おはようございます。
爽やかな秋晴れであります。
後世から 俳聖と呼ばれた松尾芭蕉翁が亡くなられた日であります。
享年50歳 ですから 随分早いと思いますが、医学が今ほどなかった江戸初期では
平均寿命では無かったかなと思います。例えばこれより 百年ほど前に本能寺で亡くなった
織田信長は幸若舞いの 敦盛を好んで舞ったと言われています。
♪ 人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり ひとたび 生を得て滅ぼせぬ者のあるべきか♪
と候(そうろう)て 法螺(ほら)吹け 具足よこせと仰せられ 御物具(おんもののぐ)召され 立ちながら御食(みけ)を
まいり 御甲(おんかぶと) めし候ひて御出陣なさる。 信長記より
ちょっと長くなりましたが、敦盛という歌謡の一文に 人間五十年~とあります。今ではそこだけが有名になっていますが
当時人の寿命は大体五十歳だと世間で認知されていたようです。
その下段が信長記に載っていたのですが桶狭間の闘いに出陣する前を書いています。
今川勢が桶狭間まで侵攻してきたと間諜から報告を受けた信長は 好んでいた 幸若舞の敦盛を謡い踊って
出陣の肚を決めたのですね。そして腹が減っては戦は出来ぬ と出陣の合図の法螺貝を吹けと命じながら
自身は足回りを整え鎧兜に身を纏いながら立ったままで御食‥これをみけ と読むそうですが 試しにみけと打って変換すると
即 御食と出てきました。すごいですねぇ‥出陣前の緊張感と慌ただしさが簡潔な文章で推量できますね。
あれから時が経ち戦国時代は終わり太平の世の中になりました。
松尾芭蕉 の辞世の句 として遺っているのが 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
織田信長の死から松尾芭蕉までが百十数年、そしてそこから現代までが三百数十年。
文明の尺度はこちらの方が随分と長いんですねぇ。