広島市とJR西日本は、2016年春に廃線を復活させるという1987年以降初の試みに挑みます。不採算で廃線となった鉄道が、廃止から約10年という短期間で、なぜ復活できたのでしょうか?前代未聞の取り組みの原動力は、地域住民のまちづくりへの情熱だったそうです。
廃線となった鉄道路線を再び鉄道として復活させる。鉄道事業法が施行された1987年以降で全国初の取り組みが、広島市北部で進んでいます。復活が決まったのは、JR西日本可部線の終点である可部駅から西寄りに向かう約1.6kmの区間です。国土交通大臣は2014年2月25日、JR西日本に対して同区間での鉄道事業を許可しました。可部線は広島市中心部の横川と市北部の拠点地域である可部の14kmを結ぶ路線で、03年12月に可部から郊外側の三段峡までの非電化区間46.2kmが廃止されました。
再整備する1.6kmの区間の駅や軌道敷きをはじめとした主な鉄道施設は、市が3分の2、国が3分の1相当の費用を負担して整備し、鉄道の運営をJR西日本が担います。整備するのは、終点と中間に設ける2駅の施設と単線の軌道敷きなどで、事業費は約27億円を見込みます。
短い区間とはいえ、一旦廃線とした鉄道を復活させるという“離れ技”を成し遂げた大きな理由は、三点に整理できるようです。一点目は、旅客の需要増に対する期待です。
実は、可部線沿線の人口は増加を続けている。現在の可部線の北寄りの区間である緑井駅から可部駅にかけての沿線人口は、1998年から2008年にかけて約5%の増加が確認できている。今回、延伸を図る区間周辺の人口推移を調べてみても、2003年から12年までに、約5%の増加が認められました。可部線自体も乗車人数は増える傾向にあります。
延伸する路線沿いには、安佐北区役所をはじめとした官庁が集まるエリアがあります。さらに、延伸部北側を中心に、大規模なホームセンターなどの商業施設も立地されてきました。路線が廃止されたころに農地の目立っていたエリアでは、住宅開発が進展。地域の人口増加に寄与してきました。
人を引き寄せる施設や住宅が集積することから、延伸区間の乗降客数は、新設する終点駅で1日当たり約2200人、同中間駅で約1800人と見込んでいます。1980年代の旧国鉄では、路線の輸送密度が1日当たり4000人未満をバス輸送に転換する目安としていました。2012年度の可部線の輸送密度が1日当たり1万9012人というデータを考えれば、鉄道事業としての採算を保てると考えられます。
二点目は、住民の熱心な活動です。今回延伸される区域の約6000世帯の住民は、可部より郊外側の区間が廃止される前の1994年、電化区間の延伸を要望する組織を結成しました。そして、電化による利便性向上を求めて署名活動などを進めてきました。
住民による活動は及ばす、その後可部線の非電化区間が廃止されたものの、住民は活動をやめませんでした。廃止された区間の一部の電化延伸に向けた要望を届けるための活動を地道に続けたようです。
例えば、廃線後にJR西日本から広島市に譲渡された軌道敷き部分で定期的な草刈りを実施したり、軌道敷きにろうそくを並べる「お迎えキャンドル」と名付けたイベントを実施したりしました。こうして、可部線の廃線区間の復活を求める住民の存在をアピールするとともに、地域住民が可部線の必要性を再認識する機会を設けてきました。
他方、市は可部線を市中心部と市北部の拠点を結ぶ基幹交通に位置付けていました。そして、粘り強い住民の運動と歩調を合わせ、将来の利用を念頭に置きながら、今回の延伸区間のバラストやレールは撤去せずに、廃線前のものを残しておいたそうです。広島は、バスが発展しているので可部街道54号線沿いを中心に発展してきました。
この地域の住民の結束は、鉄道だけに振り向けられたものではなく、まちづくりでも発揮されていました。端的な例が道路整備です。
このエリアの生活道路は狭い区間が多く、緊急車両の通行もままならない場所が多かったそうです。しかし、地域の住民が自らの土地を提供し合いながら道路の拡幅を実現し、地域の道路インフラの改善を図っていったそうです。こうしたインフラ改善の取り組みは、前述した人口増に寄与する住宅や商業施設などの開発に結び付いていきました。
廃線復活を成し遂げたもう一つの理由は、自治体と鉄道事業者が連携して交通インフラの建設を進められるようにする法制度の整備です。国の助成を含めて自治体が鉄道整備に必要な費用を工面できるようになり、鉄道事業者が大規模な初期投資というリスクを負わなくて済むようになったからです。
