まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ビミョーな人権啓発セミナー

2015-12-07 18:42:09 | グローバル・エシックス
金曜日の人権啓発セミナーですが、昨年、一昨年も十分ひどい状況でしたが、
今年に入って人権はもう風前の灯という感じになってきていますので、
昨年までの内容そのままでは不十分だと感じ、若干中身の見直しをしました。
昨年のセミナーでは最初のワークとして、
夏とか宿題とか意見の違いというものに関して自分の思いを書いてもらい、
それらをみんなに発表してもらって、みんなひとりひとり考えてることは違うよね、
ということを実感してもらったりしていました。
これはこれでなかなかいいワークと思っていましたが、
中学生くらいだと意外とみんなが書いてくる思いがほとんど一緒だったりして、
(宿題だと 「少ないほうがいい」 か 「早めにすませる」 かの2種類のみとか)
あまりダイバーシティ (多様性) を実感してもらうことができませんでした。

そのワークの代わりとして、スアドの 『生きながら火に焼かれて』 の話を読んでもらって、
特権と権利と人権のちがいについて考えてもらうというワークを考えたのですが、
さすがに中学校1年生とかにあの話は早すぎるかなあとためらいました。
そこでちょっと前にネット上でたまたまこんな記事↓を見かけたので、
「格差を生み出す 「特権」 とは何か? が誰にでもよくわかる授業が秀逸」
これをマネしてワークを行い、特権と権利と人権のちがいを理解してもらおうと考えました。
そのために今回はこんな小道具を用意していきました。



この他にゴミ箱が必要なのですが、我が家にあるゴミ箱はこのボールに対してあまり大きくないので、
大学の研究室にある大きめのゴミ箱を持っていこうと画策していたのですが、
昨日ご報告したとおり、突然の雪のため大学に寄ることができなかったので、
稲田中学校に着いてから校長先生にお願いして大きめのゴミ箱をお借りすることにしました。
講演が始まってすぐにそのワークです。
みんなの中からヤクルトファンと巨人ファンを1人ずつ募ってワークをしてもらおうと思っていましたが、
もう出だしからつまずいてしまいました。
「この中にヤクルトファンはいますか?」 と聞いたところ1人もいなかったのです
今年のセ・リーグ優勝チームなのに、いくら福島、須賀川とはいえ1人もファンはいないんですか?
このあたりからすでに私の歯車は狂い始めていました。
しかたないので楽天ファンに切り替えて、一番前に座っていた体格のよさげな、
楽天ファンと巨人ファンを指名して壇上に上ってきてもらいました。

ゴミ箱を壇の中央に置き、ボールを1個ずつ渡して、楽天ファンにはゴミ箱から数歩離れたところに、
巨人ファンには壇の一番隅っこのほうに立ってもらいます。
「そこからボールを投げてみごとこのバスケットに入ったら福島大学に入学できます!」
とハッパをかけて2人に順番にボールを投じてもらいました。
もちろん先に投じた楽天ファンは軽々とゴールさせました。
トランペット型のラッパでお祝いのファンファーレを奏でてあげます。
続いて巨人ファン。
フツーそこから投げても入らないよなと十分思えるほどの距離を取っていたのですが、
なんと彼はみごとにゴールインさせてしまいました。
これでは特権の話にもっていけません。
ものすごく動揺しながらも 「おめでとう、2人とも素晴らしいっ!」 と褒め称えながら、
「じゃあ今度はゴールをここにしよう」 とさらにゴミ箱を遠ざけ、
巨人ファンには絶対ムリででも楽天ファンなら必ず入れられるであろうぐらいのところに移しました。
もう一度2人に挑戦してもらうと今度こそ思い通りの結果が得られました。
巨人ファンにはアヒルのラッパのガーガー音で失敗を強調します。
やってみてどうだったと巨人ファンに聞いてみたところ、
「ズルイと思った」 というこちらの意図通りの感想を言ってもらえたので助かりました。
で、このように説明を加えました。
「これが特権です。
 特権とは、ある特定の人々にのみ認められた特別の利益です。
 楽天ファンは楽天ファンであるということのみによってあんなに有利な条件を付けてもらえました。
 逆に巨人ファンは巨人ファンであるというだけであんな差別待遇を受けなければなりませんでした。
 昔はこのように身分や人種や性別などによって特権をもつ人ともたない人に分かれていたのです。」

