すちゃらかな日常 松岡美樹

積極財政などの政治経済をすちゃらかな視点で見ます。ワクチン後遺症など社会問題やメディア論、サッカー、音楽ネタもやります。

【テレビの終焉】オールドメディアを殺したSNSの思わぬ「落とし穴」とは?

2025-02-25 11:35:53 | メディア論
新聞やテレビのない毎日を送る現代人

 もはやテレビは完全に死んだも同然の今日このごろである。

 あのN党・立花孝志氏が大立ち回りを演じた兵庫県知事選挙以降、すっかりオールドメディアに対する信頼感が低下すると同時に批判が高まり、新聞やテレビの権威が地に落ちている。

 だが実は最近の激しいメディア批判が高まる遥か以前から、もう新聞はとっくにテレビより先に売れなくなっていた。過去何年も年を追うごとに新聞各社の販売部数の減り方は、目も当てられないほど露わだった。

 実際、我が家でも新聞なんて、ずっと購読していない。もっぱらネットで情報を仕入れる毎日だ。

 一方、地上波などのテレビもほぼ観ていない。特にこれはスマートテレビが浸透し、YouTubeがテレビ画面でも見られるようになったのが大きい。

 そんなわけで我が家のテレビは、もうすっかりYouTube動画を観るため専用の物理的な単なるディスプレイと化している。

 なんせデスクに座り前屈みになってパソコンでYouTube動画を観るより、リビングのソファーにドッカとめり込みリラックスした姿勢でテレビ画面に映るYouTubeを観るほうがはるかにラクなのだ。ゆえに自然の成り行きである。

 つまり新聞やテレビなどという、いわゆるオールドメディアとはまったく無縁の生活を送る毎日だ。

同じオールドメディアなら新聞の方がまだマシかも?

 だがそこで最近なんとなく感じるのは、もしどうしても観るなら「テレビよりは新聞のほうがまだマシなんじゃないか?」ということだ。

 テレビは80年代にあの有名な「楽しくなければテレビじゃない」というコピーをフジテレビが流行らせて以降、完全にテレビ界全体に「芸能バラエティ」志向が強まった。

 それからというもの、各社とも競うように娯楽一辺倒になって行った。

 しかもテレビはそういうくだらない番組の合間にCMを見せ、モノを売るための単なる機械の箱だ。

 実は番組そのものより、主役はCMである。

 つまり広告で商品を売るためにあの箱がまず先にあり、CMを見せる目的で取ってつけたように(後から番組を作る)テレビ局なるものが存在する。

 そんなテレビは商品の広告を次々に見せ、視聴者を洗脳して消費行動に駆り立てる。強制的にCMが目に飛び込んでくる仕掛けだ。

 しかもCM収入でほぼ経営が成り立っているテレビ局では、ほとんど純粋にCMを見せることだけを目的に(いかにもそれが主役であるかのように装って)「テレビ番組」が作られて運営されている。

 そういう巧妙な仕掛けに引っかかった視聴者は、番組の合間に流れるCMをなんとなくボーッと観てしまいがちになる。ゆえにCMは自然と脳に刷り込まれやすい。

 このへんのテレビCMにおける心理的なメカニズムに関しては、心理学関連の研究論文が多数ある。すでに学術的に裏付けられている。その点、まだ新聞は紙の広告だから、意識して「広告は読まない」という選択がしやすい。

新聞はたまにマジメな社会問題を取り上げることも

 そんなわけで最近、特に感じるのだが…………もしどうしてもオールドメディアを観るとすれば、まだテレビよりは新聞のほうがマシなんじゃないか? と思うようになってきた。

 なんだか新聞は「もう没落した」「終わったメディアだ」というイメージがある。だからどちらか選択する場合にも、視野に入らなくなりがちだ。

 しかしよく考えてみるとテレビよりはまだ新聞のほうが、たまにはマジメな社会問題を取り上げているようなイメージがある(いや、あくまでイメージにすぎないが)。

 だったら1紙くらい、新聞をネット購読してみてもいいかな? などという気もしてきた。

 もちろん比較の対象にはなり得ないが、あえて新聞とSNSをくらべた場合、新聞のほうが事実関係の確かさや精度がやはりハッキリ上だろう。

 その点で新聞は情報を取り扱うプロが作っているぶん、単純なケアレスミスの少なさや「報道」の原理原則に正しく基づいているかどうか? などの点で、まあ、信頼感はあるといえばある。

(ただし新聞が抱える構造的な致命的欠陥については、過去にこの記事この記事などで詳述したのでここではあえて触れない)

SNSは読み手が受け取った情報を自分で「事実確認」する必要がある

 もっともX(旧ツイッター)やYouTubeなどの場合、速報性がある上に、情報が人から人へと渡る流通スピードがものすごく速い。

 また何より鋭い切り口で急所を抉ってくる。読者に迫る訴求力が凄まじい。

 だからそのぶんインパクトは強いし、絶えずXに目を通していれば世の中のトレンドに遅れないようにはなれる。

 だがこうしたSNSは、しばしば真偽があやふやで裏取りしてないケースが圧倒的に多い。だから読み手の側が自分で事実確認するしかない。そのぶん手間がかかる。

 SNSの場合、どうしてもこんなふうに自分で調べて裏付けになるソースを確認する作業が絶対に必要になる。

 とはいえ、だからといってSNSを法的に規制するなんておかしい。別にそんな必要はない。単に読み手の側が自分で事実確認すればいいだけの話だ。

 その確認作業に手間がかかるから、あるいはその手間を読み手が嫌がり、書いてあることをそのまま鵜呑みにする人が多いから、「いっそのこと規制してしまえ」なんてとんでもない話だ。

 実に乱暴で粗雑な議論である。

自分で手間をかければSNSを選択する価値は倍増する

 ああ、話が逸れた。

 その点、新聞ならプロの記者が書いているから、(思想的に偏向してるかどうかはともかく)さすがに事実関係の基本的な確認漏れや裏取りなど、情報の正確な取り扱いにミスがある確率は少なくともSNSよりはるかに低いだろう。

 その意味で、読み手は手間が省ける。

 ただしそのトレードオフとして、SNSみたいなツッコミの鋭さやテーマ選びの大胆さ、タブーのなさは新聞のほうがずっと劣るだろうがーー。

 また新聞は社の意向や政治的スタンスに沿ってテーマや文脈を恣意的に設定し、読者を一定方向に誘導しようとする側面があるのは否めない。もちろんそこは注意して読む必要がある。

 てなわけで愚考の末、出た結論は以下のような感じだ。

(1)まずとっかかりになるソースだけ、SNSから借りてくる。

 で、そこから得たネタを元に自分でさらに深掘りしたり、元になるSNSの記述を自分で裏取りするなど事実確認を独自にやる。

 そんなエネルギーがあるなら、SNSを選ぶのがベストだ(SNSに書いてあることを、そのまま鵜呑みにするのは危ない)。

(2)そんな事実確認の手間を惜しむなら、洗脳されないよう注意しながら新聞を読むのがセカンドベストになる。

(3)一方、もはやテレビは論外だーー。

 これが結論だろう。

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