おはようございます(^^)
先週の5日(こどもの日)でしたか唯一不要不急の外出をしました。どこに行ったかと言いますとこの先話題になると困るので 要所は伏せますが、賢明な諸兄氏には
およその見当がつくでしょうと思われます。近頃はネット検索をすれば何だって出て来ますよね。これがひと昔前でしたら 辞書かなんかで分厚いページを繰りゞ (繰り返しです)ああで
もないこうでもない とクビを捻り鉛筆を舐めゞで知りたいことがわかればいいのですが、そもゞ辞典なんかよほど使い熟(こな)ていないと調べたいことがなかゞ出てきません
し、やっとわかった頃には疲れ果ててしまって あれ?何を調べてたんやろ…と当初の目的がわからなくなってしまった、なんかてことがザラにありましたから(^^)…
それで、国の定めたる禁足の条を破ってまで出掛けたところというのは…ハイ!私の趣味趣向であります歴史的散策の… ”おい!あんた確か趣味は庭いじりじゃぁなかったん?
あ、ハイ、確かに私は先週のブログで庭の草毟(むし)りをしたり落ち葉をかき集めたりしてきれいになったところで軽くビールを飲むのが好きです、と打ち明けています^^ですが、皆さん 皆さ
んだってお好みがあるでしょうけど、それは ひとつ…だけですか^^例えば わしゃぁ パチンコがでぇ(大)好きだべさと仰る方がいるとしまして、その人が好きなのはそれだけでしょうか^^
そうそう、わしゃぁ他にいっぺいやる(飲む)ことも でぇ好きなんだべさ^^ほして おなご(女子)これもエエ歳こいて今でもでぇ好きだんべ^^…ほれっと ん…何だっぺさ ほいほい、ラーメ
ン屋回るんだべさ、しまな(ヒマな)時 いつものラーメン屋にいったり こげなところサでけ(出来)とるがねぇ…と新しいラーメン屋見っけたら 速攻ノレンくぐるんだ^^… とまぁ誰しもい
くつかの趣味や好いたことやこだわりをお持ちではないでしょうか^^ 私は先ほどの庭いじりの他に今回の題材にしますが、歴史物が好きでして、去年は中山道と東海道の交わる滋賀の草津の宿屋
(本陣)に新選組の忘れ物(キセル)を見に行きました。キセルとは煙管と書きますが要はタバコを吸う時のもので、近頃はタバコも随分肩身の狭いことになってしまいましたが、当時(江戸時代)
はちょっとしたお洒落な嗜好品として又大人の身嗜(みだしな)みとして流行っていました。この新選組のご一行は江戸に新隊員の募集を募った帰りだったようで、風雲急を告げる京の街並みを守護す
るに新選組の隊員はいくらあっても足りないくらい大忙しかったようです。当時京から江戸までは徒歩でおよそ二週間。行って隊員の募集をかけて帰ってひと月余り人手が足りない中 よくぞひと月
も江戸へ行ってられるもんだ、と思いますが新選組の中枢は皆関東 特に三多摩といわれる武蔵の国の出身者が多勢を占めていました。それが京で腰を据えだしてから集めた隊員は関西の人間
になりますが 近藤勇や土方歳三からしてもうひとつしっくりこないのでしょうか、司馬遼太郎氏風に言いますと、兵は関東。上方は古代より文化の先駆地でありますが それだけに柔らかな
ものになれているだけに痛いことから遂逃げてしまうところがあって、それは尾張いまの名古屋周辺でも同じことで織田信長は尾張出身でしたが、自身の出身地の兵の弱さに閉口していました。
これらの話は司馬氏の書物に書いてありますが、然(しか)らばどこの塀が屈強なのかと問いますと、司馬氏曰く 兵は辺境の地(失礼)例えば越後 いまの新潟ですが この地の兵が日本では
最強ではないかと司馬氏の書物に綴っておられます。他に関東や九州、馬は奥州…と綴っておられます。ですから今回地元の関東からとなった…そんな訳で新選組としてはすごく労力や時間が掛るの
は承知で烏合の衆でない屈強な隊員を集めたかったのでしょうか。
今でもホテルにチェックインすると名前や住所を書きますが当時も同じように記載する宿帳がありました。ただし威張ったもので自身が筆を執って書いたわけではなく 良きに計らえ とばかりに
ずかずかと上がって 案内せい!とふんぞり返っていたのでしょうか。何せ当時の新選組といえば飛ぶ鳥を落とす勢いでしたから小さな大名でしたら避けて通ったようでした。
宿のほうは 畏(かしこ)まりました、と平伏をしながら 筆の立つ者が代筆をしたようで、それでも新選組 土方歳三の文字が(この時は他に斎藤一、伊東甲子太郎、藤堂平助が宿泊しました)
読めると ほほ~と思わず声が出ましたねぇ。だってこの四人の名前は新選組が好きな人でしたら誰だって知っている人物だからです。そして件(くだん)のキセルですが翌朝新選組が立った後に部
屋の片づけをしているときに見つけた物で、今でもそうらしいのですが、こちら(宿)から忘れ物がありましたなどと知らせることは無かったようで、中には密会の宿で忘れ物に気が付かず帰って仕
舞い宿から忘れ物の連絡がこの男の家にあってそれを拍子の悪いことにそこの御内儀が受けて ウチの主人はその日は出張でそんなところには行ってません、と言って電話を切ったものの…そんな間
違いの電話って おかしいなぁと思い返してみると ま、まさか(汗)ウチの人に限って……ちょっとしたリップサービスが発端となり家庭争議に発展することがあったようで、ですから宿やホテル
は忘れ物はそれとしてしっかり保管しながら お客様からの問い合わせを待っているのが古来よりの仕来(しきた)りとなっているようです。
ですからこのキセルなんかも後生大事に残していたのが問い合わせもなくいつの間にか忘れ去られ 忘れ物保管箱みたいな引き出しの中で眠っていたのですね。それを最近そのような文化遺産的な建
造物を大切に保存をしながらそこに遺っている資料などの分析にも力を注ぐようになって日の目を見るようになりました。
新選組は幕末の1863年から1869年くらいのわずかな時間を猛スピードで駆け抜けていきました。今から150年ほどの昔のことでちょんまげに羽織袴、藁草履に帯刀の出で立ちの姿がこの
宿屋で見られたんだ と感慨深かったのですが、ここらあたりの感性というものは嗜好的で自己陶酔的な要素が強すぎて、春休みだったので軽い気持ちで覗きに来た親子連れからしたら キセルの忘
れ物以上でも以下でもないようで 感涙にむせぶ私の姿を怪訝な顔で見られていたのではないでしょうか(苦笑)