まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

『スターウォーズ』 レイア姫問題

2015-12-11 09:42:44 | 性愛の倫理学

『スターウォーズ フォースの覚醒』 が公開されているようです。

なんだか盛り上がってますね。

そういえばこの映画をめぐっては公開前にこんなニュースも流れていました。

「余命わずかのファンが未完成版の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を先行して鑑賞」

この方はもう亡くなられたようですが、

死を目前にして 『スターウォーズ』 最新作を見ないまま逝くのが心残りだなんて、

どれほどこの映画は愛されているのでしょうか?

この映画の話題のもうひとつは、第1作 (がエピソード何に当たるのかは知らない) の主人公たちが、

約30年後という設定で再び出演しているということのようです。

ルーク・スカイウォーカー、レイア姫、ハン・ソロの面々ですね。

それで思い出しましたよ。

全世界がこれだけ熱狂しているなかで、なぜ私がこんなに冷めているのかそのわけを。

うーん、ファンの方々にはホント申しわけないのですが、

私は第1作を見たときからこの世界にいまひとつ入り込めなかったのでした。

ですから、その後の続編も何作まで見たのかよくわかっていません。

見たといってもたいがい地上波テレビで放映されていたのをたまたま見たぐらいではないでしょうか。

映画館に行ってお金を払って見ようという気にはあまりならなかったのでした。

こちらの冷め具合と反比例して、世界中ではその熱狂ぶりがどんどんエスカレートしていましたから、

特に好きじゃないなんてちょっと言い出しにくいぐらいの雰囲気になっていました。

いや、別に積極的にキライというほどではないんです。

ディスったりヘイトスピーチしてやろうと思うような感じではありません。

ただあまりピンと来ないというか、おもしろーい、好きーっという感じにはなりませんでした。

その元凶はレイア姫だったのです。

こう言っちゃあなんですけど、彼女のルックスがダメだったんですねぇ。

ホントすみません、たかだかそれくらいのことで。

でも、宇宙の運命を左右するようなお姫さまなんですから、もうちょっと…ねぇ。

第1作が公開された1977年といえば、私はまだバリバリの高校生ですよ。

あの頃はまだフェミニズムなんていう言葉も知らなかった頃だし、自他ともに認める面食いでした。

そこに現れたのがキャリー・フィッシャーさん扮するレイア姫でした。

この方ですね。



今にして思えば別に何の問題もないじゃないか、お姫さまがみんな美人とは限らないんだし、

リアリズムでいいじゃないか、いやよく見てるとだんだん可愛くも見えてくるじゃないか、

なんて受け止めることもできるんですが、あの頃はダメでしたね。

申しわけないけど、受け入れられませんでした。

そして、ヒロインの彼女を受け入れられないために作品全体も受け入れられなかったのです。

いや、受け入れられないというのは大げさですね。

夢中になれなかったということです。

こういうのってぼくだけなんでしょうか?

このレイア姫がナタリー・ポートマンだったらもう断然アリだったでしょうね。



冒頭のポスターに写っていた今回のヒロイン、デイジー・リドリーでも全然問題ありません。

まあ2人とも1977年には影も形も存在していなかったのですが…。

なんでこういう女優さんたちをキャスティングしてくれなかったんだろうなあ?

残念でしかたありません。

こういう問題は他でも起きていました。

私の大好きな映画 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 です。

あの第1作は本当に大好きで、もう何度見たかわからないほどなんですが、

それで続編が作られたとあってものすごく期待して見に行き、

映画自体はとても面白く見たのですが、ヒロインが交代してしまっていたのがショックでした。

マーティの恋人のジェニファー役ですね。

第1作ではクラウディア・ウェルズが演じていました。



うーん、やっぱり可愛いですね

ところが、第2作と第3作ではジェニファー役はエリザベス・シューに代わってしまったのです。



これはオバさんだよなあ。

彼女が30年後の世界に行って未来の自分と出会い 「オバン!」 と叫ぶシーンがありましたが、

30年前のはずのこのシーンだってとうてい高校生には見えません。

萌えないなあ。

まあ、シリーズを通してジェニファーはあまり映画に登場しないので、レイア姫ほどの破壊力はなく、

したがって 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 離れを起こすほどではありませんでした。

やっぱり問題はレイア姫です。

『フォースの覚醒』、たぶん見に行かないだろうなあ。

30年後のレイア姫が出ているという事実を忘れた頃に地上波で見ることになるかもしれません。

タイヤ交換完了&てつカフェ特別編の会場決定!

