寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

似て非なり 秋の風

2023年10月03日 21時19分27秒 | 笑い

 おはようございます。

今朝も最近凝っている俳句の話題です。

 

 あかあかと 日はつれなくも 秋の風  松尾芭蕉

 

う~ん 読んでみて解ったような わからんような‥俳句ですが

最後の秋の風 で秋の句かな と分かりますが 前がよくわかりません。

 解説を見ますと、残暑厳しい中太陽は変わらず照り続けている、それでもさすがに秋の風が吹いてきて

いる‥もう秋なのかなぁ‥これはその場の松尾芭蕉になった気持ちでの解釈です。

それを聞くと なるほどそうなのか‥と分かりましたが、何せ周りの風景と心情と季節をミキサー

してあれこれ言いたいのをギュッと 5・7・5に縮め余計なところを切っ払ってるので

かなり想像力を湧き立たせないと分からないのは当然かと思います。

 

 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども  風の音にぞ 驚かされぬる   藤原 敏行

 

これは古今和歌集に載っている和歌です。

残暑厳しい中にも早くも秋風の音を聞いて驚く 旅愁の情を詠んだ歌だそうです。

因みに 5・7・5・7・7 31文字を明治以前は 和歌 以降は短歌と呼び名を区別しています。

さて俳句の研究をされている方が 芭蕉の句を見て これは 古今和歌の上記の和歌を下敷きにしている。

と指摘されています。

古今和歌集は平安時代初期に編纂されました。この後に出された新古今和歌集など

は有名な和歌集で和歌、俳句を職業としている俳諧師は教科書としてみな諳(そら)んじるくらいだったでしょう。

 それで この二つの作品、芭蕉の方は俳句ですし、教科書は和歌。手本にしたのでは‥

と言われて何度も読んで比べてみますが、似ているようでも非なり。

晩夏の残暑厳しい折りの一風に秋を思える、現代にも通じるのではと思って紹介しました。

  

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むくげと芭蕉・・

2023年10月03日 05時51分55秒 | 笑い

  おはようございます。

拙宅の道端にきれいな花が咲いています。木槿(むくげ)という品種なのですが‥

ご覧のとおりの淡い紫色です。

  道野辺の 木槿は馬に 食はれけり   松尾芭蕉

松尾芭蕉が東北に向けて旅に出る途中に川越の宿で見かけた風景ですが

江戸時代の 交通手段と云えば 徒歩。自力で歩くのに尽きるようですね。

その他に 駕籠や馬がありましたが 長い旅路で 余裕のなかった路銀を少しでも節約を

するために出来るだけ自身の足で歩いたようです。

 落語の中に 脚に歳は取とりゃせんがね という一節がありますが、現代人と違って

一生を自身の足でまかなうのが当たり前だったのでしょう。

 ‥とは言いながら 足弱のお女中方やご高齢の方が駕籠を利用することもあったのでしょう。

樋口一葉の日記の中に 都内で数キロの道程を日も暮れそうだし疲れるからと電車をやめて人力車を使ったとありました。

当時の樋口一葉は少しは売れ出していましたが女性の本が世間に認められていなかった為に

原稿料が僅少だったそうで大変な赤貧の生活でしたが人力車はやむを得ない事情だとありました。

他にも親戚の人が来た時に お昼に鰻を馳走したともありました。

借金を返すために他の知人に借りたり‥などかなり大変な暮らしぶりだったようですが、

なぜか 人力車を使ったり鰻を取ったりと合点のいかないところがありました。

  話し戻って 松尾芭蕉が見た 木槿(むくげ) が拙宅‥時代風につい書きましたが、

自宅ですから勘違いしないで下さいね。

この木槿ですが葉っぱや樹皮に鎮静剤としての効果があります、又花は下痢嘔吐にも利くそうで

平安時代初期頃に中国から漢方薬の材料として入ってきました。

 木槿の樹皮は堅そうですがそんな薬用の効果を知ってか 馬がむしゃむしゃ喰ってる様を

松尾芭蕉は微笑みながら見ていたのでしょうか。

花は可憐で清楚な青紫色、朝顔にも似た私の好きな花です。

 

 

 

 

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