

そして吉田氏の「モーツァルト」

。。。

ヘンデルはプリマドンナたちの気まぐれに一生悩まされ通した。しかしグルックは歌手の専横を抑えて、作曲家の至上権を彼らに押し付けることを知っていた。ベートーヴェンはもう歌手のためにはかかなかった。その間に、モーツァルトは、歌手たちを「誂え仕立ての服みたいに」旋律の衣装で包んでやった。

。。。

彼(モーツァルト)の見事な解答に満ちた傑作たちを聴くと、この人こそ天才と呼ぶほかない異常な人間だったと感ぜずにはいられません。・・・(略)ここには、音楽が音楽に踏みとどまる限りでの本質的なすべてのものがある。音楽とは何か? それを知りたかったら、モーツァルトをきけばよい。。。。ところが恐ろしいことが起こりました。「真実を言うためには、冒してはならない美の法則など一つもない。」・・・(略)・・・音楽は哲学より高い人間の知恵を伝える芸術だ」とも、彼は言いました・・(略)・・「私が真実を表現しようというとき、どうして君たちの貧弱な楽器のことにかかずらわっていられようか」これは、彼の音楽が弾きにくい、楽器の性質に会わないと演奏家から非難されたとき、彼が答えた言葉です。

音楽はベートーヴェンをもって技術から意識の音楽に転換した。。

。。。

バックハウスの演奏を通してのモーツァルトのピアノ曲の音楽について・・・

未聞の烈しい情熱のダイナミックな劇の演じられる舞台となるよう運命づけられてもいれば、またこれまでの作曲家が手にしえたものをはるかに超えて彼らしい音楽の組み合わせと色彩の反乱を呼び起こす魔力でもっと大勢の聴衆を呪縛したり魅了したりすることもできれば、逆に激しい人間嫌いと孤独に閉じ込められ、理想主義的な憧れに身を苛まれた人間の告白の唯一の利き手になりうる素質にもめぐまれている、そういう楽器としての未来を予感している、そういう天才としてのモーツァルトである。

。。。

彼は、人生でも、決して後戻りをする人間ではなかった。神は、その道を坦々たる安易な道としては与えなかったが、彼は、それに忠実に服従しながら、まっすぐ歩いていった。そのような彼の音楽も、自然な紡ぎ方の点で抜群である。ただ、その中で、彼は異常な、方向転換の不意打ちをいくつも用意している。一転への凝縮と、おびただしい不意打ちの共存は、彼の音楽に、たいへん独自の風貌を与える。

。。。

1791年、ついにモーツァルトが貧困と過労に中に斃死した折、帝室付の音楽家サリエリは言っている。「天才が死んだ。だが俺たちは皆悦んでいる。あの男がいたら、おれたち作曲家には誰も一片のパンもくれなくなるところだったのだからなあ。」

(サリエリの独特のモーツァルトに対する敬意と、とっておきましょう。名誉のために言えば、ベートーヴェンもシューベルトも多くの作曲家がこのサリエリにも学んでいるのです。。)

。。。

「おそらく人生は賭けであり、戦いだろう。だがその賭けも戦いも戯れなのだ。諸君、忍耐とユーモアを忘れ給うな。苦悩は深いが、喜びは永遠に過ぎることはないのだ。」彼の生涯は、結局、こういっているかのように見える。

この本は、ある小さな逸話で締めくくられています。

・・・(略)・・・実に何とも滑稽な、しかも深い――ほとんど崇高な喜劇的な効果を持った曲が生まれてきた。これをきいて、みんなと同じようにひどく感動したらしかったモーツァルトは、歌が終わると、大声で「じゃ皆さん、さようなら」といって飛び出して行ってしまった。

。。。

涙がとまりません。

では~

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