2015-12-08 18:02:24 | ドライブ人生論
先週の金曜日 「人権啓発セミナー」 に出かける最中雪に降られて怖い思いをいたしました。

これはイカンということで土曜日に早速タイヤ交換に出かけました。

冬のチキンレースに完敗した人たちでごった返すだろうなあと予想し、

開店の5分前にオートバックスに行ってみました。

お店の前には行列ができているだろうなあと思っていたら行列はなく、

すでにお店は開いていてタイヤ交換の受付はもう開始されていました。

(あとで聞いたらたくさんの人が並んじゃっていたから混乱を避けるためだったそうです。)

私もレジで受付をすませたら、もらった番号札は17番でした。

待ち時間は120分。

開店前に行ってもこんなもんなんですね。

まあでもそれは最初から覚悟していたので、

パソコンとかレポートとか大量に仕事を持参していましたから何の問題もありません。

と思っていたらここからがいつもと違っていました。

いつもだったら車とカギを預けて、あとは店内で待っていても店外に出ていてもいいので、

作業終了予定時間に戻ってきてくださいと言われるのですが、

オートバックス福島南店ではこの冬からシステムを変えたようでした。

受付終了時点では車はまだ預けず、車に乗っていてもいいので、

作業開始予定時間までに戻ってきてくださいというシステムになっていたのです。

これはお店にとってもお客にとってもいいシステムです。

お店にとってはその間お店の駐車場を占領されずにすむわけですし、

こちらにとっては自由に移動して用を足すことができます。

というわけでオートバックスの待合室で仕事をしようと思っていた時間が一気に空きました。

私としてはこの隙にやっておくべきミッションがありました。

「てつがくカフェ@ふくしま特別編6」 の会場探しです。

いつものメンバーで打ち合わせが始まっており、何となくのテーマというか方向性も決まり、

日程も決まりつつありましたので、会場を予約しておく必要があったのです。

車を使えるとなるとこの2時間でやるには恰好のミッションではありませんか。

そこでまずは前々回に使ったコラッセ福島に向かいました。

会場の広さとしても値段の手頃さからしてもここがベストです。

実は前回はフォーラム福島で 『小さき声のカノン』 を見ての特別編になったので、

最終的にコラッセは使いませんでしたが、企画段階ではコラッセを仮押さえしたりしていました。

そのため最近ではまったく予約が取れなくなってしまったアオウゼに比べて、

ここならきっと大丈夫だろうとちょっとタカを括っていた面もありました。

ところがコラッセは当日は学会が入っていて全館空きがない状態だと言われてしまいました。

ガーンです

仕方ないので東口側に移動して、ダメモトでアオウゼにトライしてみました。

こちらは特別編3のときに使っています。

たぶん空いていないとは思いますが、

ここが一番安いですのでとりあえず確かめておく必要はあるでしょう。

お聞きしてみたところ18時以降でよければ空いてますがと言われましたが、

さすがにそれでは遅すぎます。

その時間にはもう饗宴 (=2次会) に移行していたいものです。

そこで再び西口に戻り、第1回第2回で使ったビューホテルを訪れました。

当時はビューホテルでしたが、現在は THE CELECTON FUKUSHIMA に代わっています。

会議室 (というか結婚披露宴会場) とかは以前通りにあるとのことでしたが、

残念ながら当日は予約でいっぱいでした。

歴代の特別編会場が全滅ということになり、ちょっと冷や汗が出てきました

さて、どうしましょう。

再び東口に戻りました。

まずは駅前のホテル辰巳屋に挑戦です。

ホテル辰巳屋はこれまでてつカフェ関係では2度使ったことがあります。

てつカフェとしてやったのは第13回のとき。

あのときは 「おカネは大切か?」 というテーマで惜しげもなくおカネをかけて開催したのでした。

それと今年の夏、てつカフェ主催ではありませんでしたが、

集客に協力した 『天空の蜂』 の試写会&ディスカッション会もここでやりました。

特別編で使わせていただくのは初めてのことになりますがはたして空いているでしょうか?

担当の方に日程を告げて予定を確認をしてもらうまでの時間が緊張の一瞬ですが、

ジャーン、みごと予約を取ることができましたっ

会場はちょうど 『天空の蜂』 のときに使ったのと同じ瑠璃の間です。

というわけで気が早いですが、「てつがくカフェ@ふくしま特別編6」 の告知をしちゃいます。

てつがくカフェ@ふくしま特別編6
日時:2016年3月6日(日) 15:00~18:00
場所:ホテル辰巳屋 瑠璃の間 (中合のビルの8階)


詳細は追ってまた広報いたしますが、日取りと場所は確定しましたので、

ぜひその日は空けておいてください

さて、たっぷり時間があると思っていましたが、けっこう押してきています。

コラッセに行ったときに1階の観光物産館でこんなところを見つけてしまったので、



再びコラッセに戻り、こちらで昼食をいただきました。

懐かしの味玉ラーメンです。



例の普通盛り、中盛り、大盛りが同額で、注文の時に告げなければいけない、

というあの独特のシステムはなくなっていましたが、

味は金谷川駅前にあったときと変わらず、涙がチョチョ切れました。

まだ店舗はないそうで、こういう所やデパートなどの催事場で営業しているそうです。

なんていう話をのんびりしている余裕もなく、オートバックスに戻るとちょうど作業開始時間でした。

すぐに作業に取りかかってもらえます。

本当にいいシステムだ。

と思ったのも束の間、ピットから呼び出しがかかりました。

持ち込んでいただいた冬タイヤ、もう溝が摩耗していて効き目がなくなっています、どうなさいますか?

