
1860年(安政7)日米修好通商条約の批准使節を乗せたポーハタン号の護衛艦は、勝海舟が乗った咸臨丸でした。
この時、ポーハタン号の見習い通訳の立石斧次郎は、17歳でしたが、愛嬌があり英語もできたので、たちまち女性たちの人気者になり、トミーと呼ばれました。
何と、「トミー・ポルカ」という歌までできたのです。
後に、長野圭次郎と改名しますが、なんとこの人の先祖は、あの平安時代の
三十六歌仙の一人で美男子の代名詞となった在原業平だったのです。
さっき、知ってびっくりしました。
百人一首の「ちはやふる 神代もきかず竜田川 からくれないに 水くくるとは」
の作者です。