今回延伸する区間は、市が軌道敷きを残しておいたので、用地の取得などに要する手間や費用を抑えられました。施設形状もそのままの格好で残してある箇所が多く、軌道敷きや橋梁をはじめ点検や補修などを経て、既存施設を活用できる部分は少なくないようです。何から何まで新たに施設を整備する場合に比べて、建設コストは安く上がります。
とはいえ、再び乗客を乗せた列車を運行するためのインフラとする以上、安全性などを確保していく必要はあります。10年ほど利用されていなかった施設をそのまま使えるわけではありません。施設を改めて点検し、再整備していかなければなりません。
例えば、軌道敷きの路盤部では、強度を確認していく。点検の結果、強度不足の箇所があれば、セメント混合改良を施して補強します。その上に載せるレールや枕木は、営業線部分では新しい材料を使います。レールは新材を用いて騒音を低減し、枕木は既存の木製ものをPC(プレスストレスト・コンクリート)製に改めてライフサイクルコストを減らします。撤去するレールや枕木のうち、再利用が可能なものは駅部の保守用線路などで活用する計画です。
終点駅付近で延伸区間を横断する大毛寺川に架かる灰川橋梁は、1936年に建設された橋長19.2mの単径間の鋼鈑桁橋です。「詳細な検討はこれから実施するが、桁はそのまま再利用できそうだ。ただし、耐震性を確保するために、橋台部の補強は必要になると思う」と、JR西日本広島工事所の所長は語っています。桁端部と橋台をコンクリートで巻き立ててラーメン構造にするような補強までは不要の見込みです。
廃線をよみがえらせるという新たな工事は14年度内に始まる見込みです。延伸区間での列車の運行開始は、16年春を予定しています。
無事に鉄道の運行が始まったとしても、そこが“終着駅”ではありません。住民の活動をまとめるJR可部線利用促進同盟会の会長は、「運用後に鉄道の利用を促進する手立てを講じていかなければいけない」と言って気を引き締めます。「列車に自転車を乗せられるサイクルトレインの実現や、住民による駅の清掃ボランティアなどを考えている」既に知恵を出し、汗をかく覚悟はできているようです。
市も住民の努力を後押しする方針です。「駅までのアクセスに使う乗り合いタクシーや、新たに整備する駅の前にあるホームセンターと協調したパークアンドライドの仕組みなど、地域住民も検討してくれていることの実現に向けて、一緒に取り組んでいきたい」市都市交通部交通対策担当の課長は語っています。前代未聞の試みですが、ぜひ成功させてほしいです。
廃線となった鉄道路線を再び鉄道として復活させる。鉄道事業法が施行された1987年以降で全国初の取り組みが、広島市北部で進んでいます。復活が決まったのは、JR西日本可部線の終点である可部駅から西寄りに向かう約1.6kmの区間です。国土交通大臣は2014年2月25日、JR西日本に対して同区間での鉄道事業を許可しました。可部線は広島市中心部の横川と市北部の拠点地域である可部の14kmを結ぶ路線で、03年12月に可部から郊外側の三段峡までの非電化区間46.2kmが廃止されました。
再整備する1.6kmの区間の駅や軌道敷きをはじめとした主な鉄道施設は、市が3分の2、国が3分の1相当の費用を負担して整備し、鉄道の運営をJR西日本が担います。整備するのは、終点と中間に設ける2駅の施設と単線の軌道敷きなどで、事業費は約27億円を見込みます。
短い区間とはいえ、一旦廃線とした鉄道を復活させるという“離れ技”を成し遂げた大きな理由は、三点に整理できるようです。一点目は、旅客の需要増に対する期待です。
実は、可部線沿線の人口は増加を続けている。現在の可部線の北寄りの区間である緑井駅から可部駅にかけての沿線人口は、1998年から2008年にかけて約5%の増加が確認できている。今回、延伸を図る区間周辺の人口推移を調べてみても、2003年から12年までに、約5%の増加が認められました。可部線自体も乗車人数は増える傾向にあります。
延伸する路線沿いには、安佐北区役所をはじめとした官庁が集まるエリアがあります。さらに、延伸部北側を中心に、大規模なホームセンターなどの商業施設も立地されてきました。路線が廃止されたころに農地の目立っていたエリアでは、住宅開発が進展。地域の人口増加に寄与してきました。
人を引き寄せる施設や住宅が集積することから、延伸区間の乗降客数は、新設する終点駅で1日当たり約2200人、同中間駅で約1800人と見込んでいます。1980年代の旧国鉄では、路線の輸送密度が1日当たり4000人未満をバス輸送に転換する目安としていました。2012年度の可部線の輸送密度が1日当たり1万9012人というデータを考えれば、鉄道事業としての採算を保てると考えられます。