なんだってー

どうなさいますかって、どうもこうもないじゃないですか

今後は安全第一、石橋を叩いて渡るぐらいの慎重さを身に付けようと心に誓ったのですから、

新しいものに買い換えるしかありません。

まだたった3年しか使っていなかったのに…。

ほとんど雪の上は走らずにアスファルト上で削ってばっかりだったからなんでしょう。

まったく想定していなかっただけに痛い出費です

特別編の会場も決まり、懐かしのラーメンも食し、ルンルン気分でいたのに、

最後の最後でこんなオチがつくとは…

「人権啓発セミナー」 に端を発した今回のミッション、最後までビミョーな感じのままでした。

ビミョーな人権啓発セミナー

2015-12-07 18:42:09 | グローバル・エシックス
金曜日の人権啓発セミナーですが、昨年、一昨年も十分ひどい状況でしたが、
今年に入って人権はもう風前の灯という感じになってきていますので、
昨年までの内容そのままでは不十分だと感じ、若干中身の見直しをしました。
昨年のセミナーでは最初のワークとして、
夏とか宿題とか意見の違いというものに関して自分の思いを書いてもらい、
それらをみんなに発表してもらって、みんなひとりひとり考えてることは違うよね、
ということを実感してもらったりしていました。
これはこれでなかなかいいワークと思っていましたが、
中学生くらいだと意外とみんなが書いてくる思いがほとんど一緒だったりして、
(宿題だと 「少ないほうがいい」 か 「早めにすませる」 かの2種類のみとか)
あまりダイバーシティ (多様性) を実感してもらうことができませんでした。

そのワークの代わりとして、スアドの 『生きながら火に焼かれて』 の話を読んでもらって、
特権と権利と人権のちがいについて考えてもらうというワークを考えたのですが、
さすがに中学校1年生とかにあの話は早すぎるかなあとためらいました。
そこでちょっと前にネット上でたまたまこんな記事↓を見かけたので、
「格差を生み出す 「特権」 とは何か? が誰にでもよくわかる授業が秀逸」
これをマネしてワークを行い、特権と権利と人権のちがいを理解してもらおうと考えました。
そのために今回はこんな小道具を用意していきました。



この他にゴミ箱が必要なのですが、我が家にあるゴミ箱はこのボールに対してあまり大きくないので、
大学の研究室にある大きめのゴミ箱を持っていこうと画策していたのですが、
昨日ご報告したとおり、突然の雪のため大学に寄ることができなかったので、
稲田中学校に着いてから校長先生にお願いして大きめのゴミ箱をお借りすることにしました。
講演が始まってすぐにそのワークです。
みんなの中からヤクルトファンと巨人ファンを1人ずつ募ってワークをしてもらおうと思っていましたが、
もう出だしからつまずいてしまいました。
「この中にヤクルトファンはいますか?」 と聞いたところ1人もいなかったのです
今年のセ・リーグ優勝チームなのに、いくら福島、須賀川とはいえ1人もファンはいないんですか?
このあたりからすでに私の歯車は狂い始めていました。
しかたないので楽天ファンに切り替えて、一番前に座っていた体格のよさげな、
楽天ファンと巨人ファンを指名して壇上に上ってきてもらいました。

ゴミ箱を壇の中央に置き、ボールを1個ずつ渡して、楽天ファンにはゴミ箱から数歩離れたところに、
巨人ファンには壇の一番隅っこのほうに立ってもらいます。
「そこからボールを投げてみごとこのバスケットに入ったら福島大学に入学できます!」
とハッパをかけて2人に順番にボールを投じてもらいました。
もちろん先に投じた楽天ファンは軽々とゴールさせました。
トランペット型のラッパでお祝いのファンファーレを奏でてあげます。
続いて巨人ファン。
フツーそこから投げても入らないよなと十分思えるほどの距離を取っていたのですが、
なんと彼はみごとにゴールインさせてしまいました。
これでは特権の話にもっていけません。
ものすごく動揺しながらも 「おめでとう、2人とも素晴らしいっ!」 と褒め称えながら、
「じゃあ今度はゴールをここにしよう」 とさらにゴミ箱を遠ざけ、
巨人ファンには絶対ムリででも楽天ファンなら必ず入れられるであろうぐらいのところに移しました。
もう一度2人に挑戦してもらうと今度こそ思い通りの結果が得られました。
巨人ファンにはアヒルのラッパのガーガー音で失敗を強調します。
やってみてどうだったと巨人ファンに聞いてみたところ、
「ズルイと思った」 というこちらの意図通りの感想を言ってもらえたので助かりました。
で、このように説明を加えました。
「これが特権です。
 特権とは、ある特定の人々にのみ認められた特別の利益です。
 楽天ファンは楽天ファンであるということのみによってあんなに有利な条件を付けてもらえました。
 逆に巨人ファンは巨人ファンであるというだけであんな差別待遇を受けなければなりませんでした。
 昔はこのように身分や人種や性別などによって特権をもつ人ともたない人に分かれていたのです。」

