おはようございます。
今日は 暦の日 ‥らしいです。
暦 こよみ と読みますが、最近 そう呼んでる人は見掛けなくなりましたね。
何でも洋風が イイみたいになって日本本来の言葉はどこに行ったんでしょうね。
さてその暦ですが‥昔は太陰暦と言いまして 時間の周期をお月さまの動きで測っていました。
これは中国から入ってきたのですが確か天智天皇の御世でした。時間を測って示すのに 水を使った水時計
が最初だったようです。仕掛けは至って簡単で、山からの湧き水を竹の筒から石の水槽に流し込んでそれをいくつか
備えておいてそれがいっぱいになると何時間‥う~ん 単位は今とは違ったでしょうか。
湧き水は意外にも規則正しい と説明にありましたが、大水が出たり枯れたりした時のために
幾つも同じような装置を作っていたようです。そんな簡単な方法でも 時を刻むことで
今何時だからと生活の目安や基盤にしていたのでしょう。
その水時計を各地に作っておいたのは言うまでもありませんが たまに確認して誤差を調整するのって どうしていたんでしょうね。
はなしを戻しますが、水時計からもう少し進みまして一年、ひと月の区切り、単位を表わしたのが 太陰暦でした。
月の満月から新月‥全く見えなくなるまでがひと月弱。ですが本当はかなり足らなくて毎月何日か足していたり
年末には十二月と十一月との間に閏月(うるうつき) を二十日ほど作っていたりして調整していたそうです。
それが明治五年の十一月九日に今までの太陰暦を止めて太陽暦に移行して新たな日付を1月1日としました。
昨日まで十一月だったのが、いきなりお正月、ですからみんな面食らったでしょうが、当時はそれくらい強引に
洋風の制度を変えていたようでした。
ところで、暦‥カレンダーを見ますと大安、仏滅などが載っています。
あれは六曜と言いますが室町時代に中国から伝わってきましたが一般には広がらなかったのですが この新暦になった時にある暦の業者が
他の競争相手に負けないための工夫としてこの六曜に目を付けて載せたのが始まりです。
ですから江戸時代の暦には六曜は全然載っていません。現在 冠婚葬祭の業者にうまく利用されているだけなのですが
六曜事態に何の根拠もないと説得してもダメですねぇ。
徒然草の一節に「吉凶は日によらず、人にあり」とありますように科学が発達していない鎌倉時代の吉田兼好ですら
そう説いているのですから もう いい加減に目を覚ましたらどうかと思いますね。