4月から会長になるツネ様は傀儡にすぎない
サッカー日本代表の森保監督は、悪い意味で「選手の自主性を重んじる」監督だ。あのカタール2023・アジアカップ準々決勝におけるイラン戦の敗戦は、それがクッキリ浮き彫りになった。
しかも同様に選手まかせだったジーコ・ジャパンが、2006年W杯ドイツ大会でオーストラリアに食らった同じ負け方、つまりロングボールの放り込みでやられた点までそっくりだった。
例えばペップのポジショナルプレイや、クロップのストーミングみたいな魔法の杖は森保監督にはない。なぜなら森保監督は学級民主主義を重んじる「金八先生」型の監督だからだ。
「みんなで話し合って民主的に決めよう」
それが村のルールである。だがあのイラン戦みたいに、ロングボールをガンガン放り込まれる最中に打ち合わせする時間なんてない。
その意味では結局、サッカー日本代表はあの2006年W杯で惨敗したジーコ・ジャパンから何も進歩してないことがわかった。
利権を貪り合う「村落共同体」が続く
だが田島幸三・日本サッカー協会(JFA)会長は、もちろんその体制を容認してきた。
なぜなら森保監督は同じ日本人であり、ナアナアの関係が通用するキャラだからだ。森保監督は「サッカー協会を改革するにはこうすべきだ」なんて余計なコトは絶対言わない。
つまり協会が利権を貪るのにジャマな正論など主張しない。たがいに日本人的な「慣例」を重んじ、領分を守る。決してそこに口を挟まないお仲間だ。すなわち目的を共有する利益共同体である。
そこがあの「自分をもっている」がゆえにウザい異論(=持論)をぶつけてくる、田島会長から見て「余計なことを言い張る」トルシエやハリルとは大きくちがう。
つまり協会にとってトルシエやハリルは邪魔なヤツらでしかなかった。だが森保監督は逆に「自分がない」。だから体制側にとってはおいしい人材だ。自分たちに都合よく立ち回ってくれるはず。そう計算が立つ。
ひとことで言えば森保監督って体制側の「そこは言いっこなしね」が暗黙のうちに通用する相手だ。すなわち彼らはローカルな内輪のルールを守り合う村落共同体なのである。
だから当然、田島会長は森保監督を擁護してきた。たがいにいらぬ口出しはしない。むろん「改革」なんてとんでもない。いままで歴史的に通用してきたローカルルールを共有し、たがいに利益を貪り合おうぜ、って話だ。
宮本新体制は「村の伝統」を守る
そして今年4月からサッカー協会の会長になる(予定の)ツネ様、宮本恒靖・専務理事は、田島会長の傀儡にすぎない。次期体制では実質的に田島会長の院政が敷かれる。
現に宮本氏は会長へと臨んだ際のマニュフェストでも、「自分は引っ張るタイプのリーダーじゃない。仲間の考えを大事にし、みなさんと調和しながら共に進みたい」という趣旨を示している。
つまり森保監督と同じく、体制側とベッタリな関係だ。
そもそも昨年12月に行われるはずだった会長選挙へ正式に立候補するには、16人以上のJFA評議員の推薦が必要だった。しかしそのJFA評議員による推薦は、「裏切り者は誰か?」がハッキリわかる形で念入りに行われた。
必然的に対立候補の鈴木徳昭氏(Jリーグチェアマン特命担当オフィサー)は、推薦数を集められず正式な立候補すらできなかった。いわば無風の実質、会長確定だった。既定路線だ。
とすれば現在の固着した「解けないパズル」はそのままになる。ならば、もうサッカー日本代表は少なくとも向こう何年も癒着の構造が丸ごと残る。
終わりの始まりだ。
【関連記事】
【森保ジャパン】「金八先生」型サッカーの限界が見えた
サッカー日本代表の森保監督は、悪い意味で「選手の自主性を重んじる」監督だ。あのカタール2023・アジアカップ準々決勝におけるイラン戦の敗戦は、それがクッキリ浮き彫りになった。
しかも同様に選手まかせだったジーコ・ジャパンが、2006年W杯ドイツ大会でオーストラリアに食らった同じ負け方、つまりロングボールの放り込みでやられた点までそっくりだった。
例えばペップのポジショナルプレイや、クロップのストーミングみたいな魔法の杖は森保監督にはない。なぜなら森保監督は学級民主主義を重んじる「金八先生」型の監督だからだ。
「みんなで話し合って民主的に決めよう」
それが村のルールである。だがあのイラン戦みたいに、ロングボールをガンガン放り込まれる最中に打ち合わせする時間なんてない。
その意味では結局、サッカー日本代表はあの2006年W杯で惨敗したジーコ・ジャパンから何も進歩してないことがわかった。
利権を貪り合う「村落共同体」が続く
だが田島幸三・日本サッカー協会(JFA)会長は、もちろんその体制を容認してきた。
なぜなら森保監督は同じ日本人であり、ナアナアの関係が通用するキャラだからだ。森保監督は「サッカー協会を改革するにはこうすべきだ」なんて余計なコトは絶対言わない。
つまり協会が利権を貪るのにジャマな正論など主張しない。たがいに日本人的な「慣例」を重んじ、領分を守る。決してそこに口を挟まないお仲間だ。すなわち目的を共有する利益共同体である。
そこがあの「自分をもっている」がゆえにウザい異論(=持論)をぶつけてくる、田島会長から見て「余計なことを言い張る」トルシエやハリルとは大きくちがう。
つまり協会にとってトルシエやハリルは邪魔なヤツらでしかなかった。だが森保監督は逆に「自分がない」。だから体制側にとってはおいしい人材だ。自分たちに都合よく立ち回ってくれるはず。そう計算が立つ。
ひとことで言えば森保監督って体制側の「そこは言いっこなしね」が暗黙のうちに通用する相手だ。すなわち彼らはローカルな内輪のルールを守り合う村落共同体なのである。
だから当然、田島会長は森保監督を擁護してきた。たがいにいらぬ口出しはしない。むろん「改革」なんてとんでもない。いままで歴史的に通用してきたローカルルールを共有し、たがいに利益を貪り合おうぜ、って話だ。
宮本新体制は「村の伝統」を守る
そして今年4月からサッカー協会の会長になる(予定の)ツネ様、宮本恒靖・専務理事は、田島会長の傀儡にすぎない。次期体制では実質的に田島会長の院政が敷かれる。
現に宮本氏は会長へと臨んだ際のマニュフェストでも、「自分は引っ張るタイプのリーダーじゃない。仲間の考えを大事にし、みなさんと調和しながら共に進みたい」という趣旨を示している。
つまり森保監督と同じく、体制側とベッタリな関係だ。
そもそも昨年12月に行われるはずだった会長選挙へ正式に立候補するには、16人以上のJFA評議員の推薦が必要だった。しかしそのJFA評議員による推薦は、「裏切り者は誰か?」がハッキリわかる形で念入りに行われた。
必然的に対立候補の鈴木徳昭氏(Jリーグチェアマン特命担当オフィサー)は、推薦数を集められず正式な立候補すらできなかった。いわば無風の実質、会長確定だった。既定路線だ。
とすれば現在の固着した「解けないパズル」はそのままになる。ならば、もうサッカー日本代表は少なくとも向こう何年も癒着の構造が丸ごと残る。
終わりの始まりだ。
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