おはようございます^^
昨日は子どもの日でした…ですが 外は雨の一日…どこまでも透き通った五月(さつき)晴れに子供の嬌声
というのが 子どもの日の定番なのに 終日 五月雨模様でした。 ん?これってどう読むの^^
ハイ、たまたま書いて転換をしました。 すると この様な単語になって驚きです。
さみだれ と読むそうですが、小雨が降り続く模様を言うそうです。
まさかこの漢字をこう読むとは露ぞ知らず^^ では さみだれに因(ちな)んだ俳句を味わいましょう。
五月雨を集めて早し最上川 松尾芭蕉 奥の細道のなかでの有名な一句です。
五月雨や大河を前に家二軒 与謝蕪村 解説ではどこの川なのかわからない との事。
懐かしいですが当時の学校の教科書に載っていました。
この授業の説明では、細かい説明は忘れましたが確か与謝蕪村の句の方がスケールが大きいんだ と
国語の先生がおっしゃっていたことを憶えています。 ほぅ~そうなんや と当時の田舎高校生は思いました。
俳句って簡単だなぁ…いえ、誰でも出来る という意味で思ったのですが、実際作ってみると
たった17文字でひとまとめにするのがこうも大変なのと分かりました。俳句には みなさんもご存じでしょうが、
季語が入ります。
四季折々の歌を詠うのに季語は大事なことで、それが入っていないと川柳になってしまいそうですが…
俳句は季節や風情を爽やかに詠み 川柳は世情を皮肉って詠む のでしょうか^^
さて、何気に打った単語が五月雨(さみだれ)に当たったことで40年以上前の授業を想い出しました。
それで両方の俳句を改めて調べてみますと 先生の解説感想は自説のように思っていましたが
なんと 森鴎外が両句を比較して 雄大であると絶賛をした、とあって その後に司馬遼太郎氏の
坂の上の雲にもこの事を載せておられたようで、それを紹介していた解説には 蕪村の作品が雄大な
のは その人の受ける感性であって たとえ 森鷗外であっても それを人に押し付けるのは
どうかなぁ…と記していましたが
私がみて解釈をするだけの技量が無いため はて…素人目にはどちらも良い句だと思いましたが
蕪村の方を特別に雄大さがあるようには感じませんでした。
俳句とは17文字の中で その時節の事を詠むのですから 長々と書き綴る物語りと違って読み人の
想像力や表現、感性によって受け方が微妙に違ってくるのが当然ではないでしょうか。
有名な俳句を鑑賞して 俳句の持つ言葉の遊びや有職故実(ゆうそくこじつ)ところ、悠々緩緩
(ゆうゆうかんかん)で自由な雰囲気などを学びながら豊かな心持ちや感性を養うための授業だと思うのですが
先生はチト偏(かたよ)った解説を さも自説のように話したのだったのか…とがっかりしました。