吉田調書の真価
朝日の謝罪会見でその意義を全うしたかのような扱いの原発事故調査委員会が作成した
吉田調書。 元福島第一原発所長で故)吉田昌朗(58)のヒアリング調査の報告だ。
その中で朝日新聞の報道との食い違いがあった「命令に背いて9割の所員が避難した」との
内容については訂正された訳だが、その訂正された内容についても不可解な点が多く、
果たして朝日の訂正によって「命令違反は無かった」では済まない経緯が事故当時の
生生しい状況を思い起してみると、納得がゆかない事は過去記事の方で書いたのだが
再び、吉田調書を読み続けているうちに怪しい点が出てきた。
吉田調書では吉田所長が「おっさん」「あのおっさんはアンフェアだ」との発言が記録されている。
これは事故当時の総理大臣の管直人に向けた発言だとされている。
しかし2011年の事故発生当時、吉田所長のおっさん発言は東京都知事の石原慎太郎に向けて発言した
はずだ、これ程までの原発事故が起きていながら、本来ならば東京消防局と自衛隊が対応に当たらなければ
ならないはずの行政側は東電社員だけに問題を押し付けていた。
それに対して石原慎太郎は「おっさん」発言は行政側の対応に支障をきたすとして発言を撤回するようにと
対抗した。それに付け加え、普段は何をしているか解らなかったら悪いイメージしかないおっさんでも
偶には良いこともしているおっさんも居るとしてこれが世間相応のおっさんに対する意見だと
なんともクダラナイ言い訳までかましていた。そしてそれが事故当時には報道されていた。
しかしこの吉田調書を見てみると「おっさん」発言は当時の総理大臣管直人に向けたものだと歪曲されている。
この原発事故調査委員会はどういうつもりでこの調書を作成したのかを明確にする必要がある。
吉田所長と管直人は同じ東京工業大学出身でお互いが存在を知りあっている仲でもあった。
管直人は吉田所長を戦友という言葉で表現している。
どうにもこうにもこの吉田調書が公正な立場ではないような気がしている。その多くが自民党政権の
震災復興事業に優位性を持たせるような軽薄な動機が見て取れる。
もっと鋭くこの吉田調書は議論の上に乗るべきだと思う。
何故、メディアではこの吉田調書を検証しないのであろうか?
そもそも当時の管直人総理大臣は政権の延命の代わりに事故対応への無責任な行政の振る舞いを
容認したことで非難されていたのではないだろうか。事実として管直人は防衛相に寄り切られたのである。
朝日の謝罪会見でその意義を全うしたかのような扱いの原発事故調査委員会が作成した
吉田調書。 元福島第一原発所長で故)吉田昌朗(58)のヒアリング調査の報告だ。
その中で朝日新聞の報道との食い違いがあった「命令に背いて9割の所員が避難した」との
内容については訂正された訳だが、その訂正された内容についても不可解な点が多く、
果たして朝日の訂正によって「命令違反は無かった」では済まない経緯が事故当時の
生生しい状況を思い起してみると、納得がゆかない事は過去記事の方で書いたのだが
再び、吉田調書を読み続けているうちに怪しい点が出てきた。
吉田調書では吉田所長が「おっさん」「あのおっさんはアンフェアだ」との発言が記録されている。
これは事故当時の総理大臣の管直人に向けた発言だとされている。
しかし2011年の事故発生当時、吉田所長のおっさん発言は東京都知事の石原慎太郎に向けて発言した
はずだ、これ程までの原発事故が起きていながら、本来ならば東京消防局と自衛隊が対応に当たらなければ
ならないはずの行政側は東電社員だけに問題を押し付けていた。
それに対して石原慎太郎は「おっさん」発言は行政側の対応に支障をきたすとして発言を撤回するようにと
対抗した。それに付け加え、普段は何をしているか解らなかったら悪いイメージしかないおっさんでも
偶には良いこともしているおっさんも居るとしてこれが世間相応のおっさんに対する意見だと
なんともクダラナイ言い訳までかましていた。そしてそれが事故当時には報道されていた。
しかしこの吉田調書を見てみると「おっさん」発言は当時の総理大臣管直人に向けたものだと歪曲されている。
この原発事故調査委員会はどういうつもりでこの調書を作成したのかを明確にする必要がある。
吉田所長と管直人は同じ東京工業大学出身でお互いが存在を知りあっている仲でもあった。
管直人は吉田所長を戦友という言葉で表現している。
どうにもこうにもこの吉田調書が公正な立場ではないような気がしている。その多くが自民党政権の
震災復興事業に優位性を持たせるような軽薄な動機が見て取れる。
もっと鋭くこの吉田調書は議論の上に乗るべきだと思う。
何故、メディアではこの吉田調書を検証しないのであろうか?
そもそも当時の管直人総理大臣は政権の延命の代わりに事故対応への無責任な行政の振る舞いを
容認したことで非難されていたのではないだろうか。事実として管直人は防衛相に寄り切られたのである。