二点目は、住民の熱心な活動です。今回延伸される区域の約6000世帯の住民は、可部より郊外側の区間が廃止される前の1994年、電化区間の延伸を要望する組織を結成しました。そして、電化による利便性向上を求めて署名活動などを進めてきました。
住民による活動は及ばす、その後可部線の非電化区間が廃止されたものの、住民は活動をやめませんでした。廃止された区間の一部の電化延伸に向けた要望を届けるための活動を地道に続けたようです。
例えば、廃線後にJR西日本から広島市に譲渡された軌道敷き部分で定期的な草刈りを実施したり、軌道敷きにろうそくを並べる「お迎えキャンドル」と名付けたイベントを実施したりしました。こうして、可部線の廃線区間の復活を求める住民の存在をアピールするとともに、地域住民が可部線の必要性を再認識する機会を設けてきました。
他方、市は可部線を市中心部と市北部の拠点を結ぶ基幹交通に位置付けていました。そして、粘り強い住民の運動と歩調を合わせ、将来の利用を念頭に置きながら、今回の延伸区間のバラストやレールは撤去せずに、廃線前のものを残しておいたそうです。広島は、バスが発展しているので可部街道54号線沿いを中心に発展してきました。
この地域の住民の結束は、鉄道だけに振り向けられたものではなく、まちづくりでも発揮されていました。端的な例が道路整備です。
このエリアの生活道路は狭い区間が多く、緊急車両の通行もままならない場所が多かったそうです。しかし、地域の住民が自らの土地を提供し合いながら道路の拡幅を実現し、地域の道路インフラの改善を図っていったそうです。こうしたインフラ改善の取り組みは、前述した人口増に寄与する住宅や商業施設などの開発に結び付いていきました。
廃線復活を成し遂げたもう一つの理由は、自治体と鉄道事業者が連携して交通インフラの建設を進められるようにする法制度の整備です。国の助成を含めて自治体が鉄道整備に必要な費用を工面できるようになり、鉄道事業者が大規模な初期投資というリスクを負わなくて済むようになったからです。
今回延伸する区間は、市が軌道敷きを残しておいたので、用地の取得などに要する手間や費用を抑えられました。施設形状もそのままの格好で残してある箇所が多く、軌道敷きや橋梁をはじめ点検や補修などを経て、既存施設を活用できる部分は少なくないようです。何から何まで新たに施設を整備する場合に比べて、建設コストは安く上がります。
とはいえ、再び乗客を乗せた列車を運行するためのインフラとする以上、安全性などを確保していく必要はあります。10年ほど利用されていなかった施設をそのまま使えるわけではありません。施設を改めて点検し、再整備していかなければなりません。
例えば、軌道敷きの路盤部では、強度を確認していく。点検の結果、強度不足の箇所があれば、セメント混合改良を施して補強します。その上に載せるレールや枕木は、営業線部分では新しい材料を使います。レールは新材を用いて騒音を低減し、枕木は既存の木製ものをPC(プレスストレスト・コンクリート)製に改めてライフサイクルコストを減らします。撤去するレールや枕木のうち、再利用が可能なものは駅部の保守用線路などで活用する計画です。
終点駅付近で延伸区間を横断する大毛寺川に架かる灰川橋梁は、1936年に建設された橋長19.2mの単径間の鋼鈑桁橋です。「詳細な検討はこれから実施するが、桁はそのまま再利用できそうだ。ただし、耐震性を確保するために、橋台部の補強は必要になると思う」と、JR西日本広島工事所の所長は語っています。桁端部と橋台をコンクリートで巻き立ててラーメン構造にするような補強までは不要の見込みです。
廃線をよみがえらせるという新たな工事は14年度内に始まる見込みです。延伸区間での列車の運行開始は、16年春を予定しています。
無事に鉄道の運行が始まったとしても、そこが“終着駅”ではありません。住民の活動をまとめるJR可部線利用促進同盟会の会長は、「運用後に鉄道の利用を促進する手立てを講じていかなければいけない」と言って気を引き締めます。「列車に自転車を乗せられるサイクルトレインの実現や、住民による駅の清掃ボランティアなどを考えている」既に知恵を出し、汗をかく覚悟はできているようです。
市も住民の努力を後押しする方針です。「駅までのアクセスに使う乗り合いタクシーや、新たに整備する駅の前にあるホームセンターと協調したパークアンドライドの仕組みなど、地域住民も検討してくれていることの実現に向けて、一緒に取り組んでいきたい」市都市交通部交通対策担当の課長は語っています。前代未聞の試みですが、ぜひ成功させてほしいです。