その後、2人に同じ短い距離からボールをゴールインさせてもらいました。
で、こう説明を続けます。
「これが権利です。
 権利とは、ある資格を満たした人全員が主張できる正しい要求です。
 今回は条件を同じにしてボールを入れることができたら福島大学に入学できることにしました。
 実際には、大学入試に合格し、入学金と授業料を納めた人全員に、
 福島大学に入学する権利が与えられます。
 身分や人種や性別など生まれつきのちがいは関係ありません。」

2人には協力に感謝して席に戻ってもらいました。
ここからが人権の説明です。
「人権は特権とは全然ちがいますし、権利ともちがいます。
 人権の場合はもうボールを投げる必要がないのです。
 人権とは、すべての人が生まれつき平等にもっている権利です。
 人間として生まれてきた以上それだけですべての人がその資格をもっています。
 高校や大学で高度な教育を受けようと思ったら、入試に合格するなどある資格が必要ですが、
 読み書きそろばんなど最低限の義務教育を受ける権利は資格など不要で、
 すべての人が人権として生まれつきもっているのです。」

はたしてこの説明で3つのちがいを理解してもらえたのでしょうか?
以上の話を聞いた上で、文章完成のワークをやってもらいました。
「特権が残っている社会は                              」。
「権利は特権と比べて                                 」。
「人権は権利と比べて                                 」。
自分なりに考えたこと感じたことを自由に書いてくださいというお題ですが、
ここまでですでに講演時間の半分の30分が過ぎてしまっていましたので、
みんなに発表してもらう時間を取ることができませんでした。
こんなに時間を食うとは思っていませんでした。
なんといっても巨人ファンの一投目が誤算でした。
あとで聞いてみたら私が選んだ2人は2人とも野球部の子だったそうで、
言われてみればたしかにそういう体格でした。
この手のワークをやってもらうのに野球ファンを募ったこと自体がまちがいでした。
だけど自分の中でこういう時にあからさまに差別していいのは巨人ファンかきゅうりファンだけで、
残念ながら須賀川ではきゅうりが嫌いな人なんてヤクルトファンよりも少ない気がしたんだよなあ。

というわけで、最初のワークだけで半分時間を使ってしまいましたので、
あとはもうものすごい駆け足になりグダグダの講演会となってしまいました。
しかも、せっかくこのワークを取り入れたというのに、
なんだかあまり伝わっている気がしなかったので、
けっきょく口頭で 『生きながら火に焼かれて』 の話を付け加えることになり、
さらに時間を食うと同時に、全体的にものすごくお説教臭い講演になってしまいました。
去年までの軽やかな感じで、みんなひとりひとりちがうんだから、
そのちがいを尊重、尊敬し合って楽しく生きていこうね、という話にまとめられませんでした。
人権は17世紀に発明された思想で、日本ではほんの70年前にやっと認められたにすぎず、
しかも今まさに人権の尊重を謳っている日本国憲法は変えられようとしていて、
国民に人権なんて必要なく国民は義務さえ守っていればいいという憲法になるかもしれない、
ほんの数年後、君たちが18歳になったときにきちんと意思表示ができなければいけないので、
それまでに社会科の授業でしっかりと人権について学んでおいてください、
なんてそんなこと大学教授に上から目線で言われても誰も覚えちゃいないだろうなあ。
ていうか、この60分間自体が苦痛だったろうなあ。
うーん、今回は世相が世相だけにパッションが勝ってしまいイマイチの出来でした。
こういう時代だからこそ、若者に耳を傾けてもらえるような冷静な組み立てが必要でした。

市役所の担当の方からは、ありがとうございました、来年もお願いしますと言われましたが、
はたして来年度もこの 「人権啓発セミナー」 は開催できるのでしょうか?
来年の今ごろは、こういうごくごく当たり前のお話が、
政治的に中立ではないと判断される世の中になってしまっているかもしれません。
来年度も須賀川市の中学校で 「人権啓発セミナー」 を開くことができるような、
そういう自由で民主的な日本であってくれることを心より願うとともに、
その暁にはぜひとも今年のリベンジを果たさせていただきたいと思います。

人権啓発セミナー、はたしてちゃんと行き着けるのか?

