おはようございます。
今朝は寒くて歩く時に 思わずジャンパーの襟を立ててしまいました。
朝に歩くのを続けてもう何十年にもなります。歩いてるの‥と聞かれると 最初はちょっと恥ずかしい気持ちがあって
ええ、 とか まぁ‥なんて言葉を濁していました。今は 歩く⇒ウオーキング カタカナになると急にトレンディ(苦笑)
になった気がするようで 今では そうですよ、胸を張って応えています。
この英語(カタカナ語)とは日本人特有の英語に対する負い目、憧れが根底にあるからでしょうか。今では何でもかんでも英語化されています。
ある政治家が 英語で喋るといかにも経済が分かってる風に見えるのとカタカナの発音が耳に聞こえがいいので意識して使っています。
と話していました。
舐められたもんだなぁ、と思いましたが、人前で話すのが職業の政治家は 群集心理学というのを学習するのが何よりも必修のようです。
カタカナ語が街中に氾濫して ホントやるせない時代になったな、と愚痴っぽく話したら 何の!分からん言葉はすぐに調べるんだよ、
と息巻いてる人に出会いました。確かに今は スマホという魔法の辞書があります。その気なら数分で解明できるのですから
そんなもの 何でもないよ、それよりお前みたいに変に尻込みするのは良くないぞ。と逆に説教される始末。
気後れは後退だけ、前を向いていきましょう。と公民館の前にポスターが張っていました。
いきましょうとは、活きましょう、行きましょう、生きましょう・・とあるのですが 逝きましょう もあるよ とさっきの人が
教えてくれました。余計なことを、と思いましたが、面白いねと頷く人もいました。
まぁ このいきましょう 漢字の使い方で意味が違ってくるのが日本語の妙でしょうか。
大切にしたいですが、時代の大波に呑まれないようにしたいですね。