「偉大な自分」だけでなく、「哀れな自分」を大げさに主張する…ってありました。
私は「哀れな自分」を主張してきました。
あのときは、あれが精一杯でした。
間違いだった。
でも、この間違いには意味がありました。
私は、「私はこんなに哀れです」と主張しながら、自分の言葉に責任を持てへんかったってことに、気づいたから。
だから、いいっぱなし、ききっぱなしが必要でした。
いいっぱなし、ききっぱなしでは、「私はこんなに哀れです」と主張したとき、だれも非難しないし、褒めないし、アドバイスもしません。
尻切れとんぼみたいやった。最初。
でもよかった。
だって、非難されたら、もっと哀れな私になれちゃうやん。
褒められたら、哀れな私でいられへんくなるやん。
アドバイスされたら、反抗せなあかんかなるやん。
そんな責任、あのとき、あの時期
とうてい、もてへんかったです。
責任、持たんと、1時間、時間が与えられました。
今日一日。