2015-12-06 18:56:02 | ドライブ人生論
このあのいだの金曜日は須賀川の稲田中学校で人権啓発セミナーでした。

一昨年から頼まれるようになって毎年2校ずつ回って講演してきましたが、

今年は日程が合わず稲田中学校の1校だけです。

また今年から須賀川市役所の担当の方が替わり、おふたりの鈴木潤一さんとはお別れになりました。

ただし新しい担当者の方が私のブログをよく読んでくださっていて、

私がよく日程のチョンボを犯すことや間違えて隣の小学校に行ってしまったりすることをご存知で、

事前に何度もメールで丁寧な注意をくださいました。

稲田中学校も稲田小学校と隣接して建っていて、担当者の方も最初間違えてしまったそうで、

ぜひお気をつけくださいとの言葉も添えられていました。

かくして完璧なフォロー体制のもと当日を迎えることができました。

ところが、そこまでしていただいたにもかかわらず、

やはり私の側の準備不足で危機が到来してしまいました。

なんと当日まで私はタイヤを交換しておかなかったのです。

先月11月25日に初雪に降られてしまい、冬のチキンレースには早々に負けてしまったわけですが、

その後、平日はすべて授業で埋まっていてタイヤ交換に行くヒマはありませんでしたし、

週末は東京出張でやはりタイヤを替えることができませんでした。

そんなわけで夏タイヤのままセミナー当日を迎えることになってしまったのです。

とにかく雪が降らないようにと祈っていたところ、金曜日は雨。

若干強めに降っていましたが、雪に変わるような感じではなかったんです、お昼を食べ終わった頃は。

ところが 「Q庵」 での昼食を終え、忘れ物を取りに大学に寄ろうと向かっている最中に、

一気に空模様が変わってきてしまいました。

4号線から新しく建て替わったセブンイレブンのところを曲がって114号線に入った頃には、





雨は完全に雪に変わっていました。

今さらタイヤを替えることはできませんし、もうこのまま須賀川まで行くしかありません。

途中、雪のため最徐行しなければならなくなる可能性もありますので、

大学は素通りして松川のスマートインターチェンジにまっすぐ向かいました。

高速道路に乗ってからも雪は降り続けていましたが、

道に積もるほどではなかったので、時速80kmくらいであれば安全に走れる感じでした。

そうこうしているうちに郡山を過ぎたあたりから雪は再び雨に戻っていました。

鏡石のスマートインターチェンジを下りたあとは、

あらかじめいただいていた地図である程度予想していたよりも目的地まではあっという間で、

けっきょく予定時刻よりも相当早く稲田中学校に着くことができました。

大学に忘れ物を取りに寄ることができなかったため、

講演に必要なものを現地調達しなければならなかったので、早く着けてよかったです。

校長先生にうかがったところによると須賀川では雪はまったく降っていなかったそうです。

講演終了後も雨のままでしたし、帰り道も若干心配しましたが、

もう雪に遭遇することはなく、無事に須賀川ノーマルタイヤドライブを終えることができました。

肝心の人権啓発セミナーですが、ちょっとこれまでと話の内容を変えたところ、

ビミョーな出来になってしまいました。

その点についてはまたご報告いたします。

福島に生きて戻れたらただちにタイヤ交換しようと固く決意して、

この週末にそのミッションも果たしました。

その件についても近々ご報告しようと思います。

とにかくクォリティはどうあれ、ちゃんと忘れずに人権啓発セミナーに出かけ、

行き先を間違えたりスリップ事故を起こしたりせずに無事に行って帰ってこられたことだけを、

今はただ喜んでいたいと思います。

冬のチキンレースなんてもうやめて、今後は安全第一、

石橋を叩いて渡るぐらいの慎重さを身に付けようと心に誓ったのでした。

久しぶりのディスプレイ交換

2015-12-05 11:17:29 | 幸せの倫理学
今年の1月末にこんなディスプレイにしているという記事を書きました。



お正月用のディスプレイにするのもめんどくさいので、

日本酒セットをいろいろ並べて擬似正月的な雰囲気にしてみたという記事です。

そもそもあのときも本格的なディスプレイとしてではなく、

とりあえずその場しのぎのディスプレイとしてあれを飾ってみたわけですが、

なんと、その後まったくあれを新しく陳列し直す余裕のないまま年末を迎えてしまいました。

いつもでしたら毎月とは言わないまでも、季節の変わり目ぐらいには替えていましたし、

雛祭りには雛飾り等、シーズンを感じさせるようなディスプレイにしていたんです、今までは。

ところがこの1年はずーっとプチうつ状態でしたから、

まったくこれを何とかするという気になりませんでした。

というわけで、ほぼ1年間ずっと日本酒セットのままここをほったらかしにしてきました。

しかしながら先日の大掃除で少しだけ生きる気力というか、

部屋の中を片づけたり飾ったりする心の余裕が出てきました。

そこで12月にも入ったことですし、思い切ってクリスマスディスプレイに替えることにしました。

クリスマスディスプレイは雛飾りに比べるとそんなに大変なことではないのですが、

