すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【カタールW杯】森保監督は続投すべきか?

2022-12-09 08:22:28 | サッカー日本代表
森保氏が選手に求める「自主性」は、学校教育の「学級会レベル」だ

 カタールW杯で日本は負けたが、森保続投論が叫ばれている。一方、私は監督を代えるべきだと考えているが、その理由を説明しよう。

 まず森保監督は選手の自主性を重んじる、といわれる。確かにこれだけ聞けば「すばらしい」と思ってしまいがちだが、問題は内容だ。

 結論から先にいえば、森保監督が選手に求める自主性は「学級会レベル」であり、とてもプロサッカー選手に求めるような高度なものじゃない。

 例えばサッカーには「どんなサッカーをやるのか?」という「ゲームモデル」がある。そしてそのモデル(目標)を実現するために、試合の各局面ごとに「どうプレイすべきか?」という「プレー原則」がある。(くわしくは最下段の【関連記事】を参照のこと)

 これはチームの約束事だ。三笘が「このチームには約束事が必要だ」と問題提起した例のヤツである。

 サッカーのプロ監督なら最低限、選手にこれらを提示して徹底しておくべきだ。

 だが森保監督はこんなレベルのものまで「選手まかせ」にしてしまう。

選手が勝手にシステムを考えろ?

 ひどいときには、ある試合で相手チームが試合中にシステムを変え、4-1-2-3のアンカー・システムだったものを、4-2-3-1のダブルボランチにしてきた。

 機能していた日本の中盤にフタをするためだ。バイタルエリア対策である。

 この対策を取られて以後、活発に機能していた日本の中盤は沈黙した。

 だが森保監督はここで有効なシステム変更や選手交代を行わず(見当はずれな策は打ったが)、「選手の自主性にまかせた」。

 つまり「お前ら、自分の頭でシステムを考えて変更するなりして解決しろ」ということだ。

 ここまで極端な放任主義では、試合にならない。

選手からの建設的な提案なら考慮する意味はあるが……

 もちろん日常生活のちょっとしたことを「選手まかせ」にする程度ならわかる。だが最低限、ゲームモデルとプレー原則くらいは監督主導で植え付けるべきなのだ。

 そうでないとどんなサッカーをやっていいのか、チームはバラバラになってしまう。

 もちろん選手の側から、「そこはもっとこうやったほうがいいのではないか?」という建設的な意見が出るなら、対応するのもいいだろう。

 だがあくまで原則は必要である。原則がなければ考えるための叩き台すらない状態になってしまう。「戦術・三笘」とか「戦術・伊東」などと言ってる場合じゃない。

森保監督を解任せよ

 それだけじゃない。森保監督の「選手まかせ」は、その他のサッカーに関することがらの広範囲におよぶ。

「選手に自分の頭で考えさせ、結論が出るならそれがベストだ」という考え方だ。

 だが繰り返しになるが、それは学校教育でやるべきことだ。プロ選手を扱い育てる代表監督がやるべき話ではない。

 結論として、私は森保監督を解任すべきだと考える。

【関連記事】

【サッカー戦術論】ゲームモデルとプレー原則とは何か?

【サッカー観戦術】ひとクラス上になるサッカーの見方

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