まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

人と動植物は対等ではないのか?

2012-12-20 19:41:47 | 哲学・倫理学ファック
「科学技術と環境の倫理」 の授業で、環境倫理学の3本柱について説明してきました。
「自然の権利」、「世代間倫理」、「地球全体主義」 の3つです。
私としては 「自然の権利」 というアプローチではうまくいかないと思うと述べ、
残りの2つに関しては、私の意見としてではなく、一般的な反論だけ紹介しておきました。
その上で、それぞれの考え方に対して賛成か反対かワークシートに書いてもらいました。
すると、ひとりの学生さんから 「先生の意見には大反対です」 と、
ワークシートの裏面まで及ぶ長文の反対意見を頂戴しました。
いやあ、うれしいですねえ、こういう意見を書いてもらえるのは。
先生の言うことを鵜呑みにせず、間違っていると思ったことに関しては間違っていると言い、
その主張のひとつひとつに対して反論していく。
これこそ、哲学・倫理学の営みですし、科学・学問の根幹です。

その意見に対して再反論するというわけではありませんが、
いくつか補足説明が必要な点があったので、それを論じておきたいと思います。
いろいろな論点が挙げられていましたが、今日はまずそのなかから、
人間と動植物は対等ではないのか、という問題について補足しておきます。
質問者は 「人と動植物は対等ではない、が理解できない」 と書いておられました。
なぜそう言えるのか、その根拠は何か?
理性があるかないか、言語が話せるか否かで区別してしまうのか?
しかし、人間どうしだったら知能が高いとか低いとかで価値に優劣をつけたりしないのに、
なぜ話せないからといって人間以外の動植物を 「低属」 とみなすのか?
これは質問というよりも反語であり、反論だと受け止めました。

この問題はビミョーですねぇ。
たしかに私は、人と動植物、人と自然は対等ではないと考えています。
しかし、「対等ではない」 イコール 「低属とみなす」 ことになるのか?
ある意味でそう受け取られるのはしかたないところもありますし、
私自身、動植物や自然を人間よりも低い存在者と考えていなくもないような気もします。
(ものすごーく持って回った言い方ですね)
しかし、私が両者は 「対等ではない」 と言ったとき、
それは直接、どちらが上でどちらが下ということを言いたかったわけではないのです。
義務や権利や責任といったことを配慮することができるのは人間だけである、
ということを私は言いたかっただけなのです。
「自然の権利」 という考え方を認めるとした場合でも、
自然や動植物の権利を守ってあげることができるのは人間だけです。
自然自身や動植物自身は自分たちに権利があるだなんてまったく考えていませんし、
だから自分たちの権利を主張したり守ろうとしたりもしません。
ましてや自然や動植物の側が、人間にも権利を認め、人間の権利を守ろうとする、
なんていうことはけっしてありえません。
義務や責任という言葉に置き換えても同じことですが、
権利も義務も責任も、それは人間にとってのみ意味のある言葉、概念です。
ですから、それらを守ったり果たしたりすることのできるのは人間のみです。
自然や動植物は守られる対象になることはありえても、
守る主体になることはありえないのです。
そのことを指して、「対等ではない」 と言いました。
それは人間と自然、人間と動植物の決定的な違いだと思いますが、
だからといって、人間が上、自然や動植物は下ということを言いたいわけではないのです。
どちらが上、どちらが下ということとは関係なく、
人間と自然、人間と動植物は決定的に違っており、だから 「対等ではない」 のです。

価値の優劣の話は置いておくとして、このような決定的な違いがあり、
したがって対等ではないということに関してはご理解いただけるでしょうか。
この基本的な違いについてはきちんと理解しておかないと、
環境倫理学のすべての議論はセンチメンタルな感情論になってしまうと思います。
しかしながら、この違いを認めたからといって、
自然には何の権利も与えなくていいという結論が直接導かれるわけではありません。
そこが権利概念と、義務や責任といった概念との違いです。
義務や責任に関して言えば、自然や動植物の側には義務や責任は生じません。
自然や動植物は義務や責任の主体にはなりえず、
ということは自然や動植物は義務も責任ももたないのです。
自然や動植物を守る義務や責任は、上述したように人間の側にのみあります。
したがって自然や動植物にとっては義務や責任といった概念は無用なのです。
しかしながら権利に関して言うならば、自然や動植物は権利の主体となることはできませんが、
それでも、自然や動植物にも権利がある、と言うことは可能なのです。
これは質問者が例を出してくれていたとおりです。
「幼い子どもや重度精神障害者や脳損患者など」 話すことのできない人たちは、
自ら権利を主張する主体となることはできませんが、
しかし当然のことながら彼らにも人権は認められており、それによって彼らは守られています。
それと同様に、自然や動植物にも権利を認めることは可能なのです。
この問題はけっこう厄介で難しいです。
疲れてきたので、この問題はまた明日以降に考えることにしましょう。