それよりもほぼ1年間ずーっと飾りっぱなしだった日本酒セットを、

次にいつでも実用に供せるようにちゃんと中まで洗っておくことのほうが大変です。

逆に言うとそれが面倒くさいからこれまで飾り替えをやる気になれなかったのかもしれません。

今回は台所もキレイになったばかりでしたので、それに挑戦してみる気になったのでした。

やってみるとやはり大変なのは洗い物のほうで

ディスプレイの並べ替え自体はあっという間に終わりました。

こんな感じです。



例年、並べるものは同じですのでそんなに目新しい感じにはできません。

ま、クリスマスはこれにあとは部屋の中にクリスマスソングが流れていれば十分ではないでしょうか。

このいつもの階段箪笥だけでなく、一気に玄関もクリスマスにしておきました。



昨年いただいたクリスマスリースです。

このクリスマスリースをぶら下げる用の頂き物のハンティング・トロフィですが、

実際に玄関に飾ってみると思いのほか電池の消費量が激しいです。

LR44という小さいボタン型乾電池を3つも使うのに、

しかもドアの開閉時にしか点灯しないにもかかわらず、1ヶ月くらいで電池が切れてしまいます。

さすがに電力のムダということで、年明け早々電池が切れて以来そのまま放っておきましたが、

せっかくのクリスマスですので、今回1年ぶりに電池も替えて点灯させてみました。

やっぱりこいつが光っているとちょっと雰囲気が違いますね。

しばらくは自宅でもルンルンのクリスマス気分を楽しんでみたいと思います。

知事と若者の“ふくしま・まちづくり”意見交換フォーラム

2015-12-04 23:57:29 | グローバル・エシックス
一昨年の川内村の若者ワークショップでお世話になった、
福島県保健福祉部のこども・青少年政策課の方から以下のような情報をいただきました。
哲学カフェの皆様にもお知らせいただければ幸いですとのことでしたので、
ほとんど当日のギリギリ告知になってしまいましたが、こちらでシェアさせていただきます。


若者の社会参画促進に関する、
本年度の県事業「チャレンジふくしま若者リーダーまちづくり事業」の一環として、
標記フォーラムを下記及び別添チラシのとおり開催します。
ご都合がよろしければ、ぜひ御観覧くださいますよう、御案内いたします。

                 記

知事と若者の“ふくしま・まちづくり”意見交換フォーラム

日 時  平成27年12月5日(土)13:45~16:00

場 所  福島県文化センター 小ホール(福島市春日町5-54)

内 容  第1部 講演 講 師 (株)いろどり 代表取締役 横石 知二 氏
           テーマ 「まちを変えるヒント」

      第2部 知事と若者による意見交換フォーラム
           テーマ ~“ふくしま・まちづくり”今から→未来へ~

≪若者の「まちづくり企画」≫
   ◆ 中通りグループ
    「農産物直売所や体験型農場を備えた道の駅テーマパークの整備」
   ◆ 浜通りグループ
    「大型店と提携した浜通りの今と魅力を伝える情報発信コーナーの開設」
   ◆ 会津グループ
    「ITを活用した会津のまちなか情報・観光情報」

  ※参加無料、申し込みなしの当日参加で結構です。



私もちょっと顔を出してみようと思っております。
関心のある方はぜひご参加ください。

ガンディーの日本人へのメッセージ

2015-12-03 17:23:14 | グローバル・エシックス
本日は 「戦争と平和の倫理学」 でガンディーの非暴力抵抗思想/運動について講義してきました。
授業ではA4×4枚分のプリントを配付して、ガンディーの生涯や彼の言葉を紹介しています。
ガンディーは自分で創刊した 『ハリジャン』 という雑誌に、
わりと短めの文章をものすごくたくさん投稿しているのですが、
その大量の文書からどれをセレクトしてくるのか、自分のセンスが試されるところです。
このプリントを初めて作成したのは2003年ともう12年も前のことで、
それ以来、誤植の訂正をしただけでずっと同じセレクトで今日に至っているようです。
教師の怠慢という評価も可能かもしれませんが、私としては相当気に入っているんでしょうね。
今日も自分で音読しながら、何度か泣きそうになるのをグッとこらえなければいけませんでした。
プリントに載せているのはたった4つだけですが、そのうちの一番長い記事を転載しておきます。
1942年、太平洋戦争のまっただ中、日本がインドに侵攻してくるかもしれないという時期に、
ガンディーがすべての日本人に向けて書いたメッセージです。
当時のインドはイギリスの植民地支配下にあり、
ガンディーは対英独立運動を非暴力の形で繰り広げていました。
日本はあの時も、そして現在においても、
あの戦争はアジア諸国を植民地支配から解放するための戦争だったのだと、
正当化し美化しようとしていますが、
アジアの側から見て日本がどう見えていたのかをとても端的に表現した文章だと思います。
そして、この文章そのものが非暴力コミュニケーションのお手本ともなっています。
ぜひすべての日本人にとくと味わっていただきたいと思います。


「すべての日本人に」(『ハリジャン』1942.7.18.)

