まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.何故いじめがあるのか?

2010-05-12 15:59:24 | 教育のエチカ
これも看護学校の 「哲学」 の授業で頂戴した質問です。
なぜいじめがあるのか?
とても難しい問題ですね。
そして、これは哲学や倫理学の問いというよりは、
心理学や教育学や社会学の問いだろうと思います。
哲学や倫理学なら、そもそもいじめとは何かとか、
いじめはよいことか悪いことか、悪いとしたらなぜいけないのか、
といったふうに問いを立てます。
なぜあるのか、というような原因を問うのは、
心理学や教育学や社会学などのような人文・社会科学のほうでしょう。
それは私の専門ではありませんので、
私などがこの問いに軽々にお答えしてしまうわけにはいきません。
ただ、一昨日ご紹介した清水義範の 『幸せになる力』 の第5章で、
いじめについて触れられていましたので、
それを引用することによってお答えに代えさせていただきましょう。

まず最初に清水氏は次のように述べています。

「いじめ、というものは別に近頃になって出てきたものではなくて、昔からあった。
 つまり、人間には誰かをいじめてしまってそれをいくらか楽しむ、というところがあって、
 ずーっといじめをしてきているんだ。」(p.93)

清水氏のこういう冷徹な視線が好きです。
いじめなんてけっしてあってはならないことです、みたいな甘い道徳論が、
いじめを隠蔽する土壌を作ってしまうのだろうと思います。
人間はそもそもいじめをしてしまう動物なんだ、という人間理解から清水氏は出発します。
これが、いじめはなぜあるのか、の第1の答えだと言えるでしょう。
このような人間理解の上に立って、さらに次のような現状認識が付け加わります。

「昔も今もいじめはあるんだけど、どうも近頃のいじめは、
 一度始まってしまったらとことん追いつめるところまでやってしまうというような、
 歯止めのない感じがする。
 昔はいじめていても、これ以上やったら相手がおかしくなってしまうな、とか、
 これ以上やったらケガしちゃうな、というところで、やめにしたものだ。
 つまり、いじめるにも限度がある、ということをなんとなく子どもが知っていた。
 ところが、新聞にのるような事件、事故になったケースを見ていると、
 いじめに歯止めがなくなっているんだね。
 やり始めてしまったら相手をこわすところまでエスカレートする、
 というような傾向があるらしい。
 そのことが、今のいじめ問題の深刻さなんだと思う。」(p.94-5)

現代のいじめは 「友だちとうまくやっていけない」 なんていう程度ののどかなものではなくなり、
歯止めのきかない、とことんまでエスカレートしてしまうようなものになってきている、
と清水氏は分析しています。
そして清水氏は、なぜ最近のいじめは歯止めがきかなくなっているのか、
その原因も考えています。

「どうしてそんなことになっちゃっているんだろうと考えて、
 子どもがなんだかイライラしているからのような気がするんだよね。
 どうしてイライラしているかというと、自分を自慢に思えないからなんだ。
 つまり、自己肯定ができてないんだよ。
 親からは勉強しろ、勉強しろとばかり言われて、
 でもどう考えても勉強が好きではなくて、
 少しぐらいやったってそう成績がよくなるとも思えず、
 要するに、自分の能力は何もないみたいな気がしてくるんだね。
 この世はお金に不自由しない上層の人と、一生貧乏な下層の人に分かれるんだそうで、
 自分は上層に入れるとはどうしても思えないなんて子は、どうして機嫌よく生きていけるだろう。
 おもしろくない世の中だ、という気がして、
 ついイライラして生きるのは当然のことじゃないか。
 そういうイライラの中から、歯止めのないいじめが出てくるんだよね。
 つまり、おもしろくない人生へのしかえしのように、
 とことんいじめちゃう、ということをしているんだ。」(p.95-6)

これが清水義範氏による、現代のいじめの原因に関する分析です。
この分析がどこまで当たっているのかわかりませんが、
私などはたしかにそうだろうなあと同意できました。

そして清水氏は、「なぜ」 ばかりでなく、
「ではどうするか」 ということに関しても答えを与えてくれています。
第5章のタイトルは 「人は自信が持てた時に優しくなれる」 です。
前回紹介した 「幸せになる力」 の1番目 「自己肯定感から持てる自信」 というのが、
現代のいじめの問題にも大きく関わっている、ということがおわかりいただけるでしょう。
そして、さらに清水氏がエライのは、
「すべての人が幸せで、自己肯定感が持てているならば、
 いじめもそんなにむちゃくちゃなものにはならないはずだ」
という基本主張はありながらも、
そんな世の中がくるのはいつになるかわからないので、
今、現にいじめの対象とされてしまっている子どもたちを助けるために、
5番目の力 「苦境から自分を守るための回避力」 を付け加えているところです。
助けを求め、それでもダメなら逃げる、
そういう具体的なところまで言及しています。
つまり、大きな目標と、当面の手段という2通りの答えを提示してくれているわけです。
たんなる現状分析や理想論を述べるだけでなく、
プラグマティックな具体的手段までちゃんと教えてくれるところが、
清水氏のスゴイところだと思います。
いじめ問題に興味がある方もぜひこの本を読んでみてください。