出来たら11月にブリストルに行けるように祈っています。
いつも一緒に行っている友人が2年位病気だったので、その間に別の友人と行くことになりましたが、相手の事情と火山の噴火や私の母の召天などで、3度もSTOPしましたが、その間に件の友人の病気がすっかり治っていたのです。
そのため、2人で行くことができるようになりました。
前は、「地球に爪痕を残す会」と言っていましたが、長すぎるので、新しい名前を祈っています。
徳川慶喜が、大政奉還してから、徳川宗家は養子の家達(いえさと)が、後を継ぎ70万石をもらい静岡に行きます。
そこで、慶喜や家臣も着いていきますが、元旗本と言っても何も収入がないので、家臣200人ほどで、一番悪い条件の土地を開墾し、今では、立派なお茶畑になっています。
当時、33歳だった慶喜は、歴史から姿を消し趣味に没頭します。
カメラで撮影をしたり、狩猟・自転車乗りなどお金のかかる趣味に明け暮れているのを見て、高台の荒れた地にまで水を運びながら厳しい仕事をしていた家臣たちは「貴人、情けを知らず。」と、呟いていたそうです。
この慶喜は、30年間静岡で暮らした後、東京に行き、明治天皇に会い、明治35年には侯爵になるわけです。
とにかく、将軍をやめてから77歳まで、あらゆる趣味に没頭しますが、みんなプロ並みになってしまうのです。
投網にこった時は、漁師に、わざわざ習って習得しました。
特に写真に凝り、弟とカメラを持っていろんな所を撮りまくっていましたが、それが今では貴重な資料になっているので、私などは、その恩恵にあずかっている一人です。
雑誌に何回か写真を投稿して、2位になったこともあるそうですが、面白いですね。
また、趣味の中に、刺繍がありますが、NHKのドラマでも義理の母に、刺繍を教えるシィーンがありました。
一度刺繍を見てみたいと思っていますが、それはどの本にも載っていません。
油絵は、残っていますが本当にプロ並みです。
現在、明治時代の華族の生活を調べていますが、興味深いことが多いです。