「まずはじめに言わせてもらえば、わたしはあなたがたにいささかの悪意も持っていません。けれどもわたしは、あなたがたが中国に加えている攻撃を非常にきらっています。あなたがたは崇高な高みから帝国主義的野心にまで降りてきてしまいました。あなたがたは、野心の達成には失敗してアジア解体の張本人となり、知らず知らずのうちに世界連邦と、同胞関係をさまたげることになりましょう。同胞関係なしの人間は、いっさいの希望をもてなくなってしまうのです。
 今から五十年前、わたしは十八歳の青年で、ロンドンに行って勉強していました。そのときからのことですが、わたしは、今は故人になったサー・エドウィン・アーノルドの著作を通じ、あなたがたの民族のたくさんのすぐれた資質を知って、尊敬を払うようになりました。わたしは南アフリカで、あなたがたがロシアの武器に対して輝かしい勝利をおさめたことを知って感動しました。
 1915年に、南アフリカからインドに帰ってきたわたしは、日本人の仏教僧侶と非常に親しくなりました。彼らはときおり、わたしたちの道場の一員として生活をともにしました。彼らの一人は、セワグラムにある道場の貴重な一員になりました。彼の、義務に対する勉励ぶり、堂々とした振る舞い、欠かしたことのない日ごとの礼拝、ていねいな物腰、状況の変化に少しも動じないりっぱな態度、そして内心の平和の証である自然の笑顔、これらのことでわたしたちみんなが彼を愛しました。そして今日、あなたがたがイギリスに宣戦をしたおかげで、彼はわたしたちのところから連れ去られました。わたしたちは一人の親愛な協働者をなくしてしまったのです。彼は記念として、自分が毎日唱えていた経文と小さい太鼓を残してくれました。この太鼓の音とともにわたしたちの毎朝毎晩の祈りが始まったものでした。
 こうした楽しい回想を背景にもっていたので、あなたがたが、わたしには理由のないものに思われる攻撃を中国に加えたこと、そして報道が正確だとすれば、あの偉大な、そして古くからの国を無慈悲に荒らしてしまったことを思い出すたびに、わたしは非常に悲しく思います。
 あなたがたが、世界の強国と肩を伍したいということは、あなたがたのりっぱな野心でした。けれども、あなたがたの中国に対する侵略と、枢軸国との同盟は、正当とはいえない、度を越した野心でした。
 あの古い国の人々は、あなたがたが、自分のものとしている古典の文芸の所有者であり、あなたがたの隣人です。この事実にあなたがたは誇りを感じているのではないか、とわたしは思っていました。お互いの歴史、伝統、文芸の理解は、あなたがたを友人として結びつけこそすれ、今日のように敵方に回すことはないはずでした。
 もしわたしが自由の身であったならば、そしてわたしは弱ってはいるけれども、もしあなたがたの国に行くことが許されるならば、あなたがたの国へ行って、中国に対し、世界に対し、したがってまたあなたがた自身に対して行っている暴行をやめるように懇願しましょう。そのためにわたしの健康が、いや生命がそこなわれても意に介しません。だが、わたしはそのような自由をもっていません。
 さらにわたしたちは、あなたがたやナチズムに劣らずわたしたちがきらっている帝国主義国に反抗しなくてはならないという、特殊な立場にあります。帝国主義に対するわたしたちの反抗は、イギリスの人々に危害を加えるという意味ではないのです。わたしたちは彼らを改心させようとしています。イギリスの支配に対する非武装の反乱です。今、この国の有力な政党が、外国人の支配者と決定的な、しかし友好的な闘いを交えています。しかし、このことで、外国からの援助を必要としてはいません。あなたがたのインド攻撃がさし迫っているという特定の瞬間をねらってわたしたちが連合国を困らせているのだというように、あなたがたは聞かされているということですが、それはたいへんまちがった情報です。もしもわたしたちが、イギリスの苦境を乗ずべき好機にしようと欲しているのならば、三年前、この大戦が始まったときに、すでにわたしたちは行動していたはずです。イギリス勢力の撤退を要求する運動を、けっして誤解してはいけません。事実、報道されるように、あなたがたがインドの独立を熱望しているならば、イギリスによってインドの独立が承認されることは、あなたがたにインドを攻撃させるいかなる口実もいっさいなくしてしまうはずです。さらに、あなたがたの言うことは、中国に対する無慈悲な侵略と一致していません。
 わたしは要請したい。もしも、インドから積極的な歓迎を受けるだろうと信じようものなら、あなたがたはひどい幻滅を感ずるという事実について、けっしてまちがえないようにしてください。イギリス勢力の撤退を要求する運動の目標とねらいは、インドを自由にして、イギリス帝国主義であろうと、ドイツのナチズムであろうと、あるいはあなたがたの型のものであろうと、すべての軍国主義的、帝国主義的野心に反抗する準備をインドに整えさせるためです。
 もしわたしたちがそういう行為に出なければ、わたしたちは世界の帝国主義化をただ傍観している見下げた奴に堕落してしまうでしょうし、また、非暴力こそ軍国主義的精神と野心とに対するただ一つの解毒剤であるとする、わたしたちの信念を無視することになってしまうでしょう。
 イギリスやアメリカに対しては、わたしたちは正義の名において、彼らの公言したことの証拠として、また彼ら自身の利益のために訴えを行いました。あなたがたに対しては、わたしは人間性の名において訴えます。情け容赦をしない戦争というものがだれの独占物でもないことを、あなたがたが知らないとは思われません。たとえ連合国でなくとも、どこかほかの強国があなたがたの使った方法を改善し、そしてあなたがた自身の武器であなたがたに打ってかかってくることは確かなことです。かりにあなたがたが勝利するにしても、あなたがたの民衆には、誇りとするような遺産は残されはしないでしょう。手際よく達成されはしても、残虐な行為の演奏に誇りを感じることはできないでしょう。
 かりにあなたがたが勝つにしても、それは、あなたがたが正しかったということの証明にはならないでしょう。それは、あなたがたの破壊力が強かったことを証明するばかりです。このことはまた、連合国がインドを自由にし、このインドの解放を、アジアおよびアフリカにおけるすべての従属民族を同じように解放する前ぶれや約束にする、というような、公正で正当な行為をしないかぎり、連合国にもあてはまることです。
 イギリスに対するわたしたちの訴えといっしょに、連合国に対して、彼らの軍隊をインドに駐屯させてよい、とする自由インドの意向が表明されています。この表明が行われたのは、わたしたちに連合国の大義を傷つける意志の毛頭ないことを明らかにするためと、イギリスが撤退したあとの国土に入り込みたくなる誘惑を、誤ってあなたがたが持たないようにするためでした。もしもあなたがたが、なにかそのような考えをいだいて実行に出るならば、わたしたちは、全力をあげて、必ずあなたがたに抵抗するでしょう。
 わたしがあなたがたに対して訴えを行ったのは、わたしたちの運動が、あなたがたやあなたがたの仲間に正しい方向に進むように影響を及ぼすかもしれない、また、あなたがたの道徳的崩壊と人間のロボット化に終わるにちがいない進路から、あなたがたや仲間をはずさせてやりたいという一念からでした。わたしの訴えに対して、あなたがたに答えてもらえる期待は、イギリスから答えをもらうよりもずっとかすかです。イギリスは正義の感覚に欠けていないし、また彼らはわたしを知っていると思われます。わたしは、あなたがたを判断できるほど十分に知ってはいません。わたしがこれまでに読んだすべてのものは、あなたがたが訴えに傾ける耳をいっさいもっていない、そして剣にしか耳を傾けないと教えています。そのようにあなたがたを思うことがひどい見当違いであること、そしてわたしの言ったことが、あなたがたの心にある正常な琴線にふれるだろうことを、どんなに望んでいることでしょう。
 いずれにせよ、わたしは人間の共感性に不滅の信念をもっています。その信念の強さにたよって、わたしは、インドで今やりかけている運動を始めたのでした。そして、あなたがたにこの訴えをするようにうながしたのも、その信念なのです。
                   あなたがたの友であり、その幸いを祈る者である M.K.ガンディー」
               (マハトマ・ガンディー 『わたしの非暴力2』 みすず書房、1997年、pp.33-39)

