おはようございます^^
朝晩は過ごしやすくなってきました。
ここ私の住まいをします関西某処は、それでも夏の名残と言いますが気温が三十度を超える気温が続いています。
まぁ 毎年の事なので 慣れでしょうか諦めでしょうか 兎に角お天道様に逆らうなんて畏れ多い事であります^^
さて昨日少しもったいを付けたクイズの回答をしましょう。
明治に初の文部大臣に就いた森 有礼(ありのり1947年~1889年)が日本語を止めて英語を国語にしよう、と言いました。
この人物は明治維新の前に薩摩藩から俊英の若者に選抜されてイギリスに留学しています。
弱冠18歳の秀才が見た英国は世界で一番栄えていた国でした。
おそらく見るもの聞くもの すべてが想像を絶するものだったのでしょう。彼が留学する二年前に薩英戦争がありました。
英国の軍艦が鹿児島湾に入って来て薩摩藩が何年か前に揃えていたアームストロング砲で対抗しましたが全く歯が立たず
砲台は壊滅 賠償金を払う約束をしてその戦争‥は三日間で終わりました。唯一最初に放った砲撃で英国艦も中破して
少しは薩摩藩も面目は施しましたが 英国おそるべし と印象をもった事件でした。
そんな紛争があった後に薩摩藩は留学生を送るのですから 英国の懐の広さや豪胆といいますか 薩摩藩のほうも
なんとか先進国の制度を習わせて活かせたらと先見の明がありましたね。
その森青年に限らず留学生はみな今でいうところのカルチャーショックにかかったでしょう。
こんな国と戦争をしても勝てる筈がない、と思ったでしょう。
それが後政府の幹部の文部大臣になった折に 国語を英語にするくらいでないと とても追いつけないという発想でした。
当時の日本、明治政府は 欧米からの侵略を防ぐには今よりもっともっと力をつけないといけない、として 富国強兵を目指していました。
でも国語を英語にするには費用も掛かるし 第一国民が黙っていないだろう せっかく維新が成功したのだからこれで又国内がもめるのは
避けたい、ということでこの英語を国語にという論議は打ち消しになりました。
ところでこの森有礼は自身の結婚の時に役所に日本初の婚姻届を出した人でした。
それまでは どうしていたんだろう…と思いますが戸籍がまだ整っていなかったのか よく分かりません。
そのあと十数年後に今度は離婚をして ヤッパリ役所に出した離婚届も日本初だったそうです。
おそらく英国に留学していた時にその届け出制度を覚えていたのでしょうか。
もし、 若しもですが明治維新の勢いで英語が国語に変わっていたら 今の私たちは普通に英語を話していて普通に英語の新聞を読んで
鼻歌やクシャミや咳(せき)なんかも英語でしたんでしょうか^^
学校の入試も国語(英語)数学、理科、社会と四科目でいいのなら試験勉強も助かりますよね♪
第一無駄な英語の授業が無いのですから‥ どうなっていたか想像は尽きませんね^^