その後、2人に同じ短い距離からボールをゴールインさせてもらいました。
で、こう説明を続けます。
「これが権利です。
 権利とは、ある資格を満たした人全員が主張できる正しい要求です。
 今回は条件を同じにしてボールを入れることができたら福島大学に入学できることにしました。
 実際には、大学入試に合格し、入学金と授業料を納めた人全員に、
 福島大学に入学する権利が与えられます。
 身分や人種や性別など生まれつきのちがいは関係ありません。」

2人には協力に感謝して席に戻ってもらいました。
ここからが人権の説明です。
「人権は特権とは全然ちがいますし、権利ともちがいます。
 人権の場合はもうボールを投げる必要がないのです。
 人権とは、すべての人が生まれつき平等にもっている権利です。
 人間として生まれてきた以上それだけですべての人がその資格をもっています。
 高校や大学で高度な教育を受けようと思ったら、入試に合格するなどある資格が必要ですが、
 読み書きそろばんなど最低限の義務教育を受ける権利は資格など不要で、
 すべての人が人権として生まれつきもっているのです。」

はたしてこの説明で3つのちがいを理解してもらえたのでしょうか?
以上の話を聞いた上で、文章完成のワークをやってもらいました。
「特権が残っている社会は                              」。
「権利は特権と比べて                                 」。
「人権は権利と比べて                                 」。
自分なりに考えたこと感じたことを自由に書いてくださいというお題ですが、
ここまでですでに講演時間の半分の30分が過ぎてしまっていましたので、
みんなに発表してもらう時間を取ることができませんでした。
こんなに時間を食うとは思っていませんでした。
なんといっても巨人ファンの一投目が誤算でした。
あとで聞いてみたら私が選んだ2人は2人とも野球部の子だったそうで、
言われてみればたしかにそういう体格でした。
この手のワークをやってもらうのに野球ファンを募ったこと自体がまちがいでした。
だけど自分の中でこういう時にあからさまに差別していいのは巨人ファンかきゅうりファンだけで、
残念ながら須賀川ではきゅうりが嫌いな人なんてヤクルトファンよりも少ない気がしたんだよなあ。

というわけで、最初のワークだけで半分時間を使ってしまいましたので、
あとはもうものすごい駆け足になりグダグダの講演会となってしまいました。
しかも、せっかくこのワークを取り入れたというのに、
なんだかあまり伝わっている気がしなかったので、
けっきょく口頭で 『生きながら火に焼かれて』 の話を付け加えることになり、
さらに時間を食うと同時に、全体的にものすごくお説教臭い講演になってしまいました。
去年までの軽やかな感じで、みんなひとりひとりちがうんだから、
そのちがいを尊重、尊敬し合って楽しく生きていこうね、という話にまとめられませんでした。
人権は17世紀に発明された思想で、日本ではほんの70年前にやっと認められたにすぎず、
しかも今まさに人権の尊重を謳っている日本国憲法は変えられようとしていて、
国民に人権なんて必要なく国民は義務さえ守っていればいいという憲法になるかもしれない、
ほんの数年後、君たちが18歳になったときにきちんと意思表示ができなければいけないので、
それまでに社会科の授業でしっかりと人権について学んでおいてください、
なんてそんなこと大学教授に上から目線で言われても誰も覚えちゃいないだろうなあ。
ていうか、この60分間自体が苦痛だったろうなあ。
うーん、今回は世相が世相だけにパッションが勝ってしまいイマイチの出来でした。
こういう時代だからこそ、若者に耳を傾けてもらえるような冷静な組み立てが必要でした。

市役所の担当の方からは、ありがとうございました、来年もお願いしますと言われましたが、
はたして来年度もこの 「人権啓発セミナー」 は開催できるのでしょうか?
来年の今ごろは、こういうごくごく当たり前のお話が、
政治的に中立ではないと判断される世の中になってしまっているかもしれません。
来年度も須賀川市の中学校で 「人権啓発セミナー」 を開くことができるような、
そういう自由で民主的な日本であってくれることを心より願うとともに、
その暁にはぜひとも今年のリベンジを果たさせていただきたいと思います。