10年めの発見 (その2)

2015-12-01 10:11:09 | お仕事のオキテ
10年めの大掃除による新たな発見の第2弾です。

前回の発見が本当に10年めの新発見だったのか、

震災後に発生した事実を数年ぶりに発見したにすぎなかったのかがはっきりしないのに比べて、

今日ご報告する発見は紛れもなく10年めの新発見です。

ふっふっ、聞いて驚くなよ。

前にも書きましたが、私はふだんほとんど窓を開けたりいたしません。

リビングの窓もふだんはこんな感じ↓でブラインドが下りた状態です。



室内の観葉植物に太陽を浴びさせる場合もこの程度↓です。



このレースカーテン的なブラインドが上げられることはめったにありません。

今回はこれらのブラインドを全開し窓も開け放って、

窓を両面から徹底的にキレイにしてもらったわけです。



これもビフォアの写真を撮っておかなかったのでわかりにくいかもしれませんが、

それはもう10年分の汚れがすべて落とされて、新品同様にピカピカで透明です。

窓ガラス担当の人に 「ブラインド上げておいたら鳥がガラスに気づかずに激突するかもしれませんね」

などと軽い冗談というか、ちょっと大げさに喜びを表現してみたりしていました。

その自分の言葉を確かめるためにもう一度窓ガラスをよく見てみました。

奥側の窓↓と、



手前側の窓↓と。



あれっ?

何だか違うじゃん。

この奥側の窓↓は、



透明だから鳥が突き抜けてくるかもしれませんが、こっちの手前側の窓↓は、



ワイヤーが入っていて鳥は通り抜けられませんね。

ええーっ、ウソ―ッ

ワイヤーが入ってる窓と入っていない窓があったの?

知らなかったあ。

すべての窓にワイヤーが入っているものだと思っていました。

こんなにピカピカに磨き込まれてみて初めて、

一番奥の2枚の窓にはワイヤーが入っていないということに気づきました。

これまではワイヤーのことが気にならないくらい窓全体が汚れていたからなあ。

あまりにもキレイになって 「鳥が窓ガラスに気づかずに激突する」 という比喩を思いついたがために、

こちらの↓窓にはワイヤーが入っていないということに、入居以来初めて気づくことができました。



うわあ、ビックリしたなあもう。

何がビックリって自分がビックリだよ

10年も住んでてそんなことにも気づかない節穴の人がいるんだなあ。

注意力、観察力がないってものすごいことだなあ。

そういえば、あの窓があそこまで直角に開くってことも知らなかったしなあ。



まだまだぼくが見落としてる秘密がいろいろあるんだろうなあ、この家には。

節穴にもほどがあるよなあ。

どうだ、参ったか?